ちーさんが




オリンピックを身近に感じたのは




小学校4年の夏


アテネオリンピックの年だった




この前の年から


ちーさんは


シンクロを本格的に始めて


ちーさんの在籍しているクラブから、オリンピック選手が出ていたからだ


オリンピック選手だけでなく、コーチや監督、とにかくJOC関連のお偉いさんが


クラブの先生だったということもあり


競泳だけをやっていた時より、一気にオリンピックが身近になった


競泳のクラブにもオリンピックに出た選手はいたけど


まったく違う場所で練習していたし、会うこともなかったから




このシンクロを始めたことにより


一気にオリンピックが近いところにやってきた




この夏は


普通の教室に通っているだけでは体験できないこと


たとえばオリンピックの壮行会とか


オリンピック選手をクラブの制服を着て、成田まで見送りに行ったり、お迎えに行ったり


大会後の報告会のパーティに出たり


それはそれは華やかでにぎやかな夏だった




ちーさん自身も


初めて4年生で体験するJO


めまぐるしく変わる練習場や練習時間


それにあわせて、親もちーさんに振り回された夏だった


平行して続けていた、競泳の選手コースも手を抜けず


練習場のはしご


午前中は、辰巳午後から千葉市の外れのクラブまで


ちーさんを練習場に送るため、一日の走行距離が200キロなんてのは当たり前だった




一番大変だったのは


合宿と市が開催する小学校対抗水泳大会の日が重なった時




その頃、バタフライを泳げるのはちーさんしかいなくて


(小学校1年生の時から、高学年に混じっておよぐちーさん)


リレーが組めない、と体育の先生からの申し出があり


水泳大会の前日、福島まで迎えに行き


大会が終わった当日、また福島まで送るという




今思えば、そこまでする必要もないような気もしたけど


全てがちーさんの体験のためと思えばと


深夜東北道を飛ばしたんだっけ。。。






よくやったなぁ。。。。私


ってか


今思えば、ちょっと馬鹿だったかも?とも思うけど(笑)


多分同じことをちーさんが孫にやろうとしたら


絶対止めると思うもん












クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー黄色い花クローバー






今年の夏




ちーさんと一緒にJOにも出た一つ年上の


Rちゃんが


シンクロの正式選手として、ロンドンに出る


5つ年上の、お姉さん2人も




ちーさんが身近に感じたアテネから8年


あの頃を境に


もう日本のシンクロは強くない








そこに、思うことはある






やっぱり


井村先生のシンクロは日本独特で、強かったし


なんで、今がダメなのか


まぁ・・・ダメだろうなと


なにか方向性をもう一度見直さないと


強くなってきている他の国に追い越されてしまうだろうなぁと見ていたので


今、そんな感じなのか










シンクロにいろんな思いのある親としては


この状態を


「ほ~~らやっぱりね」と思ってしまうところがあり


素直に心から頑張れと思えない


ひねた感情が心の底にあって


実に複雑な気持ちなのは確か








でも


ちーさんは


素直に、歓び


あの頃、自分と一緒に数年の夏をすごしたお姉さん達が


オリンピックの舞台で泳ぎ、演技するのを楽しみにしている






気持ちがひねてるのは親だけか(笑)






もう、来週の今頃は


オリンピック始まってるんだね






私は


やっぱり素直に


応援できないだろうな


この澱の様に溜まった複雑な感情は


いつになったらすっきりできるのかな