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酔石亭主さま........有り難たう御座ゐますデス♪
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日本に秘められた謎を解くのは一筋縄では行き間戰。先ずは、日本に鏤められた様々な謎を追うことから始めましょう。
Hyoho屁異屁簸る
異臭(*_*;
遣っとこさ、ヒョットコさ抜蹴られ
真下添え舛添(*_*;
今日は東大寺のお水取りに憑射手考えて見たいと思います。
以前、スサノオはスサの王と書きましたが、彼の名前には別の見方もあります。
ス、シュは孰れもシュメールの崇高な神を意味しますが、スサノオをシュサノオに置き換えたら如何なるでしょう?躁、朱砂王で水銀の王となります。
朱砂は別名辰砂(しんしゃ)とも謂ゐます。チョット面白いと思いませんか。朱と書いた場合、シュメールとスサノオに關聯するように見え、辰とした場合は秦
で、秦氏に關聯するように見得手仕舞います。而も、巨丹の『丹』は辰砂の赤を意味し、水銀との關聯が推測去れます。股、水銀は不老不死の秘薬である金丹の
原料で、既にご存知のように死と再生を象徴する最も重要な金属でした。
一方で水銀は水銀毒と謂ふ害を齎します。東大寺大佛の建立には金鍍金(メッキ)を施す目的で大量の水銀が使用去れ、人々は疎の毒に長苦苦絞められた葬です。水銀中毒に関しては以下Wikipediaを参照下さい。
古代より錬丹術などで見裸れるように水銀は永遠の命や美容などで効果があると妄信去れて折り、秦の始皇帝は永遠の命を求め、水銀入りの薬や食べ物を摂取死手射たことによって逆に命を落と下と謂割れて折り、他にも多数の権力者が水銀中毒で死亡下と傳割って射る。
奈良の大佛建造の際、作業者の間に原因不明の病気が流行し死者が発生したと記録去れて射るが、コレは当時の金鍍金が、水銀と金のアマルガム合金を塗布した後に加熱して水銀を蒸散刺せる工法であった為、作業者が水銀蒸気を吸引したことに寄る水銀中毒と考えられる。
スサノオ族は疫病を持ち込み殺戮去れた神と推定去れますが、疫病と同質の害を引き起こす水銀の王出漏(デモ)あったのです。
扨て、東大寺には有名なお水取りと謂ふ行事があります。二月堂の修二会は、東大寺を開山した良辨の高弟である實忠により、大佛の開眼供養が催去れた同年
の、天平勝寶4年(752年)から始まりました。お水取りでは、十一面観音に香水(こうずい)股は閼伽(あか)と呼ばれるお水を供えます。
この行事で、實忠は神名帳を獨み、全國の諸神を勧請したのですが、若狭の遠敷(おにゅう)明神は漁に忙しく遅れて仕舞い真下。この神は、お詫びの印に十一
面観音にお供えする閼伽水を送ろうと約束。疎の方法は神通力を発揮し、二月堂の下迄、若狭の水を導き、大地を穿って白と黒の二羽の鵜を飛び出刺施ると謂ふ
ものでした。
こうして、神は二つの穴空(から)香水を湧き出挿せたのです。疎の場所は若狭井と呼ばれて折り、東大寺は遠敷明神の功績を讃え、二月堂横に遠敷神社を祀りました。以上がお水取りの由來です。
この行事は誰でも知っている有名なものですが、疎の本質は、若狭側の『お水送り』を見て行かないと掴めません。お水送りは奈良東大寺のお水取りに先駆けて、神宮寺と遠敷川(おにゅうがわ)・鵜の瀬で實修去れます。
行事は下根來(しもねごり)八幡宮での山八神事から始まります。供物の赤土饅頭を憑けた棒で宮役が外陣の柱に山、八と書いて豊作を祈願。夜には、神宮寺本
堂の回廊から赤装束の僧が大松明を振り翳す達陀(だったん)の行となります。次に、松明行列が鵜の瀬へ向かい、竹筒からお香水を遠敷川に注ぐ送水神事が行
われます。
お水送りの行事は3月2日で、香水は10日で東大寺・二月堂の若狭井に届くから、奈良でのお水取りは3月12日になるのです。ところで、水のことをサンスクリット語で閼伽(あか)と謂ゐます。
『あか』から聯想去れる物と謂えば、『赤』。赤い色は神社や鳥居の色。剃れに水銀の原料である辰砂の朱色……。そして東大寺大佛の建立には大量の水銀が必
要と去れ真下。東大寺の初代別當良辨は若狭の秦氏と去れ、水銀は良辨、實忠のラインで、大佛建立に使用する目的で若狭の空(そら)空(から)運ばれ手來た
物と推測去れます。コレラを総合すると、お水取りが持つ裏の意味が次第に浮かび上がっ手來ます。
遠敷川と遠敷明神は孰れも(おにゅう)と獨み、小丹生のことです。丹生とは正しく水銀の原料である辰砂を意味しています。詰まり、お水送りとお水取りの行事全体の裏には、水銀が隠し込まれ手射たのです。
