文化祭の悲劇
戸川高校の文化祭初日。
体育館では、客席を埋め尽くした生徒の前で、吹奏楽部の演奏が行われていた。
そして、演奏が始まって数分後、事件は起きた。
舞台上、最前列の真ん中付近でトランペットを吹いていた男子生徒が、突然、後頭部を押さえながら前のめりに倒れた。
「キャーッ !!!」
隣に座っていた女子生徒が、悲鳴を上げながら立ち上がった。
と同時に、演奏が止まり、客席がざわつき始めた。
「ここか、現場は・・・」
戸川署の上野警部が、体育館の舞台上で呟いた。
「被害者の山沼聡君は病院に運ばれて、現在、集中治療室にいるそうです」
部下の山田が、隣に来て報告した。
「そうか・・・」
「関係者には、別室に集まってもらってます」
「じゃあ、話を聞きに行こうか」
上野と山田は、応接室のソファーに座っていた。
そこへ、別室に待機している関係者を一人ずつ呼んで、話を聞くことにした。
まず呼ばれたのは、被害者の山沼聡の真後ろでホルンを吹いていた、女子生徒の西山真紀だった。
真紀は動揺しているのか、おどおどした様子で、一度も上野達と視線を合わせる事無く、テーブルを挟んだ向かいにあるソファーに座った。
「ごめんね、こんな時に・・・ちょっとだけ、話を聞かせてくれるかな・・・」
上野は、出来る限り優しい口調で話し掛けた。
「・・・はい・・・」
真紀は、消え入りそうな声で、下を向いたまま答えた。
「山沼君が倒れた時の事なんだけど・・・何か、気付いた事はないかな ?」
「・・・」
上野は、しばらく待ってみたが、真紀は、黙ったまま何も答えようとはしない。
「何でもいいんだけど・・・何か、なかったかな・・・」
「・・・」
今度は、山田が尋ねてみたが、結果は同じだった。
二人が顔を見合わせて困っていると、突然、応接室のドアが開き、西川刑事が、ビデオカメラを手に入って来た。
「どうした ?」
「新聞部の生徒が、動画を撮ってました」
上野の問いに、西川が答えた。
久し振りに質問に答えてもらった喜びと、確たる物証が見つかったかもしれないという喜び。
両方の喜びを噛み締めながら、上野は、ビデオカメラを受け取った。
それとは対照的に、真紀の顔は青ざめていく。
「どこで撮ってたんだ ?」
「体育館の床から4m位の所に廊下があるじゃないですか」
「ああ」
「あそこの、一番舞台寄りの所で、ほぼ真横から撮ってたんで、その瞬間がバッチリ映ってるそうです」
上野達は、さっそく映像を再生する。
映像は、吹奏楽部の演奏が始まる所からだった。
演奏は、何事も無く進んで行き、数分後、いよいよ、核心部分へと突入していった。
そして、
「えーっ !!! ・・・」
三人とも、あまりにも意外過ぎる展開に言葉を失っていた。
その映像に映っていた物とは・・・
まず映し出されたのは、ホルンを吹く真紀の姿だった。
それは、何の変哲もない、ごく普通の映像だった。
ところが、次の瞬間、信じられない事が起こった。
真紀が吹いていた、くるんと丸まっていたホルンが勢い良く一直線に伸びて、山沼聡の後頭部に直撃した。
そう、あの、夜店で売っている、笛の先に筒状の丸まった紙が付いていて、笛を吹くと、勢い良く紙が伸びるおもちゃのように・・・
やっと我に返った上野達が、真紀を見た。
「ごめんなさい !!! ・・・私のせいで・・・」
そう言って、真紀は泣き崩れた。
「大丈夫・・・大丈夫だから・・・何があったのか、説明してくれるかな・・・」
上野は、真紀を落ちつかせようと、両肩に手を置きながら優しく語り掛けた。
しかし、真紀は一層大きな声で泣き続けた。
真紀は、戸川署の一室に連れて来られていた。
「何があったのか、説明してくれるかな」
上野の問い掛けに、
「・・・はい・・・」
少し落ち着きを取り戻していた真紀が、小さく頷いて話し出した。
「私、顧問の先生から、いつも、ホルンの音が小さいって怒られてて・・・」
「うん」
「それで、今日も、演奏を始める前に、とにかく思いっきり吹きなさいってアドバイスされて・・・」
「うん」
「それで、その言葉通りに思いっきり吹いたら・・・」
「ホルンが勢い良く伸びて、山沼君の頭に当たった・・・」
「はい・・・」
上野は、不思議そうに、テーブルの上に置いてあったホルンを手にした。
どこからどう見ても、普通のホルンにしか見えないし、思いっきり引っ張ってみても、当然、伸びるわけでもないし・・・
ホルンに付いていた血痕と山沼聡のDNAは一致したし、今は治療中で確認出来ないが、たぶん傷口とも一致するだろうから、このホルンが使われた事に、間違いはないだろうが・・・
「今までも、あったの ? こういう事」
