テクノロジー、エンタメ、デザインに関する面白いアイデアを様々な人に知ってもらうべく公演をおこなっている活動TED。
TEDx とは、そのTEDからライセンスを与えられた団体がTEDの規約の元で独自にイベントを行うことができるシステムで、TEDxUniversityは多くの大学で開催されるようになったイベントの一つでもある。
そのTEDxUniversityにムスメのガル子が参加し、なにやらスピーチをするという運びになり、こっそり見に行くことにしたのである。
オカンが見に来ていることで緊張してはいけないと、後ろの端っこの方で見よう、そう思って会場の大学に向かうと、なんとロビー吹き抜けスペースにステージと階段状になった座席があるという丸出し、モロだし設計だったのだ
なんや、このコロッシアムみたいな空間は
と、「こっそり」が一切できない設えに、あっさりオカンが来ていることもバレた状態で、ガル子の番を待つことに。
そしていよいよムスメが登壇。
スピーチタイトルは
I am not your judge!
ガル子が帰国して、数人の(いや実際にはもっといただろうけど・・・)女子から受けた辛い日々を彼女なりにかみ砕いて出した結論と成長を語り始めたのである。
ガル子は、日本語と英語のどちらかが猛烈に優勢という帰国子女ではなく、2歳から6歳までタイ、6歳から11歳まで日本、11歳から15歳までアメリカ、とどちらの言語もある程度のベースがあるという、だいたいどっちも7割といったところにいて、本人もそれがわかっていたので、学校の定期テストの時は、一週間前からは、起床したら登校までの時間も勉強に費やすため、普段軽くしていたアイメイクもやめ学校に行っていたのである。
そのテスト1週間前のガル子の顔を面白がり、いじる子たちがある一定数いて、わざわざ声をかけて覗き込んで「うっわ、ブッサイク~」と言って笑って通り過ぎる、という「ブスいじり」が始まり、それはテストが終わるまでの毎朝「ぶっさ」「ナニその顔」と言い続け、テスト期間が終わっても、顔がむくんでいる日を見つけては同じようにいじるということが続いたのである、2年も・・・。
朝一番、おはようと声を掛け合ってその日の良いところを褒めるのが日常という文化に幼少期と中学時代をすごしたガル子は、まず人に対して否定の言葉を投げかけてくること自体が信じられず、しかもそれが容姿をジャッジしていくるという内容だったことから、相当傷つき、当時アメリカに住んでいたオカンのところに、何度も何度も泣きながら電話をしてきていた。
そんなガル子も、言い続けてくる子たちの言葉を深く気にしないようにだんだんと流せるようになってきたころ、ある一つの考えにたどり着いたとスピーチの中で言い始めたのである。
それは、人を傷つける言葉を投げてくる人というのは、その言葉を受けた人間が、ほんの一瞬ショックを受けたという「表情や空気」の小さいけれどとても大事なその変化に気づけない人なんだ、と。
その小さな変化に気づける自分がいて、気づくことも出来ないような子たちが、見た目だろうがなんだろうが「私」という人間をジャッジし、それに同調する人たちも含め、その人たちが決めた「自分」に何の意味があるんだろうか。それは自分の全てを表している訳ではなく、もっと言うと「私」は「あなたの決めつけの中」で生きているのではない、と。
オカン、コロッシアムの端っこで号泣。
一緒に過ごせていなかった2年間で、ガル子は苦しみながらも自分の力で解決策を編み出していたのである。もちろんそこには、ガル子と一緒にいてくれた友人や先生たちの支えも大きかったに違いない。
いつの間に、こんなに物事を深く繊細に考えられるようになっていたんだ・・・、と帰り道、ガル子のスピーチを何度も思い出し、じゅわっと涙がこみ上げては、その成長ぶりに微笑むという、切なさと喜びの詰め合わせエモーションを交互に味わいながらスーパーへ。
その日はガル子の好きなタコライスを夕飯に用意したのでありました。
今日はなが~いのを読んでくれておおきにです。
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