人が人を裁くということ
一昨年、日本でも「裁判員制度」に関する法律が公布された。
公布から5年以内、つまり平成21年5月までには実施されることが決定している。
導入の理由はわかりやすく記すと、以下の3点である。
・裁判を身近でわかりやすいものにする。
・司法に対する国民の信頼を向上させる。
・欧米では当たり前の制度であるので、国際基準を導入する。
とまあ、こんな具合である。
この法律が成立した時、日本のマスコミは一斉に特集を組み、国民への情報提供を競い合った。だが、その内容は、"制度の深層を問う"ものではなく、
「裁判員に選ばれたら貴方はどうする?」だの、
「仕事があっても裁判に出席する義務がある。」だの、
裁判員に選ばれた場合の国民の義務と、裁判の「形」に固執した内容ばかりであった。
確かに国民感情から見れば、「知っておきたい内容」であったろうが、我々宇宙人から見れば、「本当に導入していいのか?」、「人が人をどう裁くのか?」という議論にもっと時間をさいて欲しかったというのが本音である。
最近の刑事裁判では、「被害者側の権利」というものが問題視されている。特に、少年犯罪においては、その裁判の目的が「加害者の更正」にあるので、加害少年が「社会復帰」したときに後ろ指差されることなく、スムーズに図れるようにと、極秘裏に一連の手続きが進むように配慮されている。したがって、被害者の家族や親族との接点もなく、知らないうちに「刑期」や「教育」期間を終えて、社会復帰していることが少なくない。被害者感情からすれば、やり切れない心情に陥ることが多かったわけだ。
だが、日本という国は、つい百数十年前まで、公に「敵討ち」が認められていた国である。ましてや「家」という単位が、このうえなく重要視されている国なので、「孫子(まごこ)の代まで、恨んでやる~」みたいなところがあって、最近の「少年法適用年齢の低年齢化」など、「被害者側の権利」を尊重した法律改正などは、国民気質に応じた納得できる変化だと思う。
しかし、だからこそ今回の「裁判員制度」は検討の余地があったのではないかと思うのだ…。
現在の裁判官3名の合議制から、これに「民間人」である裁判員6名を加えた形になるのだが、法律の知識に乏しく、毎日TVや新聞でいろんな情報にさらされている人たちが加わるということは、心情や世論に偏った方向に傾く判決になることは間違いない。
恐ろしいのは、例えば死刑判決が出て、刑の執行後に冤罪であることがわかったりしたら、「あいつの間違った判決のおかげで、ウチの家族が殺された!」ってなことにもなり得るっていうことだ。
それこそ、「裁判員制度」があったがために、「孫子の代まで」続く遺恨を残すことにもなりかねない…。
そもそも「人が人を裁く!」っていうのは、この国では避けなければならない。言うことは全て正しく、行いは全てが完璧な神様みたいな人間がいたら別だが、そんな人間は100%いないからだ。(前回に続いて、いたら会わせてくれ!!)(笑)。
「それを言うなら、今の裁判官だって人じゃん」という反論が聞こえてきそうだが、実は彼らは「人」ではない。「法の執行者」であって、「法律の別人格」としての位置付けなのだ…。
つまり、「人を裁けるのは、唯一法律のみ」であって、その理想に可能な限り近い形を追求していくことこそが、理想の司法といえるのではないだろうか…。
いかんせん、まだまだ日本では、その法の整備が不十分で、現代の時勢に乗り遅れている感は否めない。
最近の裁判でも、「適応した法律がないから…」なんて、一般の国民からすれば、首をかしげたくなるような判決が幾つかあった。
「離婚後、300日以内にできた子は前夫の子」なんてバカな法律は、簡単にDNA鑑定が行われる時代にあまりにも陳腐で、すぐにでも改正されるべきである…。
世継ぎ問題で揺れる「皇室典範」もしかり……。
アメリカやヨーロッパの制度を取り入れたり、平和憲法を改正したり…。現在の世界情勢を鑑み、世界的に冠たる地位を占める国家の実現も結構だが、万事、事が起こってから慌てふためいて、事が起こらなければ先送り的な体質を何とかしてもらいたい。
最後に…。
アメリカの「陪審制」。ケビン・コスナーの「JFK」やケビン・ベーコンの「告発」を見た人は、「何と素晴らしい制度だろう!」と思った人も多いだろう。
しかし、実態はあんな格好の良いものじゃない…。
実際は、アメフトの元スーパースター、O・J・シンプソン裁判や、最近では、M・Jの裁判など、日本で裁判をしたら、絶対有罪であるはずの事件が、なぜかことごとく無罪となっている。アメリカには、莫大な弁護料で「無罪」判決を請け負う敏腕弁護士がたくさんいて、「刑罰」を「カネ」で買っているケースが少なくないのである…。
日本は敗戦後、強者「アメリカ」の真似をして、今日のような成長を遂げてきた。
しかし、何でも真似したらいいってもんじゃないぞ。
島国、単一民族、家族制、それ故大きな大局の変化は求めず保守的。一方で、マスコミや他人の意見に迎合しやすく、風評に流されやすい…。この日本独特の国民性に、合った制度を構築すべき!と釘を刺しておきたい…。
PS:本日の画像のお題
