後深草院二条 | たろうくん(清水太郎)のブログ

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八王子の夕焼けの里でniftyの「清水中世史研究所」(八王子地域の中世の郷土史)とYahooで「清水太郎の部屋」として詩を書いてます。

後深草院二条

儀海の時代にかさなる?素晴しく魅力のある女性がいた、後深草院二条である。史料には現われないが何処かに接点がないのか今後の研究課題である(以下Wikipediaからの引用による)。


後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう、正嘉2年(1258年) - 没年不詳)は鎌倉時代中期の女性。『とはずがたり』の作者とされている。

父は中院大納言源雅忠、母は大納言典侍(四条隆親の娘)、叔母に式乾門院御匣(歌人)がいる。後深草院に仕える女房であり愛人[注釈 1]。母大納言典侍は幼少だった後深草天皇に「新枕」をさずける役であったが、何人かの公卿に「ぬしづかれて」最終的に雅忠の妻となった[1]。母は二条を生んだ翌年(1259年)に亡くなっている。

父も二条が14歳のときに亡くなった。孤独の身となった二条は、後深草院の寵愛を受けながらも[注釈 2]「雪の曙」(西園寺実兼とされる)、「有明の月」(仁和寺御室性助入道親王・法助法親王の両説あり)、亀山院らとの関係を「とはずがたり」で赤裸々に綴った。

26歳のとき、後深草院の中宮である東二条院の排斥にあい一旦御所を退くも、その2年後大宮院(後嵯峨中宮、後深草・亀山両天皇の母)の女房として再び出仕。その後出家し、修行の旅に出て、東国西国の各地の寺社を詣でる。

1.^ 正式な后妃ではなく、いわゆる召人である。
2.^ 吉田精一は、後深草院の二条に対する愛情には父性愛のようなものが含まれていたのではないかとしている。吉田(1972)
『とはずがたり』(とわずがたり)は、鎌倉時代の中後期に後深草院二条が綴ったとみられる日記および紀行文。

誰に問われるでもなく自分の人生を語るという自伝形式で、後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、後深草院や恋人との関係、宮中行事、尼となってから出かけた旅の記録などが綴られている。二条の告白として書かれているが、ある程度の物語的虚構性も含まれると見る研究者もいる。5巻5冊。1313年ごろまでに成立した模様である。

この日記は、宮内庁書陵部所蔵の桂宮家蔵書に含まれていた桂宮本(後代―江戸時代前期の写本)5冊のみ現存する。1940年(昭和15年)山岸徳平により紹介されるまでは、その存在を知る者も少なかった。天下の孤本といわれる。書陵部(当時は図書寮)で『とはずがたり』を見出した山岸は、『蜻蛉日記』にも対等すると直感したという。山岸により「国語と国文学」9月号で「とはずがたり覚書」として紹介された。一般への公開は1950年(昭和25年)の桂宮本叢書第15巻が初である[1]。なお、鎌倉時代後期にさかのぼるとみられる古写本一種類の断簡が数点知られるが、本文は書陵部本と差異が大きい。

主な登場人物 [
「二条」:久我雅忠の娘。「あかこ」と呼ばれる。童名とする説と、吾が子(あがこ)とする説がある。
「後深草院」:二条の主人。
「雪の曙」:西園寺実兼と見られる。
「有明の月」:阿闍梨。性助法親王と見られるが、法助という説もある[2]。
「亀山院」:後深草院の弟。
「近衛大殿」:鷹司兼平と見られる。

