2010年2月 7日 (日)
北条氏照書状(秋山断氏所蔵文書)
北条氏照書状は下山冶久著『八王子城主・北条氏照』285頁に年月未詳文書として載っている。天正十八年(1590)三月二十日北条氏直版物写(相州文書・3688)では北条氏光に豊臣勢が侵攻してくるので足柄城に在城し着到(600人カ)の他に足軽100人を付けて鉄砲・弓・鑓を嗜み忠節を尽くさせたとある。この文書の内容と北条氏照書状の内容が似ているので、北条氏照書状も天正十八年三月二十日の時のものであると思われる。北条氏照の家臣団については「天正期における北条氏照家臣団」「tenshiyoukiokeru-houjouujiteru-kashindanno-kenkiyuu.doc」をダウンロードを参照されたい。この論考では天正初年頃であると述べたが、この北条氏照書状は北条氏照の天正期最後の家臣団を記したものであることに注目したい。そして、この文書に記された人々を知ることで北条氏照の家臣団研究が前進することと思う。下記にこの文書の全文を記す(本文は縦書き)。
(折紙)
加勢衆鉄砲
一丁 石原主膳
二丁 嶋村
二丁 由木
一丁 車丹波衆
一丁 大石四郎右衛門衆
一丁 同左近衆
二丁 大藤手組之内
以上十丁
(北条氏光)
一、右衛門佐殿御手前、敵之取寄近来候、今夜為加勢遣
候、申端可被仰所、加治左衛門ニ指添可遣事、
一、玉薬二百放可指添候、□□可渡事、加治□□
一、加治左衛門為物主指越候、彼者如申可走(廻)候、少も油
断不可致、虎口可走事、
右之条ゞ 猶仰所、直ニ可被申付候、
以上
(年月未詳) (北条)
廿日 氏照 (花押)
(秀信)
大石四郎右衛門尉殿
大石左近丞殿
【石原主膳】甲斐武田氏の家臣山県昌景の鉄砲衆であり、天正十年の武田家の滅亡後、北条氏照に仕えたと思われる。のちに、井伊直政に仕えたか。年月未詳野村高貞軍忠状写(『武州古文書上』ー401頁)にその名前がある。
【嶋村】武蔵国多摩郡の地侍。『新編武蔵』多摩郡元八王子村(東・八王子市)の岩見屋敷の条には「八幡森の東の方なり、氏照の家臣島村岩見守信正の屋敷なり」とある。水府系纂によれば「島村孫衛門某初名彌之介父ヲ岩見某ト云八王子ニ住シ北条氏照ニ仕テ百人組ノ同心頭タリ天正十八年庚寅六月廿四日(三日)氏照戦ニ負テ自殺ノ時岩見モ共ニ死ス孫衛門父ノ死後越前中納言秀康卿ニ仕フ…」とある。水府系纂には弟に刑部左衛門信勝がいる。
【由木】武蔵国多摩郡の国衆。氏照の家臣には由木豊前守と由木左衛門尉景盛の二家がある。この由木氏については「越前騒動と由木氏」「etizennsoudouto-yugishi.doc」をダウンロードを参照されたい。
【車丹波衆】車丹波守 武蔵国滝山城(東・八王子市)城主北条氏照の家臣。使者を務める。年月未詳八月二十三日北条氏照書状写では奥州の白川義親に佐竹義重が侵攻してくるために下野国那須口の事について報せ、使者を車丹波が務めた。
【大石四郎右衛門】秀信・初名源七郎・四郎右衛門尉・遠江守。松田筑前守の三男。武蔵国滝山城主北条氏照の家臣。大石綱周の弟遠江守の娘を室とし娘婿として家督を相続。『異本小田原記』四巻松田由来の事に「松田筑前守三男源七郎、是八王子大石遠江守といふ人、三増合戦に甲州に生け捕られ、その跡に女子一人ありしかば、氏康の御意にて彼源七を大石の聟として其跡を継がしめ大石四郎右衛門と申す」とある。氏照の家臣として重用された。
【大石左近丞】この文書以外不明であるが、文書の最後に記されている所からすると、大石綱周の弟信濃守の養子となり家督を継いだ大石照基の可能性がある。照基はもと松田惣四郎と云う。
【大藤手組之内】大藤政□・小太郎。北条氏の家臣。紀伊国高野山(和・高野町)高室院所蔵の『文化四年五月十五日 北条家並家臣過去帳抜書』に「妙連 相州小田原、大藤小太郎殿御乳人 天正八年(1580)閏三月日 智大院取次」とみえる。年月未詳三月十六日大藤小太郎政□書状(二見文書・4342)では方円寺に書状を出して挨拶し、「大藤小太郎政□と署名。年月未詳文書十二月三日清水正花武功覚書(高崎市清水文書・群馬県資料編七-三六九四)では元亀二年(1571)の駿河国長窪城(静・長泉町)の武田信玄との戦いで大藤小太郎が忠節を尽くして働いた事を記す。天正十八年七月の小田原城開城後に徳川家康に仕え、結城秀康の家臣。『新編武蔵』多摩郡下由木村(東・八王子市)の条に大藤小太郎の墓がみえる。
【加治左衛門】武蔵七党の丹党の一族。『寛政譜』巻一三八三に加治氏系図を載せ「兵庫太夫頼胤が関東管領上杉憲政に仕え、その子修理亮胤勝が北条氏康ニ仕えた。その子左衛門次郎正胤は北条氏照に属し、天正十八年に加治郷赤沢村に住んでいたところ徳川家康から呼び出されて御家人となり代官職となった」と記されている。この人であろう。
*この文書の人名は下山冶久編『後北条氏家臣団(人名事典)』東京堂出版を参考にしました。抜粋して引用してあります。