みなさん
こんばんは~~
長いこと
ブログから去っておりましたが
またぼちぼち帰ってこようと思っています
2日は
ちーさんの卒業式でした
中高一貫校なので
くくりとしては6年間
なので
中学の卒業式はありませんでした
形としては義務教育が終わるので証書の授与はあったようですが
その時ちーさんはNZへ留学中
戻ってきてから「ほら、証書」って学校でもらって帰ってきました
まだまだ
ずっと先だと思っていた、ちーさんの卒業
唐突に
さっとやってきて
過ぎ去った2日
私は謝恩会の司会をすることになっていたので
実はお式の間もそれほど感慨深く浸ることが出来ませんでした
中高一貫部と高等部があるちーさんの学校は
別館と呼ばれる、ちーさんの通わない校舎で卒業式でした
行き慣れない場所に、なんと体育館の5階まで階段で上がられねばならず
朝、8時から美容室にバタバタ
慌ててお式に駆け込むという状態で
観覧席3階からはるか下の子供達を眺めるという情況が
私に卒業式の余韻に浸る気持ちにさせなかったのかもしれません
名前を呼ばれると
思いのほか通る、ちーさんの声
娘の声が
こんなに通るとは思っていなかったので
ちょっとびっくりしました
お式が終わって
水泳部の子供達を捕まえて写真を撮り
私は、数人のママたちとお別れの挨拶を交わし
そのまま、会場のホテルへ
黒の式服で、お式に出たので
ホテルで着替えそのまま、リハーサル
始まる数分前まで、色々代わり、バタバタ~~~
高等部のママさんと私と2人
司会で
でも、彼女がとてもしっかりしていて
凄く頼りがいが有って
安心して、進行を進めることが出来ました
が・・・・・
わたくし、とんでもない失態を
なんと
教頭先生のお名前を思いっきり間違えて、スルーするという![]()
ちーさんに後で話すと
「いや、マジでありえないから」
と非難ごうごうでしたが
周りのママさんたちは
「え~~~あんまりにも堂々と間違えてたから、まったく問題ないし」って
慰めにならない励ましをもらったり
同じ学校でありながら
交わらない一貫部と高等部の高校生が存在するので
謝恩会は親だけなのが残念でしたが
笑いあり、感動あり
あっけらかんと進んで終わったあたり
この代(ちーさんたちは10期生というそうな)らしい謝恩会だったのではないかと
勝手に思っていますが
帰り・・・
疲れきって
家に戻り
夜、ちーさんがお友達と遊んで帰ってきて
学校から卒業記念でもらったDVDを家族で見ていると
あかちゃんみたいだった6年前と
大人になった18歳の今と
それはちーさんだけでなく
ちーさんと仲良くしてくれたお友達も
そして、その中に忘れる事無く、理由有って退学した子供達の写真も混じっていて
小学校の頃より
学校には深く携わったつもりはないのだけど
そうそう・・・・
とちーさんが取り出した一枚の絵
クラスで絵の得意な子が
みんなの集合写真を似顔絵で書いて、プリントして渡してくれた
「絵の集合写真」
そこには
学校の都合で、
最後の6年目を担当できず高等部に移動になった
5年の時のT先生も一緒に描かれてあり
T先生を慕っていた、クラスの生徒達の
離れても、先生は担任
という
強い信頼の気持ちが感じられ
謝恩会で
「最後まで、見ることが出来なかった子供と、ご父兄にも
お詫びとお礼が言いたい」と言っていた
T先生の挨拶にこめられた
卒業を見守れなかった先生の、後悔と
ずっと忘れず慕っていた理Ⅰの子供達と
いろんなことを思い出したら
涙が止まらなくなりました
理Ⅱから理Ⅰへの移動を決めたときも
T先生のクラスだから、と決断したあのときのちーさん
結局担任として関わることはなかったけど
理Ⅱのクラスの先生と
T先生の存在がどれだけ、不安だった彼女を支えたか
ちーさんは
とても幸せな6年間をこの学校で過ごしました
ちーさんのまわりは
みんな素直で、気持ちの良い子ばかりでした
お勉強、という意味では
彼女自身の努力は??というところもありましたが
学校生活を送る環境、という部分では
我家にとっては申し分のない6年間でした
もう
在校生ではなく
卒業してしまったこと
それが
きっと寂しいのかな・・・・・
まだちーさんには
実感はないようです
制服をまだ着る機会が、お茶の関係であるからだと思います
これが終わって
全てがなくなったとき
幼、小、も含め
15年の制服人生が終わるんだと感じたとき
きっと思うことがあるのかもしれませんが
これからの新しい生活に胸が躍っているので、私ほど感じないかな・・・・
私は
子離れを本当にしなくてはいけない時期になったのだと
もう、学校に深く関わることは二度とないんだと
それがきっと寂しいのかもしれません