数日前から
またゆるく再開した玄米菜食。
20年前ストイックにやっていた時は一口200回噛みとかしてました。
でも今はまあ50回くらいがいい感じかな。
100回もちょっと難しい感じ。
ちなみにカウントするとき
「ありがとうございます」
と、心の中で言いながら10回数えます。
100回噛むなら
「ありがとうございます」×10回
200回噛むなら
「ありがとうございます」×20回
になるわけですが
自己啓発や
スピリチュアル系の人がよくやる
1日1000回感謝の言葉を唱える
とかっていうのに対しては懐疑的な私ですが
(もうさすがにやってる人は見かけないけど昔やってた人たちを思いかえすと
やっているうちに目的が回数こなすことになっていって
これをやってる人で幸せそうな人をまだ見たことがないからだと思われるW) ←失礼
ゴハンを頂くときにするありがとうございますワークは
シンプルに食べられること、
こうして生きていることにフォーカスでき、
本当に有難いなと思うことに対しての感謝なので違和感なくできてます。 ←わたしの場合ね
当然バクバク食べられないので
一口一口ゆっくり味わって食べることになるわけですが、
瞑想に近い状態になって
普通に生活していた時には忘れていた範囲の人たちへの感謝も思い出せたりして面白いです❣
意識しないと超早食いな私にとって
この
食べること、噛むことに
(自発的ですが)半強制的に意識を集中する時間 ←言い方W
すごく気づかされることがあり
食事のたびに何か新しい気づきがあって楽しい❣
ちなみに今夫(ドイツ人)と私は違うものを食べてます。
玄米とかデトックススープとか一緒に食べられるものは一緒に食べて、
夫用には別におかずをつくってます。
野菜はそんなに好きじゃなくて、
肉食なので野菜も入れつつ肉率高めのメニューにしてます❣
過去にマクロビをしていた時はまだ実家にいて
家族の協力が得られなくて
継続が難しかったり、楽しいはずの食卓を一緒に囲むことがストレスで仕方なかったな~。
「理解してくれなくていいから好きにさせてほしい!」と何度も泣きながら母に話をしたっけ。
(心配されたり、押し付けたりされたのも彼らなりの愛のカタチと今では分かるけど)
今は私自身がリラックスして楽しんでいるのと
夫は120%私を尊重してくれる人なので
文句も言われず好き勝手させてもらえています。
夫にとっては不可解なことをしていても
わたしがそれを楽しんでいさえすれば何も言わない
わたしも同様に夫が何をしているかにはあまり興味はなく
楽しくご機嫌にやってくれていたらそれでいいと思っているので
そこはすごく価値観が合ってやりやすいです。
同じ空間にいながら
お互いに別々に好きなことをしているのがデフォルテだったりします(笑)
美味しいものやキレイにデコレーションされたもの、
味の濃いもの、ガツンと刺激のあるものって
五感で楽しめて、
エンターテインメント的に満たしてくれるのですが
それに慣れてしまうとどんどんエスカレートし
視覚や味覚を満たすことにウエイトがいってしまい
味は濃くなり、
量は多くなり、
刺激が強くなっていきがち。
玄米をゆっくり噛んでじんわり味わっていただくこのシンプルな食事にしてからは
「上手にお鍋で玄米が炊けた❣」
「消化に負担がかからないとこんなに身体が楽なんだ?」
「噛んでいくほどに変化する玄米がこんなに美味しく感じるなんて❣」
「いつもの半量にも満たない、品数も少ない食事でも満足度ハンパない❣」
と、
エンタメ要素ゼロという
沸点低めな食事ですが ←(笑)
豪華な食事にはない
違うレベルの美味しさがそこにあり
幸せや美味しいと感じるセンサーが研ぎ澄まされていくのを感じます。
とはいうものの、
ベースはこれをキープしながらも
食べたくなったら基本は何でも食べ、
たまにはソーシャルな食事も楽しんでいきたいなと思います。
ザ、映えない食事。(笑)
梅干し入りの塩にぎり🍙
主食兼おやつ❣
2合分炊いたゴハンで炊いたおにぎりを2日弱かけてちょこちょこ食べてます。