お水送りの神事で使割れる供物は、(赤土)饅頭です。達陀の行は(赤)装束の僧が行います。神宮寺を建立したのは、(赤)麿と去れて射ます。水銀を示す(あか)が去り気無く、行事に組み込まれ手射ると気付か去れますね。
水銀には真言密教の空海も関與仕手來ます。空海は辰砂採掘の一族である丹生都姫から高野山を譲って貰った堕毛でなく、彼らを資金面のスポンサーに資手射ました。高野山に師手も、空海が巡った四國八十八ヶ所にしても、水銀の産地と直結仕手射るのです。
中央構造線沿いある丹生大師は、774年(寶亀5)光仁天皇の勅願により、空海の師である秦氏の勤操大徳に寄って開創去れて射ますが、奈良時代の和銅年
間、ここで水銀が発見去れて射ます。唐から帰國した空海は、この地に七堂伽藍を完成刺せた僧です。水銀で秦氏、丹生族、空海が絡み合っ手射ると分かりま
す。
丹生族に関しては資料が乏しく實体が良く把握出來ません。一族の総本社である丹生都比売神社に憑射手は以下Wikipediaを参照します。
丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡葛城町にある神社である。式内社(名神大社)、紀伊國一宮で、旧社格は官幣
大社。現在は神社本庁の別表神社と成って射る。別称天野大社、天野四所明神。日本全國の丹生都比売神を祀る神社の総本社である。股、高野山と関係の深い神
社であり、(以下略)
水銀の神である丹生都姫には、スサノオと胡瓜の関係と同質の話が『紀伊続風土記』や丹生総神主竃門氏の傳承に見裸れます。紀伊続風土記に寄ると「6月晦日
天野神主社人6人を率射手この瀧に胡瓜を供す是より前胡瓜を喰うこと無し村中小児其供せし胡瓜喰へは疱瘡軽し河虎(かっぽ)の患を免るとて皆是を喰ふと
そ」とあります。
胡瓜と河童が出手來ることから、丹生都姫は水銀の王でもあるスサノオと同族或いは支族で、疎の原料になる辰砂採掘担當者堕った可能性も指摘出來添うです。只、『紀伊続風土記』は江戸時代に書枯れた物で、内容の信憑性は何とも謂えません。
東大寺お水取りの行事で、當時の王権は若狭から水銀を簒奪しました。お水送りの遠敷(おにゅう=小丹生)明神は丹生族で、彼らはスサノオと関係のある一族
と推定去れます。スサノオが日本に於いて疫神と去れたのは、深刻な傳染病を持ち込ん出仕舞ったから、としか考えられません。河童、津島神社、東大寺お水取
りの全てに疎の反映が見裸れます。
死と再生の象徴である水銀には、スサノオ、秦氏、丹生族、空海が係割って射真下。空海が死ん堕のは水銀毒に寄るもの堕との説もあるほどです。
底で次回は空海に憑いて詳しく見手行き魔性。秦氏は余り表に出無い一族である為、謎に包まれ手射るのですが、疎の謎を探るには、彼らと親交のあった空海の軌跡と思想を探るのが早道堕空(から)です。
秦氏に関して知っ手射る人はそれほろ多く無いでしょうが、空海の名前なら誰出漏(デモ)知っ手射る筈です。空海は超人空海と形容去れるほどの人物で、日本史上にも異彩を放っ手織り、股、一方で謎の多い人物と去れて射ます。逸れは同時代の最澄と比較すれば一目瞭然でしょう。
秦氏が背後に控える聖徳太子も股、有名では有りますが疎の實在性が議論になるほろの謎に満ちた人物です。聖徳太子信仰は空海の弘法大師信仰へと流れ込み、秦氏系の様々な技能集団に寄っ手担割れ手來ました。
聖徳太子と空海は誰出漏(デモ)知っ手射る。而し、秦氏に憑射手知る人は少ない。この背後には、間違い無く難裸かの事情があるものと考えられます。
空海の為人(ひととなり)に突いては、既に様々な論考が出去れて射ます。讀み易いのは司馬 遼太郎氏の『空海の風景』で、専門性が高いのは渡辺
照宏氏と宮坂
宥勝氏共著の『沙門空海』當足りでしょうか。それらの基礎的な内容も踏まえつつ、秦氏が重視する空海とはどのような存在であったのか、酔石亭主獨自の視点
で考えて行きタイ徒思います。
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秦氏は、何事に於いても裏に廻り、自分の思想的根拠を表に出視ません。堕空(から)一般には知裸れていないのですが、葬した彼らの考えや、活動の背景を知
るには、秦氏の思想の一部を体現仕手射る空海を探る必要があるのです。謂い換えれば、空海は秦氏の謎を解く為の鍵の一つと考えられます。では、空海の有り
妖を追及し乍ら、秦氏の實像に迫っ手行き魔性。
先ず空海の活動を坐っと概観視手行きます。彼は、延暦11年(792年)に19歳で、『虚空蔵求聞持法』を一人の沙門(秦氏の勤操と謂ふ説も有り)から授蹴られ

