人間の思考は、すごいけど適当なものだ。
一文で、よくも悪くも色々想像し、解釈してくれる。でも、決して理解はしていない。
言いたいことを100%同じ情景、場景を思い起こしてくれるわけではないのだから。
それが70%でも同じなら良いが、話したいことと-9i(複素数)ぐらい違う捉え方されたらどうだろう?
ある兄弟の会話。
「お母さんどこいったの?」
「さっき、『スーパー』行ったよ」
『スーパー』行ったと言うんだから、スーパーマーケットに決まってる。
でも、それは
■スーパーマーケットという場に
■お母さんが食材など買いに良く行くから
『スーパー』と言う言葉で『スーパーマーケット』と連想できる。
この外界を理解する枠組みを、心理学用語で「スキーマー」というらしい。
でも、スーパーと言っても
『スーパーマン』かも知れない。
『スーパースター』かもしれない。
『スーパーマリオ』かもしれない。
買い物にスーパーマーケットは、すごい良く使う概念だから理解できるだけだろう。
反対に、悪い意味に捉えられがちな言葉は慎まないと、勝手に『解釈』して『理解』されてしまう。
言葉に気をつけないといけない理由はそこにある。
『収入を得る』はまっとうな働きの対価っぽいが、『稼ぐ』はきついこと、少々手荒いことなどして得た収入っぽい。
『人と遊ぶ』なら、まあそうか、だけど、『母と遊ぶ』なら、「仲いいな」か、「マザコン」だろう。
もっと広い概念だったら、想像範囲も広いからまともにイメージが重なることがない。
『政治』なんて最たるものだろう。世間とのギャップでかすぎてもっとも割りに合わず不運な
仕事に一つだと思う。
『パナソニック』といったら、今はセンスの良い白物家電、品質最高などなどが一般消費者の
イメージだろうけど、社内にいれば、一種の宗教、古きよき企業などイメージが変わるだろう。
そんな中、本当に伝えたことがあるけど、ギャップがありすぎる、奥が深い、など等すぐ
わかってもらえない場合どうすればいいのだろう?
結局、ひたすら一緒に体験するしかないのだと思う。
それに巻き込むには、変な想像をさせないことだと思う。
相手に都合の良い色を見せて、体験させてその後に事実を見てもらえばいいんだろう。
騙しても、最終的に満足すればそれでいいのだ。
過去を振り返っても、結局終わりのイメージですべてが決まっている。
人間って、基本的にアホなんだろうな。
何かをやるには、そのような悟りが必要なんだろうと思う今日この頃。