真言僧儀海の足跡
真言僧儀海の足跡――鎌倉末期から南北朝初期を求法に生きた僧―― 清水太郎
はじめに
日野市高幡不動尊金剛寺の中興開山権少僧都儀海は鎌倉期の弘安二年(一二七九)から文和三年(一三五四)までの生涯の大半を、新義真言宗教学の研鑽に情熱を捧げた僧である。この間の様々な人々との出会いや出来事を通じてこの時代を理解したい。
儀海の足跡は奥州小手保の甘露寺、下野小山の金剛福寺、常陸亀隅の成福寺、武州横河の慈根寺、同じく北河口の長楽寺、相模鎌倉の大仏谷や佐々目、山城醍醐 の三宝院、紀州高野山金剛峯寺、同じく蓮花谷の誓願院、紀州根来の大谷院、同じく豊福寺中性院など各地の談義所を繰り返し訪れている。その地を辿ることに よって、従来等閑視されてきた儀海の研究を深めていきたい。
各地における儀海の足跡図(現存しない寺を含む)
①陸奥川俣甘露寺 福島県伊達郡川俣町(不明)②下野金剛福福寺 栃木県小山市(不明)③常陸亀熊成福寺 茨城県桜川市真壁町亀熊(不明)④武蔵慈根寺 東京都八王子市元八王子町(廃寺)長楽寺 東京都八王子市川口町(現存)高幡不動 東京都日野市高幡(現存)⑤鎌倉大仏谷・佐々目 神奈川県鎌倉市(地名 有)⑥醍醐三宝院 京都府伏見区醍醐(現存)⑦高野山金剛峯寺・誓願院 和歌山県伊都郡高野山(誓願院は不明)⑧紀州根来大谷院・豊福寺中性院 和歌山県 岩出市(根来寺の前身)
儀海についての研究は櫛田良洪著『真言密教成立過程の研究』正(昭和三十九年)・続(昭和五十年)、細谷勘助氏「儀海の布教活動と中世多摩地方」(『八王 子市郷土資料館紀要第一号』)、高幡不動尊金剛寺貫主川澄祐勝氏「儀海上人と高幡不動尊金剛寺」(『多摩のあゆみ』一〇四号平成十三年)などがある。それ らの著述の基となるのは昭和十年に著された黒板勝美編『真福寺善本目録』正・続二冊(昭和十年)である。現在は智山伝法院編『大須観音真福寺文庫撮影目録 上・下巻』(平成九年三月三十一日発行)がこれを補っている。
名古屋市大須の真福寺開山である能信は、その伝に「赴東部、謁高幡不動儀海和上、探中性一流之源底、今吾寺称武蔵方是也」とあり、儀海を師主として、新 義教学の布教につとめた。師主儀海は事教二相の達人で、法脈を「虚空蔵院儀海方」と称し、それは能信に附法され「武蔵方」といわれる。儀海が諸地域で書写 した密教経典は、能信をはじめとする弟子たちによって書写され、この写本を通して、また各地方に転写されていったので、教学は関東のみならず、広く広範囲 に伝わることとなった。また、能信は真福寺を開くにあたり、自ら書写したものを含め、多くの経典を名古屋へ移したが、それらはまとまった形で今日に伝えら れている。それゆえ私たちはこの経典に奥書を通して、儀海の行動を知ることができるのである(『細谷勘助』)。