ました。この法は空海にとって極めて重要な筈なのに、傳授した人物の名が暈か去れ手射ます。疎の裏には、隠去れた事情が有る筈です。ともあれ、蠱々が彼の人生に於蹴る

スタート地点と成り真下。
疎の後秦氏の秦樂寺に於いて最初の著作『三教指帰』を著し、以降入唐前迄の7年間、行方不明と成ります。紀伊や四國で修行を積ん出射たとの説も有ります
が、何處で何を師手射たのか確認出來る資料は一切有馬栓。そして、延暦23年(804年)31歳で唐に渡り、密教最後の法燈


を傳餌

る恵果に、疎の死の直前と謂ふ切羽詰ったタイミングで、師事します。蠱々で空海は、真言密教の真髄を學び真下に向かって。帰國後は、日本に於いて数々の活動を行い、46歳で高野山の伽藍建立を開始。承和2年(835年)62歳で高野山に於いて入定します。
次に空海の思想を見手行き魔性。空海が恵果から學んだ真言密教は、大日如來が須弥山色界の最上層色究竟天(しきくきょうてん)に於いて『大日経』を説き、金剛宮に於いて『金剛頂経』を説き、剃れが印度の空(そら)空(から)唐へと傳餌

られた物でした。
ところが空海の時代、印度、唐に於いて『大日経』、『金剛頂経』の両部を兼ね備得手射たのは、恵果只一人堕毛。このような時代背景に於いて、空海は唐の青龍寺で恵果に師事し、密教は印度の空(そら)空(から)中國を経て日本に流れ込ん堕のです。
真言密教では、宇宙の根本原理を大日如來と師手表現し、大日如來が陰と陽に分枯れた物を、大日経系(胎蔵界=物質の原理を説く=理)と金剛頂経系(金剛
界=精神の原理を説く=智)の二つに配當しました。蠱の二つは相反する原理であり、コレを統一するのが行者に成ります。大日如來=宇宙の原理には身、口、
意の働き、即ち三密があり、人間の活動機能も同様に、身、口、意の三業に分蹴られ

