「なんでうちの子が!」「なんの罰ゲームだよ!」

落ち込んでいるうちに、怒りがわいてきました。
(誰に・何にむかってなのかはわかりません(笑))


ネットをさまよい歩き、本を読みまくり。

必死にあがきました。


原因は?

将来は?

治療方法は?

出口はどこ。明かりはどこ!

でも出口も明かりもどこにもみつかりませんでした。


「自閉症は一生治らない。」

思い知っただけでした。


そうやって自閉症という障害を知ること、それを自分につきつけることで、

私の中の「健常であるはずの息子」と別れ、

「(自閉症という障害を持った)ありのままの息子」を受け入れようとしていたのかもしれません。


「私がこの子の一番のサポーターになってやる!私がならなくて他のダレがやる!」

覚悟をきめました。

(でももしかしたら本当は障害なんかじゃないかも?やっぱり誤診なのかも?)

心の片隅に残っていましたけれど。



児童相談所に相談して、”療育”に通いました。

療育保育園と、感覚統合の訓練(週1回)年中さんからは言語療法(週1回)も受けました。

未満児のうちは週に一度親子で通園。

年少・年中では毎日親子通園+週一度は子供だけ通園(親のためのレスパイトケアも兼ねています)。

年長の時にはシステムが変わって毎日が子供だけ通園になり、しっかりレスパイトさせていただきました。

感覚統合・あずき遊び
$137億年中(ひとつぶ/70億)-感覚統合



年中の時は私のうつが重症化したり、子供とも相性の悪い先生だったりで、いきたがらなくなり

ほとんど通園できていません。感覚統合と言語療法の訓練は休まず続けました。

年長さんで、年少の時の大好きな(子供も私も)先生が担任になってくださり、

子供も楽しんで一生懸命通いました。

息子のおむつが外れたのは年長さんになってからです。

小学校でもおむつか?大人用をはかせるのか?と覚悟していたのですが、

先生は「絶対できるから!」と、2週間毎日雑巾で始末しながら励ましてくれました。

(あとでトイレにいくのがめんどくさかったからという理由だった事が発覚しました。)

自宅でも感覚統合やティーチの参考書を買ってきて、絵カードや絵スケジュールを作ったり、

場所を区切ってみたり、布団ぐるぐる巻き遊びやあずきを山盛り買ってきて遊ばせたり、

できることをあれこれ工夫して取り入れました。





子供にももちろんですが、私にとってもかけがえのない3年半でした。


家で悶々と過ごしながらどっぷり浸っていた自己憐憫と罪悪感から

「私だけじゃないだ。みんながんばってるだ・・。私だってこの子だって大丈夫!」と

抜け出すことができました。

園のお母さんたちとお菓子をつまみながら他愛のない話で笑いあっていると、

肩の力がすーっと抜けていきました。


(もしかしたら自閉症じゃないかも?)どこかで捨てきれなかった思いも、

他のお子さん達を見ていると、(なんで今まで気が付かなかったんだろう?)と思うほど

似たような特徴がハッキリありました。


抱っこした時に体をそらしたりぐにゃぐにゃになってる。
(重たいです;;)

ぐずると床だろうと道路だろうと倒れこんで暴れまくる。
(トイレの中だろうと道路のまんなかだろうとお構いなしです。)

手をつないでいても、何かを見つけるとものすごい力で振りほどいて驚くほどの速度でダッシュ。
(本気で走っても追いつけないくらいです。)

おもちゃはたいてい口の中。
(そんなもんだと思っていました。口に入らないものは舐めてました・・。スリッパの裏とか;;)

数字やマークが大好き。
(早くに数字を読めるようになっていたので、天才かも?と(笑))

ハッキリきちんとするべきことを伝えないと意味がわからない。
(静かにさせたくて「何してるの!おりこうにしときなさい!」では意味が通じません。)

待ってね、が全く通じない。

寝ない。

ものすごい偏食。

子供とつながっている感じがしない。
(これが一番こたえました。)


同じように悩み苦しみ、それでも明るく前向きな方にたくさん出会えました。


そして私自身は「障害」という事を本当に考えるようになりました。

もし私が車椅子だったり目が見えなかったりしたら、私は「役立たずのお荷物」だろうか?

他の方の手助けをお願いしなければできないことがあるという事は

「人として劣っている」という事だろうか?

社会的な経済活動で利益が出せなければ「人生に意味が無い」ということだろうか?

「障害」ってなんだろう?

私が子供の時にじっとできないおてんばだった事。
(ADHDだったのかもしれません)

昔の友だちに完全に予想外のリアクションを返してくるとても楽しい子がいて、大好きだったこと。

私が小さい時から叩きこまれていた「人の気持ちがわからない。人の役に立たない人には居場所などない。」という

ACの過剰適応の価値観と全く相反する障害を持つという事。

沢山考え、苦しんだり、ふっきれたりしました。

健常だと思っていた時には息子を「かしこい・良い子」に形成しようとしていました。

診断を受けた時、それが不可能とわかったからあんなに絶望したんだなと。

自分が「良い子の親」になるという目標がなくなったからだったんだ、と気が付きました。

子供の為、と言いながら自分自身の為だったんだ・・・。

$137億年中(ひとつぶ/70億)-診断を受けた頃

この頃までの服はほとんど私の手作りです。とっかえひっかえ日に何度も着替えさせたりしてました。
子供は着せ替え人形じゃありませんよね^^;



すべての事がすっきり整理できたわけではありませんでしたが、小学校に上がる頃には

私はもう「息子が健常だったら・・」と思うことはなくなっていました。

息子は健常であろうと自閉症であろうと、もしもっと重たい障害をかかえていようと、

かわりなくかけがえのない私の息子。大切な一つの命なんだなーと。

私が先にたって引っ張っていくのではなく、後ろからさりげなくついていって

サポートやケアをしてあげられるようになろう、と。

息子が私の道しるべになりました。