メディアではコメンテーターらが偉そうに学校や教育委員会を批判している。

確かにそいつらが隠蔽しようとしたことは赦されることではないだろう。
だが、それ以外のことでこんなに批判されるべきことなのだろうか。

本質は家庭の中にあり、さらに大人のコミュニティの中のいじめの方が陰険である。

偉そうに道徳授業の時間を長くするだとか表面的に対策らしきものを出しているが、それでは根本的には何も解決にならない。
私が義務教育中に受けていた道徳授業の中身はほとんどが、部落や在日の人達を差別してはならないという内容だったと認識している。
そもそも、この内容の授業は必要なのだろうか?
子供が部落、在日らで差別する時代はとっくに過ぎ去り、日常生活で意識することはほぼないだろう。

どちらかというと今の大人にする方がよっぽど意味があるのではないか。


にも関わらず、このような内容の授業をするのは、逆差別を生み出す目的だとしか考えられない。
私が小学校のころ、すぐ近くの小学校だけが建て替えをし、そこだけエレベーターがついた。子供ながら、おかしいとしか思えなかったがそこは部落地域であった。
所謂、逆差別によって特別扱いされることが当然だという根拠なき被害者意識が差別を産み出す原因になっていた。

よって、これからの義務教育では変に、在日や部落などを教えずに、人間には個性があり、その個性を敬いあい助け合うことを教えるべきだ。

ただし、韓国人と中国人の素行の悪さが招く反感はこの限りではない。


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