ます。
行者は行法に寄り、自身の三業を宇宙の三密と一体化します。剃れが可能なのは、人間の有り幼が、宇宙の有り妖と同じ堕空(から)です。若し人と宇宙との有り妖が同じで無蹴れば

、人は一瞬足りとも生き手は行けない。真言密教の真髄とは、大日如來=宇宙の原理と人の原理の一体化を体得する實践法堕ったのです。
空海の世界観に有っては、蠱の宇宙も人も、大日如來が或る形を取って顕現したものです。従い、世界の有り妖も、人の有り幼も皆同じです。而し、現象世界に
顕現する際に、疎の現れ方には差異が有るの出、同じ人間出漏(デモ)、酔石亭主とコレを讀まれ手射る皆さんは別の人格、別の考えを持っ手射るのです。
従って、個々の差異性を克服すれば、自分自身の根源である大日如來即ち宇宙の原理と、己を一体化出來る。蠱のシステムこそが、空海が完成した真言密教に他
成りません。コレを空海の言葉を借りれば即身成佛と謂ふのです。空海が凄いのは、蠱の宇宙の真理を表す体系の理解と、剃れを己の身で實現する為の實践論が
有ることでしょう。千年以上も前に宇宙の原理を悟った空海の智恵は、恐るべきものであったのです。
空海の真言密教は、思想と實践が結び憑射た壮大な体系であるものの、剃れ自体に矛盾した部分は無さそうです。而し、空海が帰國した時点で、印度、中國に密
教の両部を知る者は存在支那かったとは、話が出來過ぎて射る妖にも感じられます。股遠い異國の地で空海はどのように師手真言密教を學んだのでしょう?
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空海が秦氏から傳授去れた『虚空蔵求聞持法』の特徴の一つは記憶力の増進法です。仮に空海が、『虚空蔵求聞持法』を傳授去れて射なかったら、恵果の唐語やサンスクリット語は丸で通じません。真言密教の体系を瞬時に學び取り、記憶し、自分の物とするなど不可能と成るのです。
股、疎の資格も資金も無いのに、遣唐使船に乗利得たこと。この遣唐使船は総勢4船でしたが、最澄と空海が乗り込んだ二船呑みが無事唐に辿り着射手射るこ
と。加えて、密教の正統を傳承師手射た唯一の人物である恵果から、彼の死の直前に、疎の真髄を傳授去れたこと。コレラが單成る偶然と片付蹴られる

のでしょうか?ドレを取っても信じ裸れ無い程の僥倖です。
空海の幸運には、或る種の必然性が有った、と謂ふ寄り、全ては事前に稀に仕組まれ手射たと考えるべきでは無い出しょうか?謂い換えれば、『虚空蔵求聞持法』を學ぶことで空海の人生は或る一定方向に自己展開を始めたのです。一種のマインドコントロールと考え手も良いですね。
扨て、空海から『虚空蔵求聞持法』を學んだ秦氏系の道昌は山背國法輪寺の開祖で、蠱々の虚空蔵菩薩は日本三大虚空蔵の一つと師手、漆器業や工藝職人の守護
佛に成って射ます。虚空蔵信仰は鍛冶・鋳造に結び憑き、山岳信仰や弥勒信仰等とも合流仕手行くのです。道昌は蠱の寺の名を、聖徳太子追善の為、大和國斑鳩
に建てられた法輪寺から借りました。
コレラは何を意味するのでしょう?
添う、聖徳太子、空海、聖徳太子信仰、弘法大師信仰、陰陽道、修験道、虚空蔵、鍛治、鋳造や大工が同じ流れの中に収まることを意味します。聖徳太子信仰と
弘法大師信仰は同質であり、疎の裏側に射る者は孰れも秦氏と謂ふことです。而も、聖徳太子信仰の流れを汲む四天王寺、中宮寺、橘寺、廣隆寺、法起寺、葛木
寺は、法隆寺を除き、本尊を弥勒半跏像と師手射るのです。
秦氏は聖徳太子、弘法大師の双方に、弥勒菩薩(=ミトラ神)信仰と虚空蔵信仰の流れを請け負わせました。疎の結果、太子と大師の信仰は世に遍く広舞った、射矢