「いいえ、初めてです・・・こんな事になるんだったら、やっぱり、断っておけば良かった・・・」
「どういう事 ?」
「私、本当は、マリンバとかの打楽器がやりたかったんです」
「うん」
「でも、ホルンの人数が足りないからって、先生に言われて・・・仕方なく、始めたんです・・・」
「そうなんだ」
「あの時、ちゃんと断っておけば・・・」
と言って、真紀は涙ぐんだ。
「ちょっと、吹いてみていいかな ? ホルン」
上野は、真紀に聞いた。
「えっ ? ・・・はい」
「吹いてみろ」
上野は、吹き口をウエットティッシュで丁寧に拭いてから、ホルンを山田に渡した。
「僕がですか ?」
「ああ。お前、元吹奏楽部だろ」
「違いますよ。一回もそんな事言った事ないでしょ。人の経歴、勝手に変えないでくださいよ」
山田は、ホルンに口を当て、思いっきり吹いてみる。
しかし、当然のことながら、ホルンは微動だにしない。
「もっと !」
変化なし。
「もっと !!」
やはり、変化なし。
「もっと !!!」
「伸びるわけないでしょ !!!」
顔が真っ赤になるまで吹き続けた山田は、上野に抗議した。
上野も吹いてみたが、結果は同じだった。
「ちょっと、吹いてみてくれる ?」
そう言って、上野は、ウエットティッシュで吹き口を拭いてから、真紀に、ホルンを渡した。
「遠慮しないで、思いっきり吹いていいからね」
そう言うと、上野は、12畳くらいはある部屋の角まで逃げた。
慌てて、山田も後を追う。
「逃げ過ぎでしょ、警部」
「馬鹿野郎 ! ホルンの射程距離を舐めるなよ」
「なんなんですか、ホルンの射程距離って。初めて聞きましたよ、そんな言葉」
「俺だって、初めて言ったよ。そして、今後、いっさい使う事はないだろうがな・・・いいよ、吹いてみて !」
その言葉を合図に、真紀は、目一杯息を吸い込んだ。
そして、ホルンに口を付け、吸い込んだ息を一気に吐き出した。
すると、次の瞬間、くるんと丸まっていたホルンは、空気を切り裂きながら、大きな音と共に勢い良く伸びきった。
「うわっ !!!」
あまりの迫力に、ホルンとは、かなりの距離があるにも関わらず、上野と山田は、壁にへばり付く程までに後ずさった。
「凄い肺活量だな」
「凄いにも、程がありますよ」
ホルンが、元の状態に戻るのを確認してから、二人は、真紀の所に帰った。
と同時に、西川が部屋に入ってきて、上野に報告を始めた。
「顧問の先生や他の生徒にも聞いて来たんですが、過去に、ホルンが伸びた事なんて、一度も無かったそうです」
「そりゃそうだろうな」
「あと、山沼聡君、意識を取り戻したそうです。後遺症もないだろうって」
「えっ !!! ・・・本当ですか !!!」
真紀が、表情を輝かせた。
「うん・・・退院までも、そんなにはかからないだろうって」
「良かったー !!!」
安心した真紀は、また、涙を流した。
「良かったね」
上野が、真紀の肩に手を置きながら言った。
「はい」
真紀は、小さく頷く。
「この娘を、家まで送ってあげてくれ」
上野は、西川に頼んだ。
「えっ !? ・・・いいんですか ?」
山田が、上野に聞いた。
「当たり前だろ。今日起きた事は、単なる事故だ。顧問の先生に、常日頃、音が小さいと注意され続けた女子高生が、毎日毎日練習を積み重ね、自分でも気付かない間に、たまたま、人並み外れた肺活量を手に入れてしまっていた・・・ただ、それだけの事だよ・・・先生だって、この娘の為を思って指導してきただけで・・・誰が悪いわけじゃない・・・そうだろ ?」
「・・・そうですね」
上野の言葉に、山田も納得した。
「じゃあ、元気出してね」
上野は、そう言って、真紀の背中を軽く押した。
「ありがとうございました ! すぐに、お見舞いに行ってきます」
真紀は、上野達に頭を下げてから、西川に連れられ部屋を出て行った。
「良かったですね。大事に至らなくて」
真紀が出て行ったドアを見つめながら、山田が上野に言った。
「ああ」
そして、しばらくの間、感慨にふけっていた二人だったが・・・
「あれっ ?」
山田が、不意に声を発した。
「どうした ?」
「これって・・・結果的に、あの娘の夢が叶ったって事ですかね」
「なんだよ、急に」
「あの娘、本当は、管楽器じゃなくて打楽器がやりたかったんですよね」
「ああ・・・そんな事言ってたな・・・それが、どうした ?」
「あの娘が吹いたホルンが伸びて、山沼君の頭を殴打したわけでしょ」
「ああ」
「それって、打楽器っていう事にならないですか ?」
「頭を殴打した楽器だから、打楽器か・・・」
二人は見つめ合い、笑った。