息子は就学相談時に知的な遅れがなかったので

「通常学級に入学して、辛くなってから支援級」の方向を進められました。

それでも私は最初から「支援学級」に通わせたいと思っていました。


通学区の小学校には情緒障害児の支援学級はなかったので

教育委委員会に伺ってお話をし、新設していただきました。


その頃療育の園では、お母さん達の間で「できる限り健常の子たちと一緒に」という雰囲気になっていて

9人いた自閉っこ君たちは卒園の時に2人しか残っていませんでした。


他のお母さん達は「よっくんなら普通の幼稚園でも全然大丈夫そうだよね?」とか

「うちの子(普通の保育園+週2回療育のお子さん)よりよっくんの方があんなことやこんな事もできてるよね?」とか

それとなく「普通の幼稚園に行かせた方がいいんじゃないのかな?」コールをもらっていました。

(みなさん断言はなさいません。お互いの考えが有ることも充分ご存知だから。)


「子供たちのパワーはすごい。あんなことやこんな事ができるようになったよ!」というお話もよく

お聞きしていました。


それでも私は支援のある場所にこだわりました。


実は息子は一才半から自閉症の診断を受けるまで普通の保育園に通っていました。

(といっても、登園するたびに熱が出て長引く&喘息になったり下痢をするなどで

月のうち半分くらいしか登園できていないのですけれど。)

その時の息子の様子、園の先生との関わりなどを考えると、せっかく療育園に通園できているのを

やめさせる気持ちにはなりませんでした。

(療育園はその時点で待ち人数が4人とお聞きしていました。一度やめたら戻れません。)


私は小学校を4回、中学校入学時に校区違い、高校でも1回、転校しています。

小3の時初めて転校した時には「東京」→「広島」だったので、

言葉の違い、勉強内容の違い、

おまけにクラスの男の子たちが勝手に家までついてくる(何がしたいんだ;;)→

女の子達に3ヶ月くらい総スカン(いじめられたわけではないです)をくらって

登校拒否になりそうになりました。

(私の母はそういうのは絶対許さない人(熱が40度近くあっても学校いったら治るから行きなさい!
です)なのでどんなに泣いても体調の不良を訴えても登校させられました)

友達ができて居場所ができた頃に転校。

私はいつもいつも「異邦人」でした。

その頼りない気持。不安で、淋しくて、一人でぽつんと給食を食べる恥ずかしさ。

勉強は嫌いではありませんでしたが、休憩時間や給食、イベントごとがつらくて怖くて

それでも逃げ場がなくて、それも私のACの原因の1つだろうと思います。

(中2の頃にはすでに「自殺」まで考えていました(笑))


息子にはあんな風な「居場所のなさ」「逃げ場のなさ」を感じさせる事はできないな~と思っていました。

心さえ傷ついていなければ、なんとかなるだろう、と。

あの頼りない気持はなんらかの「居場所のなさ」を経験した事のある人にしかわからないものなのだと思います。

子が発達障害の診断を受けた事のない人にはその親の気持ちが本当には感じられないように。


二次障害の「うつ」についても、できる限りで避けたいです。

私自身がうつを患い、どれほど苦しいか身を持って知っているからです。

そして一度発症してしまうと、修復できるまでにそれはそれは長い時間がかかります。

(私のかかっていた心療内科のドクターは「うつは治りません」と断言しておられましたあは・・・


そんなわけで私は”心 すこやか”でさえいれば、あとは”こまけぇ~こたぁ~いいんだよぉ~うしししっというスタンスで

これからも過ごしていくつもりでおります。

それでもいろんなところから「オレはダメ人間なのかもしれんガクリ」の種を拾ってきてはこっそり植えている息子。

母はもぐらたたきのように、くさむしりのように、せっせと駆逐する毎日です(笑

いつか彼の根っこが「おれもOKなんじゃね?」としっかり踏ん張れるようになるまで。