地球環境にまで負荷をかけてまで、全く生きるに値しない私ですから、せめて「一日一善」は心掛けてきました。

で、単なる自己満で、なんの自慢にもなりませんが、ほぼ毎日、約一時間ほど、軽い運動がてらに、近所のごみ拾いを日課としています。特に仕事の休みの日ほど「今日の私は何ひとつ、何の役にもたってない」と、思うとやらずにはいられなくもなるのです。

きっかけは、こちらに移り住んできた幼い頃から、いつも遊んでいた近所の国有林は、自然いっぱいで私の小宇宙的な存在でした。そんな想い出の林が、ゴミだらけになっているのに気づき、もう悔しくて、当初は周りに怪しまれながらも、ひとりで拾い続けて、もう10年以上、林はすっかりきれいになり、管轄の営林署から表彰されたこともあります。

拾う理由は、純粋に地球に何か、常日頃、私でもできる恩返しをしたい気持ちと、皆の嫌がる汚いモノを、自分が拾う度に、不思議と自分の心まで浄化されていく感覚になれるからです。

それが何の取り柄もなく、頭もすこぶる悪い私にでもできる、数少ないアクションのひとつでもあるからです。

さらに私の拾う姿をみて、ポイ捨てをやめる人が増えることも狙いなんです。
お陰様で、この10年ほどで、明らかに拾う量は減りましたし、周りにもすっかり認知され、多くの方から「いつもお疲れ様です」と小学生の男の子から女子高生にまで、労いの声をかけていただくまでになりました。

実は始めたばかりの頃は、拾ってる私の目の前で、クルマからポイ捨てされたり、時には空き缶をぶつけられたことさえありました。
もう悲しすぎて「あんな奴らこそ、津波に流されればいいんだ。絶対助けてあげないんだから」とか、自分の心まで荒んでおりました。

確かに「ゴミ=汚い」ですが、汚いものにしたのも自分自身で、それを捨てると更に地球が汚れることすらわからない、俗に云うフツーの人が多過ぎます。たとえ仕事や人付き合いなどでは社会人でも、なぜ理解できないのでしょうか。

拾うゴミのダントツ1位が、タバコの空箱、吸い殻、そしてそのセロハン。要は大人の仕業ですね。そして空き缶も多いですが、驚くことにリングプルが外されてるのが殆どなんです。つまり車イスだっけ、社会貢献を意識してる人、さらにその缶に、コンビニのシールが貼られてるものも少なくなく、つまり購入時、レジ袋を遠慮するようなエコ派ですら、ポイッて…いったい何なの?ホントこれこそ偽善者ですわ。

私は、他の方にもゴミを「拾え!」とまでは思いませんが、ひと言「捨てるな!」もうそれオンリーの願いです。当り前ですが、それだけで拾うと言う作業自体が不要になりますからね。

ごみ拾いは誰でもできる善行ですが、まず誰もやろうとしないんですよね。
もちのろん、愛国心とやらを声高に叫ぶ、似非ウヨクの皆さんは、間違っても愛する国土にポイ捨てなどは、もっての外、普段からも私以上にごみ拾いは率先されているんでしょうね(そうでなければおかしいし、その愛国心はニセモノです)。

内服薬の殻を捨てる者。
治る持病も悪化するでしょう。

外れ馬券を捨てる者。
一生ハズしまくりますわ。

紙オムツを捨てていく者。
そんなバカ親なら将来、その子は親不孝しかしないでしょう。

タバコの空箱、吸い殻、セロハンを捨てる者。最期は肺がんで、もだえ死ぬでしょう。

缶、瓶、ペットボトルを捨てる者。
いつか、堪え難いのどの渇きに、苦しむことでしょう。

田畑にゴミを捨てる者。
いつか空腹と飢えに、生き地獄を味わうことでしょう。

たまにドライブにも出かけますが、自然の織りなす絶景の道路脇にも、容赦なくポイ捨てが目立つことに、怒りや悲しみよりも、ある種の恐怖心を覚えます。ポイ捨てする輩の多くも、おそらく普段は社会的には常識人でもあるはずなのに、生態系へはあまりの無関心さに、もう人間不信にもなりそうです。

