Photo title:銀龍のオーラ

全身から圧倒的なエネルギーを放つ銀龍

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喜怒哀楽
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喜怒哀楽
全てあるから
全てが成る

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怒りとは

人の感情の中で喜怒哀楽の中の1つに分類される"怒り"
喜怒哀楽ともにどれも大切な感情なのですが、どちらからかと言うとあまり良くないイメージに捉えてしまうこともあるかと思います。

怒りは放出する側で、ある意味ストレスのはけ口と言うのは言い過ぎかもしれませんが、放出する方にとっては悪いものでは無いかも知れません。
ただ怒られる側すなわちに受ける側関しては、逆に怒りをぶつけ返すか、身を固くして受け止めるか、そして大きな心で包み込むか、いずれにしても外から来るものに対して対処しなくてはならないと言うある意味良くない力に受け止められがちです。

ではなぜこの怒りと言うものがあるのか、深い話をするとこの世界を対流させるため、放出側のプラスの属性のエネルギーとなりますが、しかしずっとずっと小さな個々言う単位に生きている私たちにとっては、そんな対流など正直言って実感がなく、放出するエネルギーでしかありませんよね。

怒りのプロセスとすれば、自分の中にある信念と真逆又はその信念を阻害する事柄にぶつかったときに、それに対し信念をぶつけ返すまたはその反対側の信念を押し返すそのために使います。
また心に負い目などある時も、それに触れられるとその拒絶反応で思わずそちら側で使ってしまうこともあります。

もちろんどれも間違い等は無いのですが、その使い所によって、世界と分断してしまう可能性も孕んでいます。

ただそれが全て悪いことではなく、その分断すること自体があなたが望む未来にとって必要なものだから、今この場所に留まっていてはそこにたどり着くのに時間がかかってしまう、今いる場所が望んでいる世界とは全く違うなど、肯定的な意味で今いる世界との分断と言う場合もあり得ます。

その他に自分以外の人や自分の外の世界で常に怒っている人がいると思います。

怒りは放出する力ですので、近くにいるとそれが自分に向けられているのはないかと言うある意味不快感が起こりますが、そんな人も恐らくその人もなりたい自分の中で強く思っていること、それを達成するために怒っているのでありその人はその人の都合だけでしかないのです。

この様に、怒りの中にも様々ありますので、怒り=良くないエネルギーと一括りには出来ません。

怒りはその使い所をよく考える事が必要なのです。

怒りとは放出する力。
受け止める力は1つもありません。
だから怒りに怒りをぶつけても解決しないのです。
むしろ相手にぶつかった怒りが、また怒りとして返ってきてさらに増幅するばかり。
そして相手に向かって放出するのだから、後ろ向きに進むばかりでお互いどんどん離れていくのです
こうなると、お互い届かなくなるまで離れるか、どちらかが受け止め別の力に変えていかないと終わりはありません。


怒りの使いどころは心において、背中から放出し、前に進むための力推進力へと使うのが本来の目的なのです。
自分の想いと違うのであれば、自分の進みたい方へ進むために背中から放出する。
そう、否定的に使えば、あなたの前から放出し、肯定的に使えば背中から放出するのです。

怒りは相手にぶつけるのでは無く、自らの推進力とする事が全てを正しく対流させる事に繋がっていくのです。

怒りの使い方、もう一度考えてみませんか?