一番思い出に残っている人は?

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掌編小説・『一番心に残っている人』
 
 
 いわゆる「深山幽谷」の、かなりのへき地で生まれ育ったので、中学校も「二十四の瞳」という昔の小説のように小人数しかいないクラスだった。構成人数は少ないが、思春期の入口でもあって、だから13歳くらいの時に初めての出会いというか、「気になる異性」というものとのめぐり逢いをした。
 僕の「気になる異性」というか好意を抱く女性とか、なにか縁があって「袖を振り合う」ような間柄になる女性には一定の傾向があって、これは偶然かもしれないが、みな「狐顔」なのです。
 一律に、一様に、なんとなく婀娜っぽくて「男好きがする」?タイプなのです。僕にはそう見えるけれど、魅力を感じるので贔屓目でsexyというニュアンスになるのかもしれない。狐のfoxyという形容詞は「妖艶な」という意味ですが、文字通りにすごく「妖艶」で「嬋娟にして窈窕」な美女に思える人とお近づきになってもらうことが多い。烏滸がましい?ですが…
 
 この時の「妖艶美女」がその「狐美女」の第一号ですが、彼女は名前が「道子ちゃん」と言いました。
 初恋、なのでかなり彼女の印象は鮮烈だった。インプリンティングみたいな衝撃だった。細身ですらっとしていて、少し色は黒いが八重歯が可愛くて、鼻筋も通っていた。初恋にはありがちらしいが、すぐに僕も毎夜ノートの片隅に「道子、道子」と彼女の名前ばかり気が付くと書き連ねるようになった。
 少し離れた集落から彼女たちは自転車通学をしていたが、一度だけ男子生徒数人と彼女の家を訪ねたことがあった。川べりのこじんまりとした、清潔な感じの場所で、坂の多い段々畑のようなところに彼女の家はあった。二階にある彼女の部屋に、窓から道なりに入れる作りになっていた。それがなんだか珍しくて面白くて、何だか「青春」?という感じがした。
 彼女の机の上には「いつかどこかで」という当時流行った漫画の詩集版が置いてあった。
 この漫画には主人公の恋敵が「スミレさん」という名前で、登場するが、今思うとあれは本当に道子ちゃんがモデルだったのか…が、これは余談です。
 
 夕方まで皆で遊んだけれど、僕が道子ちゃんのことを好きだとか、誰も気が付いてはいないと思っていた。実際に当時は他人に内心を見透かされるとかいうことをほとんど気にはしないのが常だった。
 が、道子ちゃんのことを思い出すと、いつも彼女は僕の考えていることをすっかりお見通しで、冗談のように、「さとるの化け物」のように?すっかり話してくれたものだったなあ…そういう思い出ばかりなのに気づく。
 そんな女の子はそれまで僕の周囲にはいなかったのだ。
 きっと彼女は早熟で聡明だったのだろう。
 
 今では僕には「さとるの化け物」がいつも取り憑いていて、大人というものはだいたい内心を見抜くのに巧みだから、牧歌的な生活を送っていた昔のように僕の生活にはもはや安らぎとかは戻ってこないかもしれない。
 
 が、そういう本来の人生を送っていた昔という「原点」があるから、何とか今でも自分を見失わずに、前向きに日々の困難に立ち向かっていけるのだと思う。
 
 道子ちゃん、ありがとう。そしてゆかりがあってしまった?「狐美女」皆にも関わってくれてどうもありがとうを言いたい。
 別の稿で、その後に出会ったfoxy beauty 達のことは語りたいと思います😊
 
<了>