抗鬱剤から完全に離脱できたのは去年の11月です。

それ以前も何度か「治ってるかも?」と減薬にチャレンジ→

パキシルの乖離症状「シャンビリ」「吐き気」「めまい」

もうどうとでもなーれ状態

を経験していました。

一生抗鬱剤を飲み続けでもしかたないか・・となかば諦めていました。


去年のはじめ頃に心療内科の先生とのやりとりがきっかけで

克服しているつもりだったACが完全には克服できていなかった事に気が付きました。


心療内科での受診時、息子が不登校になりかかっている話から

「あなたが(私)いくら頑張って一番のサポータになった所で、

 子供は(息子)いつか親を捨てて去っていくのだから、

 そのがんばり自体が無意味ですよ。

 傲慢ですよ。」とドクターに言われました。

(先生が「行きたくないならいかなくてもいいんじゃないですか~」とおっしゃるので
 私の考えや毎日30分でも連れていっている事、一番のサポーターでありたい事などの話をした後の先生の感想です。)

その場では動揺を見せることもなく帰宅しましたが、心の中では打ちひしがれるほどのショックをうけていました。

私の思いは間違いなのか。自分の考えを信じる事は傲慢なのか・・。

今までしてきたこと、考えてきたこと全てが無意味だったということなのか・・・。


もうどうとでもなればいい、いっそ死んでしまおうか、と本気で考えていました。


けれどふと気が付きました。

「表面しか知らない他人が、私のしてきた事の全てが無意味だ、と何故言い切れる?」

「何故、その言葉をまるまる受け取って、死んでしまえばいいと思うほど
 自分は間違っていた、無価値だったと信じてるのか。」

「そもそも誰かに認めてもらいたくて、息子とがんばってきたのか?
 認めてもらう必要があるのか?」

権威だと思う人間に認めてもらわなければ自分は全くの無価値である、失敗者である、

という思い込みの根底には、

「親が私をちゃんと育ててくれなかったのは、私が無価値な人間だからに違いない。」

という自己不全感がありました。


「子供のありのままを愛して育む事ができなかったのは、私のせいなんかじゃない。

あの人達自身の心の問題、あの人達自身の怠慢なんだ。」

そう思うと、なにかがふっきれました。

根っこがぶちきれたような絶望感・喪失感。


「親が認めてくれなかろうと、他の誰かが認めてくれなかろうと、

私はありのままでいていいんだ。息子がそうであるように。」

心の底からエネルギーが沸き上がってくるような開放感を感じました。



こんどこそ治っているかも?と、慎重に減薬をはじめ、10ヶ月かかって

パキシル20m・ドグマチール10m/日 頓服リフレックス を

完全にゼロにすることができました。


心は気がついてはいけない事には本当には気がつけないようになっているのだそうです。

完全に壊れてしまう事を防ぐために。


私が自分のACを直視できるほどに癒えていたのは

息子との関わり合いのおかげだったろうなと思います。


こんな風に接して欲しかった。

こんな風に大切に真剣に扱って欲しかった。

ありのままの自分を受け入れてゆるぎなく愛して欲しかった。

息子を育てながら、自分自身の中の小さな子供の私も一緒に育てていたのだろうなぁと。


息子の存在そのものに癒され

息子を通して知り合えたたくさんの素敵な方達のあたたかさに癒され 学ばせてもらって

やっと本当に直視する事ができるようになったのかな、と思います。


うつは克服できたと思いますが、ACを取り去る事は難しいです。

私の根っこの根っこにまでがっつりと喰い込んではびこっていて

私を構成する一部分になってしまっています。


それでも今はそのまんまでかまわないかな、と思えています。

認知の歪みに気がついて直視する事ができさえすれば、

巻き込まれて見失ってしまう事はないんじゃないのかなーと。


これからも悩んだり、迷ったり、困ったりしながら

もしかしたら、そのうち いつかたどり着けるかも。

たどりつけなくても、少しでも近くにいけるかも。