執念が、道を拓く!今日3月10日は、不思議な出来事があった日です。志村の先祖と本当に繋が... | たろうくん(清水太郎)のブログ

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八王子の夕焼けの里でniftyの「清水中世史研究所」(八王子地域の中世の郷土史)とYahooで「清水太郎の部屋」として詩を書いてます。

執念が、道を拓く! 今日3月10日は、不思議な出来事があった日です。志村の先祖と本当に繋がった日となったのです。私は、清水中世史研究所として平安時代末期から天正期までの多摩地域と八王子市の郷土史を研究しています。清水家は、祖父が富山市五福から豊島郡に来てからの歴史だけです。母方の志村氏は元八王子に天正期の頃に、北条氏照公に仕えた家臣の志村将監が先祖です。八王子城落城後は土着して、名主も勤めた家で新編武蔵風土記縞にも記述があります。母の祖父は、嘉十郎と云います。カサンキョと呼ばれた家の長男でしたが、分家したのです。この家も志村の総本家から分家したと思われます。嘉十郎から勘蔵、夫婦と長吉の名前を刻した三段の墓塔を建てたのが、母のタツです。細長い墓地に三段の墓塔が有るのみで、所々に自然石が置いて有る、墓相の悪いと思える墓所でした。子供の頃は、其れを知りませんでした。妻と結婚して、私がお墓を管理するようになりました。狭くして、囲いを作り、墓碑を横に建てたのです。墓碑には、印されていなかった人たちも刻しました。そして、父母に父の叔父夫婦と義治叔父の後妻の骨壺をカロとへ納めたのです。カサンキョの志村家は、現在八王子市内に住んでいます。飯田家の隣にカサンキョの志村家の墓地があるのです。その石垣の奥に、脇に嘉十郎と刻んだ墓塔を見つけました。孫たちの体調が良くないので、本家と分家や所縁の墓所に、水を注いで来たのです。最近求めた、iPadAir2でカサンキョの墓地を撮影して帰りました。其の写真を見ると近くでは見えなかった戒名が、浮かんで見えたのです。判読が難しい文字を検索して調べてました、没年はまだ解りません。此れから先の調査となります。探していたのは、伴七の墓石だったのです。文化二年と刻まれているのが確認出来ました。蝮の呪いと新編武蔵風土記縞にも記述がある、人が伴七なのです。タローよく見つけてくれたね!60年まってたよ〜〜 iPadから送信

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