麻雀は実に面白い。たくさんの役があり、まるでなんとかレンジャーの技のように実に様々だ。その一つ一つを丁寧に教えてくれた人間がいた。私はビル・エヴァンスのワルツ フォー デビーを聴きながら画面上の牌を打つ夕刻に満足していた。大学に通う電車の中では専らスマホで麻雀をしていたし、授業の間は麻雀で失ったスマホの充電をした。バイトもない日は必ず夕食後にビールを飲み電子タバコを蒸かしながら液晶の中の牌を打つ。ちょっとした日課だった。

 当時はツイッターというものが流行っていたし、私もしていた。私が珍しく麻雀のことをつぶやくと、彼は持ち前なのか素早いレスポンスで返信をくれた。麻雀を教えてくれるというのだ。麻雀初心者の私にとって、教えてくれる人がいるのは何よりだった。何故なら、当時の世間にとって、麻雀と言えば悪いイメージしか持たれなかった。初心者が下手に突っ込めば鴨られて人生が詰んでしまうからだ。

 彼は京一という私より2つ上の薬科大学の研究生だった。私よりもずっと知的で、どの男の人よりも紳士的に見えた。同時に、自分がかなりふしだらなことにも感じた。潮時とはいえ、お付き合いしている男性がいるというのに、ほかに目移りしてしまうなど、若気の至りという言葉がぴったりで、その言葉によって自分を正当化しようとしている自分は、なんて狡い女なのだと考えた。特に彼は素敵だった。背もそこそこあり、落ち着いた雰囲気のある渋い男性。少し前に会ったことがあるからこそわかる彼の魅力は、その辺の同年代には理解し難いだろう。いいのだ、私にだけわかれば、私だけのものにできるから。

 そして、ついに京一さんと連絡の取りあいが始まりました。思い切って連絡先を渡した甲斐があったと喜んだ。私は浮気という事実を抱えて、歩き出したのです。先ずは今まだお付き合いしている男性が俊という名前だということ、そして私の一つ上だということ、社会人なのに気が利かなくて、知性の欠片もない人だということと、俊くんのいいところを少しだけ挟みながら、京一さんに話した。十一月の半ばのことだったと思う。私がお付き合いしている男性がいるのに、京一さんを好いと思っていることを打ち明けた時、京一さんは困った顔をして、「じゃあその潮時の彼との蹴りを君がつけてくるまで待っているよ」とだけ言って、話題はお互いの趣味の話に切り替わった。「約束」と言わずとも私たちは約束したのだ。そして、クリスマスの日に二人で夜を過ごす予定を取り付けて、また連絡することになった。それから連絡は絶えずしていた。一方の俊くんには少しも連絡をせず、別れを

意識させたかった。が、しかしそこはさすがの鈍感な人。そのことをちっとも解りませんでした。困った私は、十二月が過ぎると別れると心に決めて、京一さんとの連絡を絶やしませんでした。

 京一さんは煙草の似合う人で、静かに嗜む姿は素敵以外の言葉が見つからなかった。京一さんのことを思い浮かべる度に、俊くんと早く別れたい気持ちが先走った。彼が嫌いだったわけではないし、ただ、好きという感情が彼に対してなくなっただけだから、余計に別れる文句を探すのに手間取った。絶対にしてはいけないと思っていたが、心は自然と俊くんと京一さんを比べてしまっていました。勿論、京一さんの圧勝に終わっていた。此れ程迄に熱したのは、だいぶん久しぶりのことだった。

 京一さんには話していないことが一つだけあった。それは四年越しの片思いのことだ。私は高校時代、十も離れた先生を好きになったことがある。その思いは時を越え、卒業するとすぐに先生と連絡を取り合うようになった。さらには先生の家まで連れて帰ってもらった、つまり、そういう関係になったのだ。うれしさ半分、悪いことをしているような罪悪感が半分、スリルにも似たような感覚になった。それでも私と先生の関係は止められなかった。

 ある日、先生と約束して家に行った夜のこと、私は先生とつながりそうになった。でもそうしなかった理由は月に一度、女が悩むアレだったからだ。そうでなければ完全につながっていたことだろう。それから丁度ひと月くらいかしら、また同じことを繰り返した。やりたいだけの先生には誤算があった。私の周期がぴったりだったのだ。私は先生にまだチャンスがあると思って、ネックレスを部屋に残したまま、自分の家へ帰ったが、そう思っていたのはどうやら私だけのようだった。家へ着くと直ぐに連絡したのだが、別れ際に何かを察した私が惜しんで先生の頬にしたキスがどうやら最後だったみたい。そして、恋焦がれた先生は他の女の人と結婚してしまった。

 このことは、最後の最後まで秘密にしておきたかった。というのも、どれだけの人と付き合っても、必ずその人と重ねてしまうからだ。相手には大変申し訳ないのだけれど、自分の中で、先生を超える人に出会うまではこれを癖だと思い込むようにした。しかし、それももうそろそろ卒業する時が来たと感じた。それは言うまでもないだろう。