「日本人諸君。ネコはネコ。決してライオンにはなれないのだよ。」
公布から5年以内、つまり平成21年5月までには実施されることが決定している。
導入の理由はわかりやすく記すと、以下の3点である。
・裁判を身近でわかりやすいものにする。
・司法に対する国民の信頼を向上させる。
・欧米では当たり前の制度であるので、国際基準を導入する。
とまあ、こんな具合である。
この法律が成立した時、日本のマスコミは一斉に特集を組み、国民への情報提供を競い合った。だが、その内容は、"制度の深層を問う"ものではなく、
「裁判員に選ばれたら貴方はどうする?」だの、
「仕事があっても裁判に出席する義務がある。」だの、
裁判員に選ばれた場合の国民の義務と、裁判の「形」に固執した内容ばかりであった。
確かに国民感情から見れば、「知っておきたい内容」であったろうが、我々宇宙人から見れば、「本当に導入していいのか?」、「人が人をどう裁くのか?」という議論にもっと時間をさいて欲しかったというのが本音である。
最近の刑事裁判では、「被害者側の権利」というものが問題視されている。特に、少年犯罪においては、その裁判の目的が「加害者の更正」にあるので、加害少年が「社会復帰」したときに後ろ指差されることなく、スムーズに図れるようにと、極秘裏に一連の手続きが進むように配慮されている。したがって、被害者の家族や親族との接点もなく、知らないうちに「刑期」や「教育」期間を終えて、社会復帰していることが少なくない。被害者感情からすれば、やり切れない心情に陥ることが多かったわけだ。
だが、日本という国は、つい百数十年前まで、公に「敵討ち」が認められていた国である。ましてや「家」という単位が、このうえなく重要視されている国なので、「孫子(まごこ)の代まで、恨んでやる~」みたいなところがあって、最近の「少年法適用年齢の低年齢化」など、「被害者側の権利」を尊重した法律改正などは、国民気質に応じた納得できる変化だと思う。
しかし、だからこそ今回の「裁判員制度」は検討の余地があったのではないかと思うのだ…。
現在の裁判官3名の合議制から、これに「民間人」である裁判員6名を加えた形になるのだが、法律の知識に乏しく、毎日TVや新聞でいろんな情報にさらされている人たちが加わるということは、心情や世論に偏った方向に傾く判決になることは間違いない。
恐ろしいのは、例えば死刑判決が出て、刑の執行後に冤罪であることがわかったりしたら、「あいつの間違った判決のおかげで、ウチの家族が殺された!」ってなことにもなり得るっていうことだ。
それこそ、「裁判員制度」があったがために、「孫子の代まで」続く遺恨を残すことにもなりかねない…。
そもそも「人が人を裁く!」っていうのは、この国では避けなければならない。言うことは全て正しく、行いは全てが完璧な神様みたいな人間がいたら別だが、そんな人間は100%いないからだ。(前回に続いて、いたら会わせてくれ!!)(笑)。
「それを言うなら、今の裁判官だって人じゃん」という反論が聞こえてきそうだが、実は彼らは「人」ではない。「法の執行者」であって、「法律の別人格」としての位置付けなのだ…。
つまり、「人を裁けるのは、唯一法律のみ」であって、その理想に可能な限り近い形を追求していくことこそが、理想の司法といえるのではないだろうか…。
いかんせん、まだまだ日本では、その法の整備が不十分で、現代の時勢に乗り遅れている感は否めない。
最近の裁判でも、「適応した法律がないから…」なんて、一般の国民からすれば、首をかしげたくなるような判決が幾つかあった。
「離婚後、300日以内にできた子は前夫の子」なんてバカな法律は、簡単にDNA鑑定が行われる時代にあまりにも陳腐で、すぐにでも改正されるべきである…。
世継ぎ問題で揺れる「皇室典範」もしかり……。
アメリカやヨーロッパの制度を取り入れたり、平和憲法を改正したり…。現在の世界情勢を鑑み、世界的に冠たる地位を占める国家の実現も結構だが、万事、事が起こってから慌てふためいて、事が起こらなければ先送り的な体質を何とかしてもらいたい。
最後に…。
アメリカの「陪審制」。ケビン・コスナーの「JFK」やケビン・ベーコンの「告発」を見た人は、「何と素晴らしい制度だろう!」と思った人も多いだろう。
しかし、実態はあんな格好の良いものじゃない…。
実際は、アメフトの元スーパースター、O・J・シンプソン裁判や、最近では、M・Jの裁判など、日本で裁判をしたら、絶対有罪であるはずの事件が、なぜかことごとく無罪となっている。アメリカには、莫大な弁護料で「無罪」判決を請け負う敏腕弁護士がたくさんいて、「刑罰」を「カネ」で買っているケースが少なくないのである…。
日本は敗戦後、強者「アメリカ」の真似をして、今日のような成長を遂げてきた。
しかし、何でも真似したらいいってもんじゃないぞ。
島国、単一民族、家族制、それ故大きな大局の変化は求めず保守的。一方で、マスコミや他人の意見に迎合しやすく、風評に流されやすい…。この日本独特の国民性に、合った制度を構築すべき!と釘を刺しておきたい…。
PS:本日の画像のお題
「日本人諸君。ネコはネコ。決してライオンにはなれないのだよ。」
