1月1日:聖者から頂いた「聖なる予言」
2026年1月1日(木)聖者から頂いた「聖なる予言」元旦の朝、目が覚めた時、私は1年ほど前に、インドの聖者から頂いた「聖なる予言」が強い印象で思い出されました。それは、2024年10月7日(月)、南インドのケララ州のアムリタプリにある、アンマのアシュラムに滞在していた時に起きた出来事です。私はその日の夜に、アンマからダルシャン(祝福の抱擁)を頂くことができました。 ✧ ✧ ✧私達外国人は、ダルシャンの列に、午後9時から並ぶことができるということでしたから、その時間に並びました。それから1時間ほどが経過した午後10時10分ごろ、私はアンマの前に進み出る「次の人」になりました。その時、私は、ダルシャンを受ける人達の整理をする係の男性のお弟子さんに、アンマへの手紙と『神様の秘密 — シナリオブック』の本を見せながら、英語で説明しました。「私は、今年の8月に、アンマが東京に来られた時、この本『神様の秘密 —シナリオブック』をアンマに捧げて、祝福して頂きました。今、私はこの本を原作にして、映画を作りたいと考えています。それで、今日は、アンマに次の質問をしたいのです。どうぞ、アンマに伺ってください」「親愛なるアンマ、私は『神様の秘密 — シナリオブック』を原作とする映画を作ることができるでしょうか?」お弟子さんは「分かりました」と言われました。 ✧ ✧ ✧私の順番になって、アンマの前に進むと、私は『神様の秘密 シナリオブック』をアンマの前に差し出しました。アンマは笑顔で受け取ると、ちらっと見て、「この本のことは知っているわよ」という感じで、すぐにご自分の椅子の脇に置かれました。そして、ぐいっと私を引き寄せられました。その時、アンマに抱きしめられながら、私の心の中にあったのは、「これまで10年以上にわたって、人生と命をかけて積み上げてきた自分の仕事が、果たして正しかったのかどうかについて、神様の審判を仰ぐ」という静かな緊張感でした。もしも、万が一、これまでの私の判断が間違っていたとしたら、このことにすべてをかけてきた私に残されているものは「もう何もない」ということになります。したがって、アンマが口を開かれて、私の問いに対して答えを発せられる瞬間は、私にとっての運命が決まる究極の時なのでした。アンマが私を抱きしめて下さっている時、お弟子さんは私の質問をアンマに伝えてくださっているようで、二人が言葉を交わされているのが分かりました。しばらくすると、アンマは私の耳元で、何かの言葉をささやかれて、私の体を離されました。私は身を起こして、アンマから離れると、すぐにお弟子さんの方を振り返りました。すると、お弟子さんは大きな声で、私に言われました。「You can make a movie」(あなたは映画を作ることができます)私は大きな驚きと喜びに満ちて、すぐに聞き返しました。「え? 本当ですか? アンマはそう言われたんですか?」すると、お弟子さんは再び大きな声で言いました。「Take the decision」(決意しなさい)「え?」彼は確認をするように、再度大きな声で言いました。「You can make a movie. Take the decision.」(あなたは映画を作ることができます。決意しなさい)「そうですかあ、映画はできるんですか・・・」私は心の底から安堵して、喜びに満たされながら、力が抜けたように、そこに立ち尽くして、天を見上げました。(見えたのはホールの天井だけでしたが・・・)私は大いなる開放感に満たされて、上を向いたまま、しばらくの間、そこに立っていました。そして、ゆっくりと、その場を離れました。少し歩いた時、私は、その時に持って行っていた「デーヴィ・バーバのアンマ」や「カーリー女神」の写真にアンマの祝福を頂くのを忘れていたことに気づきました。それで、お弟子さんの所に戻って、彼に写真を渡して、アンマの祝福を頂くようにお願いしました。写真を返して頂いた後、お礼を言って、その場を去ろうとすると、会場を管理している男性に呼び止められました。そして、私はアンマの右側の真横にある椅子の席に座るように導かれました。私は思いがけず、アンマの「真横」に座らせて頂くことができるようになったのでした。私はそこに30分ほど座らせて頂いて、アンマのダルシャンの様子を見ながら、そして、アンマのエネルギーを頂きながら、アンマへの祈りを捧げました。まさにすべてが有り得ないほどの「アンマの恩寵」に満たされている時間と空間でした。 ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧ ✧この非常に重要な「予言伝達の儀式」が終わった後、私はアンマから「ヒマラヤ」への巡礼の旅に出るように導かれました。