菅田将暉主演のドラマ3年A組が終了した。

 

あのドラマはネットでの不確かな情報をよく検証もせず、考えもせず誹謗中傷の言葉を浴びせ、そのSNSの言葉の暴力で思いもよらない方向に事は運び、その責任がネット民へ向けられた途端、自分ではない、と責任転嫁・・・・その考え、行動を改めよと教師が必死に戦い祈った『超現代』を取り扱ったドラマであった。

 

これを見ながら思ったことは、その何か問題となったことに自分が加担していた、と結びつけることが難しい、ということである。なのでこのドラマを見て、「いいドラマだった」だとか、「そうそう最近のネット民って病んでるよな」と他人事で終わったり、同じようなことをされて傷ついた人がその傷をいやすために役立った、だけで終わってはいけないと思ったのである。

 

大事なのは、自分の行動、言い放った言葉ももしかして・・・、と自分自身の内側に考えを巡らせるところまで発展することなんじゃないかなと。

 

駐妻の世界は狭く、頻繁にお茶をしたり顔を突き合わせるので、付き合いが短期間でもあっという間に深くお互いを知ることになるから、見えなくてよいところまで見えてしまうことが多く、関係がおかしくなることも多々ある。そんな中で今現在、嫌う側の立場になっている人もいると思う。

 

LINEグループで、ある日突然、申し合わせたかのように、ブロックしたりだとか、一人を除いた別のグループを作って、一人だけを省いてパーティの企画をしたりという話もよく聞く。

 

直接酷い言葉を投げかけてないからよかろう、と思うかもしれないが、無言の締め出しは、SNS上では、言葉を投げかけるよりタチが悪いと思う。

 

なぜなんかウザいと思うのか

なぜ嫌いやな、と思うのか

 

これはちょっと余計なお世話かもしれないが、今、駐妻グループの中で嫌っている人がいる場合、いっぺん、その理由を自分の内に目を向けて探してみて欲しいのだ。そこには、もしかしたら、ウザいと思っている人の何かが、自分が努力してもそう簡単に手に入らない魅力的なものであって、それに嫉妬という気持ちが湧いてしまっている場合があるのだ。

 

もちろん、嫌いと思っている人に自分が嫉妬しているなんて、そんな自分を認めたない、それは当然の感情であると思う。なのでその感情のねじれが「うざい」という気持ちに結果繋げているのかもしれないのである。

 

 

何をえらそうに、そういうアンタはどないやねん

何様のつもりで書いとんねん

アンタも普通の駐妻やろが

 

とこの記事を読んでイラッとする人もいるかもしれない。

 

なので言おう。ワタシのよろしくない部分も。

最初の駐妻タイ時代、「あの人なんやねん」で盛り上がるお茶の席で一緒になってやいやい言っていたこともある。それを楽しいと思ってしまっていた頃もある。

同時に「あの人なんなん」という覚えのない噂話を広げられ、挨拶しても露骨に無視されるということにも出くわしたことかてある。

 

 

そんな足かけ12年の駐妻生活を通して、色々考えることが増え、その途中、女は国籍構わず目の前のオンナと自分を瞬時にランク付けして勝敗を決める生物である、ということを心理学者の植木先生が言っているのも聞き、自分の中に問いかけてみることで、気づいたのだ。

 

それは、

ある人を前に「あっ、ちょっと苦手」という気持ちが現れた時は、その人が自分の本当にやりたいこと、欲しいことを手に入れている人である可能性が高く、その結果、自分が欲しているコトやモノを知ることができるチャンスなのではないかと。それは気づきをもたらしてくれる、ありがたい絶好の機会なんじゃないか・・・・

 

そう思えるようになったのである。

 

苦手だと思ったその人を自分の周りの人を巻き込んで攻撃することにパワーを使うよりも、今知った自分のやりたいこと、負けたくないコト、に力を注いだ方が、より自分を分厚くさせてくれる、

パワーは自分に使え

そう思うに至り、今日はこのような記事をもう駐妻生活を間もなく終えてしまうので、ちょっと書いてみたのである。

 

 

 

しかしまぁ、なんですな。

菅田将暉先生のとなりのクラス、3年B組からは「はい、いいですか~、人という字は~」と聞こえてきてたりしてたんかなぁ、なんてことを思いながら、3年A組ロスと闘っているボイでありました。

 

 

 

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