今年、私の住む北海道は、命名150年とやらで(おそらく明治礼讃の政府の指示で、道庁は、なにかにつけ)盛り上がろうと、色々仕掛けたりしてはいたようですが、観光客誘致など、収益増に繋がることとは直接無関係の多くの道民には、全くと言っていいほど、興味を示さないままに終わろうとしています。でもこの道民のリアクションは、実に正しかったように思います。

わが北海道の歴史は、まず開拓民による、大規模な森林破壊の歴史でもあります。
のどかにホルスタイン牛が草を食む牧歌的な北海道の代表的な風景も、実はかけがえのない広大な原生林の大量破壊により、つくられた人工的な自然風景なのです。
牧草地は、大気浄化やダム作用など、環境保全には殆ど機能しないどころか、家畜の排泄物が川や湖沼の汚染の原因にもなっています。

そして正真正銘の先住民でもある、アイヌの方々が、何ゆえに、和人から見下され、騙されたりと差別や迫害まで受けないといけなかったのでしょうか?
移民問題が今、世界で問題になっていますが、フツーは移民側の方が不利で弱い立場でもあるのに、明らかに移民の和人の方がデカい顔とは主客転倒もいいとこです。
それでもアイヌの方々は、そんな移民の和人を、まずいじめたりしません(稀に和人の目に余るアンフェアさに耐えきれず蜂起したことはありましたが)でした。
ホント、愚かな先祖達を持つ私は、アイヌの方々には、申し訳なさで、いっぱいにもなります。

さらには、おとなり朝鮮などから、強制連行させられ、タコ部屋労働という、劣悪で非道な環境下で造られた、明治以降の殆どのインフラ設備(鉄道、トンネル、ダム…)などの数々。

にもかかわらずですよ。
なんかの雑誌で「先人達に感謝」みたいなことが書かれてて、軽いめまいが…。
先人とは、もちろんアイヌを迫害していた、中世期に移住した和人や藩と明治以降の開拓民のこと。こんなごまかしで、北海道の歴史を片付けないでほしいわ。



要は今の北海道は、
1.原生林
2.アイヌの方々
3.強制連行による隣国の人びと

という主に3つの犠牲によって、成りたっているといっても過言ではないのに、それのどこが一体おめでたいのでしょう。おめでたいのは、浮かれてる明治礼讃の時代遅れの輩のオツムの中でしょうが。


本来この150年には、懺悔の想い以外に、何がございましょう。
観光客も、ただ脳天気にソフトクリームなんかナメてないで、少しは、この大地の犠牲に哀悼の念を抱いてほしいものです。

当初、地名の候補であった北加伊道の名付け親でもある、当時の蝦夷地の探検家の松浦武四郎さんご本人自らが、殆ど侵略まがいの和人の振る舞いや移住には、疑問や抵抗を感じていたようですから、私の見解は間違いでもありません。

命名候補でボツになった「加伊」とは、まさにアイヌの方々を指す言葉であり、当時の政府が、先住民のアイヌの方々を、よっぽど気に食わなかった動かぬ証しですよね。
武四郎さんは蝦夷地探検中、各地でアイヌの方々から、多くの助けや親切を受け、彼らに想いを馳せて名付けたというのに…。

北海道に住む私にとって、いくら経済振興とはいえ、これ以上は乱開発でしかありません。大自然を破壊し続けなければ、維持できないような立地条件だというなら、道民は移住するしかありません。さもなければやがて北海道の未来に多大な、取り返しのつかない遺恨を残すことになります。
大自然とハコモノ。千年後に価値があるのはどっちなのかは、今だけ、金だけ、自分(達)だけという、まさに現政権みたいな発想しかない愚かな人間以外は、他の動物や植物でさえ、すでにわかりきっていることなんですがね、まったくもう…。
(これは沖縄、辺野古基地も、おんなじこと!サンゴ礁の海に土砂投入の画像は、もう世界に拡散されています。商業捕鯨再開と言い、この国の生態系破壊や無自覚ぶりに、益々世界から呆れられますわ)。

