スーパーでの出来事。


私はゴボウを選んでいた。


すると、何やら日本語での会話が聞こえてきた。


かぼちゃ側に立つ女性がこう言った。


「わたしね、今朝? 家の近くなんだけど~、イベントに?子供と参加してきたんだぁ」


サツマイモ側に立つ女性がこう答えた。


「へぇ、そうなんだ。私は、来週? ちょっと家から離れたところになるんだけど~行ってくる予定なの」


アメリカはイースターへ向けて、ちょうど子供向けのイベントが目白押しの時期だった。


この何気ない会話だが、一向に盛り上がりを見せない。


ゴボウの前に立つ私は、何気に2人の顔を見た。


おぅ、一切笑ってない。


怖いなぁ。



駐妻というのは、そう、世間からどのように叩かれているかを、ある程度知っている。


現地の言葉もろくに喋れず、旦那が一生懸命働いているというのに

集まって、お茶したり、ランチしたり、あげく旦那の稼いだお金でクラフト的なものを習ったりしてる


くらいには。


駐妻だって意地がある。


異国の地で子供を育てる苦労や、買いたいものがすぐ見つからない不便さをなんとか克服してのクラフトなのだ。何が悪い!


って気にもなるだろう。

駐妻って特別視するけども、もともとはみんな同じ、日本に住んでるときは普通の人やねん、実際のところ。

せやねんけど


なぜだろう、「わたしは、その他大勢の駐妻とは違いますねん」と


誇示しちゃう、人もいる。その意地の強さ、からくるんかなぁ。





だから、さっきの何気ない会話にもそれが随所に見受けられるのだ!



この手のイベント、実は、英語で告知されているため、英語が苦手な奥様は見逃したりするのだ。


つまり、イベントに参加できているイコール、わたしは英語がちょっとできますねん!そして、そんな場所に出向いていけるのはすごいだろう!、ふわふわしてる駐妻とは格が違うのだ~!的な。


かぼちゃ側の奥さんが言い終わるのを穏やかに待ち

しかしイモ側の奥さんは、私はさらに家から離れた場所のイベントへ行くのだ、どうだ私の勝ちだろうといわんばかりに。


そもそもだ


会話が盛り上がらない間柄ならば、挨拶を交わし、すれ違えばいいのに、なぜ話し始めるのだ。


かぼちゃもイモもよう頑張ってると思うよ、私的には。


競いあうのをやめなはれ。


そうすれば、駐妻生活は自ずと開けてきて、楽しくなるのだ。