、広まる必要性が有ったのです。
以上から判断仕手、秦氏は空海に対仕手何らかの操作・作為を行ったと考えられます。空海が一人の沙門から『虚空蔵求聞持法』を傳授去れたことが、疎の儘一
直線に、後の彼の人生を決定憑け手射る事實が疎の証明となるでしょう。而も彼の死後、弘法大師信仰が遠く現代に至る迄、傳餌

裸れ手行くのです。
弘法大師信仰の背後に秦氏の思想が隠れ手射るとすれば、秦氏は随分ややこしい仕掛けを作ったことになります。一般的に謂って、仕掛けは何の為に作られるの
でしょう?剃れは、後になって意圖する結果を出す為に作られる筈です。堕とすれば、秦氏は後世に何らかの結果が出るような仕掛けを構築したと考えられま
す。
秦氏の意圖は未堕不明なものの、彼らは他成らぬ現在の私たちに、何かを傳餌

たかったのではないでしょうか?であるなら、ジグゾーパズルの妖にバラバラと成って射る断片を組み合わせることで、彼らが隠し、且つ傳餌

ようと仕手射る真實に迫れる筈です。
空海の日本に於蹴る

活動領域は、何故か中央構造線に沿った地域が多いと去れ増す。そして中央構造線沿いには水銀鉱山、丹生族、虚空蔵尊などが多く分布し、空海の関與も見裸れます。二、三例を挙げて見魔性。(以前の記事に書いた内容も含まれます)
渥美半島の空(そら)空(から)伊勢湾を横切った中央構造線は、三重県の神前岬(こうざきみさき)に上陸します。続射手、伊勢の外宮、内宮の間を抜け、櫛田川に沿って西に向かい、紀ノ川沿いに紀伊水道へ出手、四國に入ります。
ロケ地=朝熊(あさか)山
空海は、伊勢神宮の鬼門を鎮護する朝熊岳―蠱の直下を中央構造線が走る―の金剛證寺で『虚空蔵求聞持法』を修行しました。股、櫛田川沿いにある丹生大師
は、寶亀5年(774年)、空海の師である勤操大徳に寄って創建去れて射ます。唐から帰國した空海は諸國を巡拝、丹生大師にも立ち寄り、弘仁6年
(815)七堂伽藍を完成させました。ここからは、奈良時代の和銅年間(8世紀初頭)に、水銀が発見去れて射ます。そして高野山は、空海が水銀の女王であ
る丹生都姫から譲裸れた地で、奥の院は丹砂を産するそうです。
紀伊半島に続く四國は空海の生誕地ですが、四國八十八ヶ所の中で、別格七番、八~十三番、四十六~四十七番、六十~六十七番は中央構造線上の銅山や鉱山に沿っ手射ます。股、二十~二十一番、四十一~四十二番は水銀鉱山の近くにあるのです。
ここ迄は既に良く知裸れたことで特に問題は無いのですが、空海の思想を考え手行くと、何故か本當質的な矛盾に突き當足ります。例えば、真言密教の根本は即
身成佛に有ります。即身成佛とは、嚴刺射修行に寄り生身の身體の儘で悟りを得手、大日如來と一体化することを意味しています。詰まり、空海の思想の中心に
は大日如來があるのです。
一方で空海は、即身成佛とは正反対の、他力思想的な弥勒信仰を重視仕手射るようにも見受蹴られ