アンマから「聖なる予言」を頂いてから2週間後の10月20日(日)、私はヒマラヤの聖地バドリナート(標高3,300m)で祈りを捧げるという大きな目的のために、バンガロール空港から北に向かって旅立ちました。バドリナートには、アーディー・シャンカラが聖山カイラスから持ち帰った「クリスタルのシヴァ・リンガム」があるので、その前で祈りを捧げる、というのが重要なミッションでした。バドリナートは「カイラス山と一対となっている両目の一つ」と言われるほど大切な聖地なのです。ちなみに、アーディ・シャンカラは、約1300年頃前に活躍された方であり、インドで初めてとなる寺院を建てられ、「不二一元」の教えを説かれて、現在のヒンドゥー教の基礎を築かれた非常に偉大な聖者です。日本の時代で言うと、奈良時代で、聖武天皇から「東大寺の大仏」を造立するように命じられた偉大な仏僧である行基菩薩と同じ頃になります。 ✧ ✧ ✧ まず、そのシャンカラ・アーチャリアが建てられた寺院であるジョーティル・マットの聖地にたどり着くまでの話をしたいと思います。私はガンジス川の上流にあり、ヨガの聖地として有名な「リシケシ」に列車で行きました。そして、そこからさらにヒマラヤの北部に向かうため、「ルッドラ・プラヤーグ」行きのバスに乗りました。すると、その車中で、私の前の席に座っていた中年のインド人の男性に声をかけられました。彼は、中央インドに位置するハイデラバードから来た巡礼者で、「ジョーシーマット」にあるヒンドゥー教のシヴァ神がお祀りされている寺院に、お参りにいくところだということでした。私が「シャンカラ・チャリアの寺院である『ジョーティル・マット』に行くつもりだ」というと、彼は「その寺院はバドリナートではなく、ジョーシーマットにあるはずです。私がそこに案内しましょう」と言ってくれました。ヒマラヤについての情報をほとんど持たず、何も知らなかった私のために、アンマがわざわざ、ハイデラバードからガイドとなる親切な男性を送って下さり、リシケシから乗るバスの中で、私達が出会うようにセッティングして下さったように思われました。なぜなら、彼はハイデラバードの製薬会社に勤めている普通の会社員なのに、どういうわけか、このタイミングで休暇を取って、ジョーシーマットの寺院に参拝するための5日間の弾丸巡礼だったからです。リシケシからルッドラ・プラヤーグ方面に向かうバスは1日に何本もあったので、私達が同じバスに乗って、前後の座席に座り、彼が私に興味を持って話しかけてきて、友達になるという確率は、かなり低いように思われました。このような神様の恩寵と、彼の存在のおかげで、私は何の問題も苦労もなく、スムーズにジョーティルマットにたどり着くことができました。宿も食事もバスもすべて彼が見つけてくれ、更には英語とヒンディー語の通訳もしてくれるので、私はただ彼について行くだけで良いのでした。初対面で、バスの中で出会っただけなのに、彼はいつも笑顔を絶やすことなく、「完全なガイド」となって、私を導いてくれました。ジョーシーマットに着くと、彼は自分が行く予定だった寺院を訪れる前に、私をシャンカラ・チャリアの寺院に連れて行ってくれました。 ✧ ✧ ✧「ジョーティル・マット」はアーディ・シャンカラが設立した四大マト(僧院)の一つですが、その中でも特に重要な「霊的な中心」であり、アーディ・シャンカラの四大弟子の一人である「トータカー・チャーリヤ」の流れを継いでいます。ジョーティルマットの門をくぐると、お堂がありました。中に入ると、何とそこに第56代シャンカラ・アーチャーリアがおられたので、御挨拶させて頂くことができました。日本から来たことやこの聖地に導かれた経緯、今、映画製作の準備をしていること、できればその物語の中でアーディ・シャンカラやその思想である「不二一元」などを紹介したいと考えていることなど、いろいろなことをお話しすることができました。すると、アーチャーリアは「洞窟に行って、瞑想をしなさい」と言われました。教えられた通りに、僧院の中にある洞窟に行くと、そこには祭壇があり、クリスタルのシヴァ・リンガムが安置されていました。私は「もしかしたら、これが、1300年前に、シャンカラがカイラスから持ち帰られたシヴァ・リンガムなのかもしれない」と思いながら祈りを捧げました。 ✧ ✧ ✧翌日も洞窟に行って、祈っていると、洞窟を管理されているスワミジが現れて、シヴァ・リンガムの説明をしてくださいました。やはり、このシヴァ・リンガムはシャンカラがカイラスから持ち帰られた、この上なく貴重なシヴァ・リンガムそのものなのでした。私はこのリンガムの前で祈りを捧げるために、インド最南端のケララ州から遠路はるばる訪れてきたのでした。私はスワミジに伺いました。