今年、私の住む北海道では、大地震とその影響で大停電となり、数日間、文明生活が破綻しました。

類のない美しく、奇跡の星とも云われるこの母なる地球も、普段は優しく生態系を包み込んでいますが、たまに大きなしっぺ返しを起こし、人類だけではなく、多くの生物をも犠牲になります。

しかしそれは単なる偶発的、突発的なものだけではなく、その多くは様々な原因や発端が重なり、起こるべくして引き起こされるもので、情けなくも我々人類が要因であることも、おおよそ解明されているにもかかわらず、我々はそれを回避するために、やめる手立てを打たない、または止めようともしないのです。けしてまだ手遅れではないというのに…。

ゴミをポイポイ捨てていたら、そりゃあ自然の神様だけでなく、地球だって、当然怒ることもあって不思議ではありません。

つまり心ない愚か者が多いせいで、全く罪のない、今回は厚真町の方々が、無念にも沢山、犠牲になってしまったのです。
そう考えたほうが、我々はもっと生態系に自覚できるはずです。

私は最近「地球さん、ごめんなさい。私が拾いますから、どうかお許しください。お怒りに、ならないでください。」と心で唱えながら、拾っています。

拾い集めたゴミを見つめて「ああ、これが、今のニッポン人の汚れた心そのものなのね」と、つくづく感じます。
どう贔屓目に見ても、国土も、国民の心も、なんてったって政府が何より、誰かの言う「うつくしい(国)」とは呼べません。
こんなニッポンなら、反日と言われて上等です。はっきり言って、今のニッポンなら大っ嫌い。当たり前じゃない、何度でも言いますわよ。日本史上、稀に見るサイテー国家ですから。


沖縄の辺野古が、容赦なく土砂で埋められていく…。移転しても普天間は返還されないことがは、もうすでに明らかで、移転の大義名分は破綻したと言うのに…。

怒りなさいよ、似非ウヨクさん。
アメリカさまに、モノ言ってごらんなさいよ。全くただの腰抜けね。
だいたいあのクズ大統領は、最初、在日米軍撤退って言ってたでしょ。
しかも裏では逆に政府が米軍に留まるように頼んでるのだって、知ってんだからね。
あなた達こそ、いったい何人ですか?

日本=安倍さまという概念に取り憑かれてる亡者たちは、ホントつかえないわ。
レーダー照射の件ばかりは、粋がって、あの国だけには、たちまち強気になって、確かにあちらの言い訳も変だけど「公式の映像でない」とか「確認できない」「(後になって)やってない」とかって、まさにクズ政権の「怪文書みたいなもの」や「記憶にない」、「記録もない」「会ってない」という大嘘の言い訳とそっくりでしょうに。

今回の、韓国への苛立ちは、不誠実な回答しかしなかったモリカケ事件の時の、国民の怒りとおんなじよ。

今の辺野古埋め立ては、もう単なる卑劣国家のメンツと刃向かった沖縄への見せしめのいじめのパフォーマンスにすぎません。
いったいどこまで卑怯なやり方で居直るつもりなんでしょうか?

このままなら地球は、きっとまた何かこの国に対して、しっぺ返しを企んでも無理はありません。
これで、また全く罪のない善良な国民が犠牲になると思えばいたたまれません。万一、今、いつ起きてもおかしくない南海トラフ地震が襲ったら「これは辺野古で殺された大自然の祟り」と感じてしまう人は、世界中に少なくはないと思います。

なんでポイ捨てするような人間のクズどもや、卑劣な権力者なんかに、私達、共有財産の地球を破壊され続けられなきゃいけないのだろう。子供の頃憧れた、俗に云う正義の味方こそ、本来、権力もあって、圧倒的に強かったのではなかった?
もう腹が立って立ってしょうがないわ。

どうか地球のお怒り、またの名の天罰は、国民の生命や財産を守るどころか狙ってさえいる、詐欺国家の輩だけにピンポイントでくだることを、生態系や日本国民のためにも、これから初詣で、しっかりと願って参ります。当然ですが、日本会議(現政権)とつるむ神社本庁ではなく、うちは浄土宗なので、そちらのお寺さんでのお祈りですよ。
それでは皆さま、来年こそは、まともな国になりますように…。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。