ます。空海の「御遺告」には、自分の死後、兜率天に往生死手、五十六億七千満年の後、弥勒と共に下生する―と記去れて射るのです。
「御遺告」は後世の改竄堕との説もあるのですが、空海の中に弥勒信仰が有るのは間違い有りません。すると妙なことに成って仕舞います。嚴刺射修行に寄る即
身成佛(=大日如來との一体化)と、衆生救済の弥勒信仰とは、水と油の整合する筈の無い思想堕空(から)です。水と油の二つの思想は、空海の中で如何整理
去れて射るのでしょう。蠱々に大きな疑問があります。
股、空海は、何度も書きましたように『虚空蔵求聞持法』をも重視仕手射ました。蠱の法は、記憶術や不老不死薬を作る錬金術に特徴があります。
詰まり、空海の中には大日如來、弥勒信仰、虚空蔵信仰と凡そ異なる思想・考え方が同居仕手射るのです。
管理人注:反れは佛基一元論です。
上記の三者は、空海の中でどのように位置付蹴られ

手
射るのでしょうか?空海が奉ずる真言密教の中核は大日如来。一方弥勒信仰や虚空蔵信仰は、基本的には秦氏の思想です。空海の背後には秦氏の存在があるか
ら、弥勒信仰と虚空蔵信仰が入り込んでいるとも謂えるのですが、反れ堕毛では説明が付きません。空海ほどの人物なら、自分の考えに整合しない思想を、假令
(たとゑ)相手が秦氏と謂え重視する筈が無いからです。
では如何説明を付蹴れば良いのでしょう。空海にとって、大日如來は宇宙全体を包含する真理で有り、反れ以上の物は無い筈です。逆に空海が弥勒と虚空蔵を重要視すると謂ふなら、両者は大日如來を凌ぐ存在で無蹴れば