「このシヴァ・リンガムにはプージャ(礼拝の儀式)をされるのでしょうか?」と。すると、朝6時から、毎日されるとのこと。私が「その場に立ち会うことができるでしょうか?」と聞くと、彼は笑顔で「イエス」と答えられました。お陰様で、私は翌朝に行なわれるシヴァ・リンガムへのプージャに参加できることになりました。 ✧ ✧ ✧翌朝に行なわれたプージャの最中のこと。スワミジは私に「あなたはマーラー(数珠)を持っていますか?」と聞いてこられました。私は、以前、アンマが身に付けておられたルドラクシャのマーラーを購入して首にかけていたので、「はい」と答えました。すると、「それを出しなさい」とのこと。私が差し出すと、なんと、彼はそれをシャンカラのシヴァ・リンガムと一緒にヨーニの石の上に置かれました。そして、一緒に聖水をかけて、アビシェーカムをされたのでした。果たして、こんな特別な祝福があり得るのでしょうか?私が身に付けていた「アンマのルドラクシャのマーラー」が、「シャンカラのクリスタルのシヴァ・リンガム」に触れて、一緒に置いて頂いて、聖水をかけて頂くとは・・・。(まさに、これは地球上に一つしかない「聖なるマーラー」であると言えるように思われます。)「オー・マイ・ゴッド! オー・マイ・シャンカラー!! オー・マイ・アンマ!!!」」私のマーラーが返されて、首にかけ直すと、今度は、スワミジは同じ祭壇に置かれているシャンカラ像のところに行き、それまでシャンカラの肩にかけられていた「黄色のショール」を取って、私のところに来ると、それを私の肩にかけて、祝福し、贈呈してくださいました。それは、想像を超えるような有り難い祝福でした・・・。 ✧ ✧ ✧黄色いショールを肩にかけて頂いた後、さらにすごいことが起きました。ジョーティル・マットの近くにある「満願成就の木」のところで過ごしていると、スワミジが現れてきて、こちらに来なさいと言われます。ついていくと、そこは、アーディ・シャンカラがヒマラヤから戻られた後、5年間瞑想されたと伝えられている「聖なる洞窟」でした。ジョーティル・マットの中にある洞窟は、アーディ・シャンカラの直弟子である初代のトータカー・アーチャリアが修行された洞窟であり、寺院のすぐ近くに、アーディ・シャンカラが瞑想された洞窟があるのでした。鍵を開けて、洞窟の中に入ると、スワミジは「しばらくここで瞑想すると良いです」と言われました。瞑想を終えた時、彼は、洞窟の奥にあるくぼみから何かを取り出してきて、私に差し出されました。それは「小さな黒い石のシヴァ・リンガム」でした。スワミジは私にそれを下さいました。 そして、私のカメラを手に取ると、記念写真を撮って下さいました。いつもは鍵がかけられている「アーディ・シャンカラが5年間瞑想された洞窟」で、「アーディ・シャンカラのご像」と並んで写真撮影をすることが出来るというのはいつでも与えられる機会ではありません。せっかくなので、私は先に頂いていた黄色いショールをバッグから取り出して、肩にかけて、撮って頂きました。 ✧ ✧ ✧5日ほど滞在して、ジョーシーマットの町を去る前に、ジョーティル・マットに伺って、スワミジに挨拶をすると、スワミジは言われました。「あなたは映画を作ることが出来ます。その映画が完成した時、あなたはそのことを報告するために、もう一度、ここにくるでしょう」聖者アンマの「聖なる予言」に次いで、今度はヒマラヤで過ごされているシャンカラのお弟子さんであるスワミジから、二度目となる「聖なる予言」を頂いて、私はジョーシーマットを後にしました。 ✧ ✧ ✧私は、「ヒマラヤ産のトゥルシー」で作られたマーラーを「バドリナートの聖地」に持って行き、標高3,300mの高地を流れている「ガンジス川」に浸して、浄めました。そして、アンマのアシュラムに戻ると、アンマのダルシャンを頂いた時に、ヒマラヤ巡礼を導き、守って頂いた事への感謝を捧げ、その感謝の気持ちをヒマラヤ産のトゥルシーのマーラーに込めて、そのマーラーを直接アンマの首にかけさせて頂きました。アンマはその日のダルシャンが終わるまで、「ヒマラヤン・トゥルシー・マーラー」を首にかけていてくださいました。そして、お部屋に戻られるために、椅子から立ち上がられる直前、そのマーラーを首から外されました。そして、外されたマーラーを右手に丸めて持たれると、アンマご自身の額に付けて、祈りを捧げられました。その短い祈りのお姿は、本当に美しいものでした。南インドの大聖者アンマ、いつもすべてにおいて誠に有り難うございます。「オーム アムリテーシュワリイェイ ナマハ!」アムリタプリのアシュラムにあるカーリーテンプルの前で。南インドの正装の姿です。 ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡ ♡