たろうさんの地震記録! | たろうくん(清水太郎)のブログ

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八王子の夕焼けの里でniftyの「清水中世史研究所」(八王子地域の中世の郷土史)とYahooで「清水太郎の部屋」として詩を書いてます。

今日は、明日は平成7117日の朝に阪神淡路大地震があったのですね!Facebookの友だちから、「黙祷をお願いします」と頼まれました!そのまま返事が出来ずに居ました、友人はご家族を亡くされたり、危うい目に遭われているそうです。多くの方々のご冥福をお祈りします!3.11の大地震の時には丸美屋さんの本社で、定年退職の仕事の引き継ぎをしている最中でした。地下にある運転手の部屋から飛び出すと、電柱が揺れ、暫くするとまた揺れました。八王子の社長さんのお宅まで帰るのに、自動車で6間かかりました。洋子さんは家のシャンデリアがゆらゆら揺れ、本などは落ちなかったそうです。娘は立川のルミネのマツキヨに居ました、無事帰れました。その日を境に、私も考え方が変わりました!更に多くの方が亡くなられ、今もその影響が残ったままです。其れよりも昔、大正1291日の関東大震災の時に、母は元八王子町の私の住んでいる所で道路が波いっていたと話していました、15歳の頃です。機織りの女工さんだと思います、最近従姉が教えてくれたのですが、父は祖父の言いつけで、兄を迎えに今の北区王子から歩いて、丸の内の中央郵便局本局まで行ったそうです。20歳前だと思います、兄は臨時の内勤として働いていたそうです。今年は暖か過ぎますね、私は引っ越してきたときに、20リッターのポリタンク3個に墨を入れ保存しています。娘の部屋で寝ている孫たちの安全を確認し、自分の部屋のパソコンとプリンターに100円ショップで買ったジェルを置き、洋子さんの部屋の仏壇とテレビにもジェルを置きました。電気が止まってもポロパンなので、火は使えます。フロの水は孫の安全のために抜いてあります。私の隣の部屋に10リッターの予備の水を
も置いてあります、最悪の時は近くの川で水を汲み使う積もりです。乾パンの用意が未だです、食べ物は3日分くらいの蓄えをして置きたいです。家は私たちの部屋を増築したので、L型になり、どちらからの揺れにも強くなったと勝手に思っています。備えあれば憂いなし?私が以前スポーツ用品の問屋に勤めて居た、45年前に茅ヶ崎のハーフ&ハーフにアシックスのシューズを大量に収めました、避難用にお客さんが欲しいとの事でした。其れから関東では幸いなことに大きな地震がありません!


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