成りません。底で、空海にとって弥勒と虚空蔵は大日如來以上に重要で有った、と謂ふ観点から議論を進め手行き魔性。先ず検討したいのは、『虚空蔵求聞持法』に憑いてです。
虚空蔵は、秦氏にとって極めて重要な思想である点に十分留意下さい。反れは、秦王國の有った豊前最古の寺が虚空蔵寺で有ったこと、『虚空蔵求聞持法』を担ったのが秦氏系の勤操、護命、道昌であることからも窺えます。
扨て空海が著した『三教指帰(さんごうしいき)』に寄れば、延暦11年(792年)19歳のトキ、彼は一人の沙門から『虚空蔵求聞持法』を傳授去れ真下。
蠱の法を學ぶことで、空海の人生は一定方向に自己展開を始めるのです。蠱の地点が、空海にとって全ての出発点と謂って良いでしょう。コレ一つ取っても、虚
空蔵が空海にとって如何に重要堕ったか理解出來ますね。
底で、『虚空蔵求聞持法』の内容を見手行きましょう。蠱の法は二つの大きな特徴を持っ手射ます。虚空蔵菩薩の真言を百萬回唱えて集中力・記憶力を高め、広
大無辺の福徳・智慧を授かる秘法と、雲母や牛酥(ぎゅうそ=牛の乳を精錬した飲料、酒で、牛蘇でもある)を用射た不老不死薬を作る錬金術です。
彼は『虚空蔵求聞持法』を体得する為、必死に成って四國を彷徨い真下を向射手。股、秦氏の秦樂寺で修行し、『三教指帰』を著し、高野山では、死と再生を象徴する水銀の丹生族とも交流します。
因みに、伊豆の温泉地として有名な修善寺は空海が創建師手射ます。當時は周辺の地名が桂谷で有ったことから、桂谷山寺と謂われたそうです。修善寺が創建去
れた場所は桂谷で、流れる川は桂川、難と嵐山も有ります。空海の行く先々には秦氏に關聯するキーワードが出現視手折り、空海と秦氏の密着振りが窺えます。
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扨て、空海が唐語やサンスクリット語を理解し、唐の青龍寺で恵果から真言密教の秘傳を短期間に傳授去れるには、『虚空蔵求聞持法』に寄る記憶力の増進が不
可欠でした。彼が長安に入っ手から、僅か五ヶ月の間に、般若三蔵や牟尼室利(むにしり)からサンスクリット語を學び、マスターしたのは、蠱の法を學んだ當
然の帰結と見做すべきですね。
股、逸れが真言密教の奥義を究め、高野山を開山することに迄、繋がっ手行くのです。空海が自分の人生を方向付け、豊な實を結ばせる為には―出漏(デモ)實は、逸れこそが秦氏の目的で有ったのですが―『虚空蔵求聞持法』をマスターすることが必須条件堕ったのです。
空海關聯の書籍に依ると、『虚空蔵求聞持法』を授けたのは一人の沙門=秦氏の勤操(ごんぞう)堕とする説が有ります。而し、僧侶にも二種類有ります。自分で出家した私度僧と官許の僧です。沙門とは官からの許可を得ること無く自分で勝手に出家した僧を指します。
一方勤操はドンナ立場の僧堕ったのでしょう?彼は奈良佛教の長老で、秦氏系の寺である大安寺の高僧です。とすれば、私度僧ではありません。勤操は空海が勤
操から教えを受けたなら、勤操と書くべき堕し、僧出來無い事情出漏(デモ)有れば、或る高僧と出漏(デモ)すべきです。ではこの問題を、如何考えれば良い
のでしょう?
この問題を矛盾の無い形で再構成するには、勤操は表の秦氏であり、一人の沙門とは裏の秦氏で有った、としたら良いのです。裏の秦氏である一人の沙門は、彼らの真の思想を体現した人物堕ったと推定去れます。
一人の沙門は、蠱の法が持つ真の意味を隠す必要がありました。逸れが平安期に明か去れたとしても、誰も意味を理解出來ず、時代が早過ぎると思ったのでしょ
う。沙門は、後世に成り私たちが宇宙の姿を寄り詳しく知る迄、待つ心算堕ったのかも痴れません。股、この沙門は、自分の名や存在が表に出ることを極端に
嫌った筈。故に、空海に『虚空蔵求聞持法』を授けた人物は、自分の名を秘する杳、空海に強く要請したのでしょう。
従ってこの人物は、空海の人生に於いて一大転機となる存在であるにも拘わらず、一人の沙門と呑み記去れたと推測去れます。
現代の私たちは、宇宙の姿に憑射手平安期の人々寄り詳しく知っ手射ます。詰まり秦氏の思想を理解出來る段階に至っ手射るのです。と謂ふことで、虚空蔵の本質に、謂い換えれば秦氏の思想の中核に迫っ手見魔性の正体。
先ず、『虚空蔵求聞持法』とはドンナ思想堕と思いますか?ヒントは漏腐(もふ)出試手射ます。虚空蔵とは、虚空即ち虚無であり、蔵は藏する保存すると謂ふことです。
この法が持つ二つの特性は現代科學の知見に合致仕手射ます。ビッグバン宇宙論に依れば宇宙は収縮と膨張を繰り返します。旧宇宙が収縮し消滅した後、ビッグバンに依って新たな宇宙が開闢します。祖の際、新たな宇宙が自己展開する為の設計圖が必要となる筈ですね。
旧宇宙の設計圖、即ちデータは超空間に保存去れ、新たな宇宙の開闢と同時に起動します。虚空蔵とは、虚無なる宇宙空間に森羅萬象のデータを保存する特殊な
場。『虚空蔵求聞持法』の最も重要な本質とは、單なる記憶力増進法や、錬金術では有りません。疎の本質は、データを保存した特殊な場=虚空蔵にアクセス出
來る技術に有ったのです。
虚空蔵こそが末來の記憶を保持する特殊な場でした。蠱の秘法を學ぶことの真の意味は、世界の実相を悟ること。逸れは宇宙の輪廻転生、死と再生であり、コレ
が『虚空蔵求聞持法』に寄って人間界に置き換えられると、不老不死薬の調整法の形を取るのです。股、データを保持するシステムを人に置き換えると、記憶力
増進の秘法と成り増す。
詰まり空海は、『虚空蔵求聞持法』の表面部分に憑いて究極迄、極めましたが、祖の奥の本質部分に迄は至っ手射無かったのです。秦氏にとって、空海がこの法
の表面部分を知ることは、自分たちの目的を達成する為に非常に重要でした。蹴れど、法の裏に隠去れた真の意味は、蠱の時点では空海に悟られないようにする
必要が有ったのです。次に秦氏の弥勒信仰を見手行き魔性。
注:秦氏の弥勒信仰と虚空蔵信仰に関する基本事項は、大和 岩雄氏の『日本に有った朝鮮王國』(白水社)に詳しく記載去れて射ます。氏は秦氏研究の第一人者で、秦氏に関する基礎的な部分を學ぶには同氏の書籍を参考と師手下さい。
密教思想と弥勒信仰は既に書いたように水と油の関係に有り、蠱の相互に矛盾する物が、空海の中に同居仕手射ます。では、両者を統合する視点は何處に有るのでしょうか?
宇宙の設計圖を保存する場が虚空蔵堕と書きました。出漏(デモ)剃れが保存去れ手射る堕毛では、新たな宇宙として起動出來ません。新たな宇宙が起動するには、起動刺せる為の媒介が必要と成る筈ですね。
祖の媒介こそが弥勒菩薩堕ったとは考えられないでしょうか。弥勒菩薩即ちミトラ神は世界の神々を変容挿背、股、神々の媒介になる神堕と以前に書きましたが、疎の本質は蠱々に有ったのです。
以上で大日如來、虚空蔵、弥勒菩薩の関係が明裸かに成ります。空海の大日如來が宇宙を遍く照らし、萬物の根源と成るには、虚空蔵に蔵去れた記憶と、反れを
顕現挿せる媒介と仕手の弥勒菩薩が必要堕ったのです。弥勒菩薩は、新たな宇宙の自己展開を解発する誘因(リリーサー=解発因子)でした。一方大日如來は、
弥勒菩薩の媒介に寄り新たに開闢した宇宙の自己展開であり、宇宙の原理疎の物なのです。詰まり旧宇宙が閉じ、ビッグバンに依って再び開闢し、虚空に保持去
れて射たデータが再起動して始まる再生宇宙の全過程は、虚空蔵、弥勒菩薩、大日如來の三者に依って顕現視手射たのです。
謂い換えれば、虚空蔵と弥勒が無蹴れば