あらすじ [編集]
第1巻:二条は2歳の時に母を亡くし、4歳からは後深草院のもとで育てられ、14歳にして他に想い人「雪の曙」がいるにもかかわらず、後深草院の寵を受ける。院の子を懐妊、程なく父が死去する。皇子を産む。後ろ楯を亡くしたまま、女房として院に仕え続けるが、雪の曙との関係も続く。雪の曙の女児を産むが、他所へやる。ほぼ同じ頃、皇子が夭逝。
第2巻:粥杖騒動と贖い。「有明の月」に迫られて契る。女楽で祖父の兵部卿・四条隆親と衝突。「近衛大殿」と心ならずも契る。
第3巻:有明の月の男児を産むが、他所へやる。有明死去。有明の男児を再び産むが、今回は自らも世話をする。御所を退出。
第4巻:尼となったのちの日々。熱田神宮から、鎌倉、善光寺、浅草へ。八幡宮で後深草法皇に再会。伊勢へ。
第5巻:厳島へ、後深草法皇死去。跋文。

『源氏物語』の影響 [編集]
若紫:後深草院は想いを寄せていた自身の乳母であった、大納言典侍(だいなごんのすけ)の娘である二条を引き取るが、これは『源氏物語』の若紫を連想させる。
女楽:若菜・下巻にある女楽を模して行うことになったが、紫の上に東の御方、女三宮に祖父・隆親の娘があてられ、二条は一番身分の低い明石の御方として琵琶を弾くこととなる。

『増鏡』との関係 [編集]

『増鏡』(南北朝時代成立)には、『とはずがたり』の文章が数段にわたって用いられている。また、『とはずがたり』発見以前には後深草天皇の女性関係に関する記録が乏しく、『増鏡』における同天皇の女性関係の記述を創作、あるいは弟の亀山天皇のものとの誤認説を唱える学者もいたが、この書の発見以後『増鏡』の記述に根拠があることが確認された。

翻訳 [編集]

日本国外でも翻訳されており、1981年にはブルガリアで(ツベタナ・クリステワ訳)出版され[3]、3万5000部[4]以上を売り上げるベストセラーとなった。

主な版本 [編集]
『とはずがたり』 福田秀一校注、新潮日本古典集成、新潮社、初版1978年
『とはずがたり』 次田香澄全訳注、講談社学術文庫 上・下、1987年
『校注 とはずがたり』 松村雄二編、新典社校注叢書、新典社、1990年  
『とはずがたり、たまきはる』 三角洋一校注、新日本古典文学大系、岩波書店、1994年
『建礼門院右京大夫集、とはずがたり』 新編日本古典文学全集、小学館、1999年

関連作品 [編集]
伝記・作品論 松本寧至 『中世宮廷女性の日記 「とはずがたり」の世界』 中公新書、1986年 新版 『女西行 とはずがたりの世界』 「勉誠新書6」 勉誠出版、2001年

西沢正史、藤田一尊 『後深草院二条 「とはずがたり」の作者』 「日本の作家100人 人と文学」 勉誠出版、2005年
富岡多恵子 『とはずがたり 「古典の旅9」』 講談社 1990年、講談社文庫、1998年(後者は「とはずがたり」を旅しよう)
小説 瀬戸内晴美 『中世炎上』 新潮文庫 1989年、「全集8」新潮社 瀬戸内晴美 『とわずがたり 現代語訳』 新潮文庫、1988年

杉本苑子 『新とはずがたり』 講談社、1990年 講談社文庫 1993年 
森真沙子 『化粧坂』角川書店、2001年
奥山景布子 『恋衣 とはずがたり』 中央公論新社、2009年
映画 実相寺昭雄監督 『あさき夢みし』 中世プロ、日本アート・シアター・ギルド、1974年 
漫画 宮千恵 『後深草院二条 現世の愛欲あわれ永遠へと願う夢の浮き橋』 世界文化社「ロマンコミックス 人物日本の女性史16」
いがらしゆみこ 『とはずがたり』「マンガ日本の古典13」 新版が中公文庫
海野つなみ 『後宮』 講談社コミックスキス 全5巻
美桜せりな 『とはずがたり』 小学館フラワーコミックス 全3巻
戯曲 キャリル・チャーチル(英語版) 『トップ・ガールズ(英語版)』 1982年初演