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八王子の夕焼けの里でniftyの「清水中世史研究所」(八王子地域の中世の郷土史)とYahooで「清水太郎の部屋」として詩を書いてます。

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97年の時を超えて、私の部屋の階段へ、タイムスリップした貴方は私の小さな叔父さん。父の弟で、祖父石太郎の5男坊、でも6歳で天の国へ帰った。写真は魂を吸い取る?時を止める?この中に、逢いたいと願う祖父はいないが、貴方が微笑んでいる。もと(元一)キミの名前!旅立つ前の幸せそうな、家族と過ごしている貴方!曽祖父(清兵衛)は息子に、石太郎と異母弟の清太郎と名前を付けた。祖父は次男の父に清正と名付けた、何故なのか判らないが、父を継嗣とした。従姉と何故なのかと語りあったばかりだ!「清水の男達は長生きだ」と言うので、「繁吉叔父はそうでもなかったよ」「あの叔父さんは真面目過ぎたからね!」父は89歳まで生きた、兄の国定とすぐの弟の喜市は90歳を超えて、天の国へ帰った!父は反面教師の存在、そんな父に清水を託した、祖父の思いが理解できなかったが、太郎の名前を頂き、69歳の今になってようやく納得できた。父は死んだ時刻に、鹿沼の弟の所へ入った?「タロウ、救命丸飲んでいいかなぁ~」「ダメだょー」その会話が交わした最後の言葉だった。あの時「幾らでも飲みなぁ~」と言ってあげなかったのを今でも悔やんでいる。母も大往生、父も母も息子孝行?下の世話を妻にさせなかったから!私は妻と京都で出逢った、三千院への坂道で妻の友人達と歩いている時に、「こんなひと(女)と一緒に?」と思った!三十三間堂の渡り廊下を歩いていると正月で僧侶が浄目の水をカケテいた、私の肩から顔に水が降り注いだ。この年の6月に結婚式を挙げた、10年目に娘が生まれたが、妻が娘を身ごもった時に、立川駅の北口?で赤ん坊を背負っている私が立っている夢だった。団地で暮らしたが、近くの日枝神社へお宮参りをして、玉垣に名前を刻んむ事ができた。団地から宝生寺団地へ引っ越して最初に家を買える事が出来た!死ぬまで住みたいと思った、その家を売り、娘の所に住んでいる。この地は、私の生まれた家から直線距離で300メーター位か?大昔、慈根寺(じごじ)と言う名刹があった処。鎌倉末期から南北朝記にかけて、其処へ儀海上人さんが訪れて学んだ場所、天正期に母の志村氏が北条氏照公の元で暮らした処。娘がこの地を何故選んだのかまだ聞いていないが、不思議なご縁の土地です。虐待で、災害で、幼くして生を全う出来ない子供達がいる。私にはその子達の魂を救う力は無い、「神さま子供達の魂は救われますか?」と問いかけるだけ?二人の孫たちに出会うために私は生かされて来たと思ってきたが、自分のDNAを受け継いだ、血縁のキミに気がついた、キミがモット生きたいと願っていたと事にも!キミの所から、孫たちの巻笑いの声が聞こえるだろう?嫉妬しないで、私の目を通して眺めてね!私の生が終わるまで、共有してね?私が孫たちに教えるのは魂をリレーすると言う事、孫たちから孫たちへ!次ぎ次ぎと、それが神さまが私をこの世に存在させた意味だと思うのです。

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