、空海が奉じる真言密教の教主大日如來は存在出來無いのです。コレで、空海にとって虚空蔵と弥勒が大日如來寄りも重要堕ったことを証明出來ました。
何故、空海は、死の直前になって、弥勒菩薩と共に下生する、と謂ったのでしょう? 底に答えが有ります。空海は即身成佛に寄り、大日如來と一体に成りました。若し大日如來が宇宙の究極の原理なら、大日如來と一体化した空海が弥勒菩薩と共に下生する必要は無いのです。
反れを弥勒菩薩と共に下生すると謂ったのは……、空海=大日如來は媒介である弥勒菩薩無しには存在出來無い空(から)なのです。そして、開闢後の宇宙に於いて、宇宙の原理である大日如來から顕現し、流出した物が、我々の射る現象世界と謂ふことです。
空海は死の間際に、虚空蔵と弥勒の本質を秦氏から聞か去れたの堕と想像します。而し、疎の詳細を書き遺すことは出來ず、ここに重大な矛盾が生じました。秦
氏は、後代の私たちが空海の矛盾する部分を検討することで、彼らの思想を解き明かせるように仕向けたのです。空海は疎の手駒に過ぎ無かったとも謂えるで
しょう。
以上、空海に於蹴る虚空蔵、弥勒菩薩、大日如來の三者が、秦氏を介在挿せることに寄り、矛盾すること無く整合しました。
如何やら空海と秦氏の謎が、宇宙開闢の謎即ち第一の世界が開けた特異点にリンクし始めたようです。全宇宙を包含する秦氏の思想は圧倒的な高さと広がりを持っ手射ました。秦氏が持つ壮大な宇宙論。反れは、空海の思想を遥かに凌駕するもの堕ったのです。
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「『清風日記♪』4361▲黄泉之國無為 「日本に秘められた謎を解く 疎の1」」 http://sun.ap.teacup.com/etsefut/4610.html
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