特に、いつ見ても神々しさを漂わす、名峰、蝦夷富士こと羊蹄山の麓の自然破壊ぶりには、かつての光景を知る私にとっては、見るに耐えません。

この国は、急速な人口減少に転じてるし、今の道民およそ530万人なんて、どこの府県でもウェルカムで、日本の食糧基地を担ってますが、全国の有り余る遊休地にシフトすれば、今は衰退一途の山間地域も活気づくことでしょう。

はっきりいって北海道の開拓は、先の3つの犠牲を代償にしてまでは、全く必要なかったプロジェクト、つまりはミステイクであったということ。
いっそ島全体を自然保護区域に指定して、立ち入り制限をかけ、生態系を維持することが、地球への思いやりだったのに、ホントに残念だわ。

むしろ仮にですが、ロシアや旧ソ連領であった方が、今のような乱開発はされなかったと思います。ただでさえ世界一の面積を持て余してるくらいですし、さらにはロシア人の血の引くアイヌの方々も迫害されずに済んだことでしょう。その方が生態系やアイヌの方々にとっては幸せだったかもしれません。

そもそも領土とか、そんなセコい概念が、私にはあまりにもくだらないのです。
単に人間同士が勝手に決めただけの仮想の約束に過ぎず、いくらお金や条約などで決めたとしても、土地や自然を人類の所有物にすることは、事実上できません。
人類は地球を所有できないからです。
環境資源は、いくら大金をはたいても、どうにもならないことが殆どですから。

所有つまり支配しているつもりでも、殆どが破壊など、まずロクな使い途のしない人類は、ホントなら所有する権利もないくらいです。
たとえ所有した(気分ではいた)としても、一代なら、たかだか100年程度、代々続いてたって、せいぜいわずか数百年。約46億年と云われる地球の歴史からみれば、どんな大富豪の領地や、また国土も平家物語の風の前の塵に等しく、その奪い合いの為に、多くの同胞との殺し合いが、未だ絶えないとは、人類は他の生物より、なんて愚かで卑しいのでしょう。
周りでも、家や敷地の境界線に、必要以上に、やたらナーバスになってる輩などは、まず往々にして、超ヒマ人や他人のあら探しとか器のちっぽけなロクでもなしが多いですね。

私なんかは畑仕事をしていると、そんな人間の傲慢さや身勝手な線引きや規律やシステムも、自然の営みには、全く敵わないし、通用しないことを、色々痛感させられているんですがね。

その点では、山や海や森や川など、また風や雨など万物には、全て神様が宿り、即ちそれらを自分達が所有するという概念すらない、アイヌの方々の思想の方が、持続的社会の先見性としても、実にスマートな発想で、文明人よりも、先をいっていたといえるでしょう。
所有する概念がないから、彼らは争うことは殆どありませんでした。武器は狩猟オンリーで、つまり人間には、矢や刃を向けたことは、まず皆無に近い、ホントに平和的な思想の民族に思います。

その意味でも愛国心というのは、内向き(閉鎖的)になり、自画自賛(井の中の蛙状態)になり、外の異国や多文化に触れたり理解しようとせず否定的で、やがて抵抗感を覚え、しまいに仮想敵をつくり、益々頑なになったり、攻撃的になるという、無意味どころか有害でしかありませんが、そこんとこも政府は計算して、国民を刷り込ませ(騙して)高揚させる実に危険な暴力装置のひとつでもあるのです。

とりわけ文明人には、「地球に住まわせていただいてる」という居候の身である自覚がないから困ります。常日頃から、もっと肩身を狭く、負い目を感じるくらいに慎ましく生きなくちゃね。そしてきちんとお家賃払って(エコや環境維持には、もっとお金をつぎこむ)、もっときれいに、大切に使いなさいよね。



ま、とにかく北海道命名150周年という、これほど無意味で虚構のお祝いも、年末でようやく終わってくれそうなんで、心からホッとしています。地元は課題山積、もっとやることあるでしょ!