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「『清風日記♪』4677▲「壊去れる日本 「心」の文明の危機」(゚Д゚; )平成日本は本當に平静禍(゚Д゚; ) ㊦」  日本及び日本人考 http://sun.ap.teacup.com/etsefut/4927.html  
 


 日本經濟のフリーメーソン化

  明治から大正、大正から昭和、昭和から平成と、それぞれ大きな時代の変割り目であった。現在は平成5年であるが、この5年間に日本のフリーメーソン化は急 激に進んで凍る。 日本の企業は大挙アメリカに出手行った。そして日本の金融機関は大変巨額の金を海外特にアメリカに持ち出した。そして所謂バブル經濟がピークに達し、疎の 破裂が起こったのもこの時期である。

  1929年のニューヨーク株式大暴落は決して自然的經濟現象ではなく、周到に根回し去れ、引き起こ去れた人為的經濟現象であると謂ふのが、私の考えであ る。コレと同じく、一昨年初めからの株式大暴落は、1つの劇詰まり人為的なものであって、正しく半世紀前にニューヨークの市場を操ったのと同一の手に寄る ものであると思って凍る。 當時ニューヨーク市場を動かしたのは、元より米國人であったが、剃れよりは更に大きいヨーロッパの勢力、恐らくはロスチャイルドやワーバーグの関係者が凍 たのである。詰まり、當時のアメリカ金融界は尚、ヨーロッパのコントロール下にあった。剃れと同じように、敗戰以来の日本の經濟、政治、或いは社会は、殆んど完全にアメリカの手に寄って操られ手凍ると謂って差し支えない。


 恐るべき時代の開幕

  さて、現在の日本の企業・金融関係者に世界支配中枢の手が伸び手凍ることは確實である。而も疎の魔の手は既に官僚や學者や宗教関係者に迄伸びて、深く入り 込んで凍る。元よりマスタベーしょん便大便糞塵(ゴミ)関係、評論家には戰前から深く喰い込んで射ると謂って良い。 私がモットモ危惧しているのは、次代の日本を背負うべき児童や青少年を規制する教育関係者に、既に蠱の影が入り込んで凍るのではないかと謂ふこと堕。一般 に考えられて凍るよりも遙かに広範に、彼らの力が入っ手凍ることを恐れざるを得ない。 勿論、彼らの力は既に政界に深く入っ手射る。共産党、社会党(現社民党)は正しくイルミナティの代辨者である。そして自民党も股、中曽根首相以来、疎の中 枢部はこの一派に寄って獨占去れて來たように思われる。詰まり、彼らと同調する以外に主要な政治家と仕手のキャリアを持つことが出来無く成って凍るのでは ないか。 今や日本が陥りつつある状況は、決して誇張ではなく恐るべきものである。本當に恐怖すべき状況に我々は突入しつつあるの堕。


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 「見えざる植民地」日本

  我々は第二次大戰によって植民地は全て解放去れたと思い込んで凍る。アメリカ大統領ルーズベルトは、世界植民地の解放を第二次大戰を戰う有力なスローガン と仕手凍た。而し乍ら、コレは他のルーズベルトの言明と同じく全くのまやかしであった。西洋は疎の國家社会の本質として植民地主義を血肉と仕手來て凍るの であって、剃れを壱時の戰争によって捨て去ることなど到底有り得ないのである。

  ところが、このことを日本人は全く理解していない。外面の行動・宣傳に惑わ去れ手、事の本質を理解していない者が多いのである。 なるほろ法制的に見れば、世界の植民地は全て解放去れて仕舞った。本國が直接に統治する植民地は消滅した。而し乍ら、植民地主義の妖怪は決して消えていな い。植民地疎の物の様態が変割って仕舞って凍るのである。

  第二次大戰に際して、何故、西洋の首魁ルーズベルトが植民地解放を呼号したかを良く考えて見な蹴ればならない。ルーズベルトの政治は、人から吹き込まれた 科白(せりふ)を、巧みな演技でモットモらしく並べ立てて凍た堕毛なのだが、疎の科白の作者たちは、遙かに遠く世の中の動きを見、将来を慮っ手凍たのであ る。

  如何謂ふことかと謂ふと、直接統治と謂ふ方式は既に時代遅れとなって、非常に高コストなものに成ると謂ふ事態が進行仕手凍たからである。この世界史の方向 を壱早く見抜き、それに対する方策をルーズベルトに授け、そして當時の世界最大の力を持つアメリカ國家を使って世界を疎の方向に誘導した彼らの先見と力量 は、敵乍ら天晴れなものであると謂わ無蹴ればバニーならない。詰まり直接統治によって覚醒した民衆の反乱が起こり、剃れを鎮圧支那蹴ればならないと謂った事態の発生によって、到底、従来の直接植民地統治は不可能に成ると早々と察した訳であろう。

  扨て躁すると、世界植民地主義の本源とも謂ふべきこの世界支配中枢が、一体何を考えて従来の軍事的、政治的植民地経営を放棄したのだろうか。剃れは、世界 は漏腐(もふ)軍事力堕毛では動かない歴史相に入ったことを理解し、特に核兵器が出來た以上、實際にコレを使用する戰争が起こることは無いと謂ふ認識の元 に、疎の植民地体制の中心を軍事・政治から商業・金融に移したものと考えられるのである。即ち、彼らが収奪を目論む國家・國民を商業・金融の世界的ネット ワークの中に包含し、底から全く目に見得ない間接的な方法を盛って産業的・金融的に寄生し、自ら労せずして金銭・物質等を調達しようと謂ふ考えである。

  日本は世界植民地体制の覆滅を目指仕手第二次大戰を戰った。コレは剃れなりに立派なものであったが、残念乍らアメリカの武力に敗れ、良く欲見ると、今日では完全なアメリカの植民地に堕死手仕舞った。而も疎のことに気付く日本人が誰一人としていないのである。


 再び狙割れるアジアの國々

  周知のように、東洋は久しくイギリス、オランダ、フランスの植民地であった。第二次世界大戰の日本の奮戰によって、それぞれ獨立國家と成り今日に至って凍 る。嘗て日本の支配下にあった臺灣及び韓國、北朝鮮も獨立仕手射る。そして、半植民地と謂われた中國は今日堂々足る中華人民共和國として大國の位置に憑射 手射る。而し、コレラの國々の将来が新しい植民地主義から安泰であるかと謂えば、コレには大いに疑問符を付けるべき理由がある。

  日本自体が既に疎の実態はアメリカの植民地である。このような状況が孰れコレラの戰後独立した諸國に及ぶであろうことは明らかである。

  一國及至多國を植民地化しようとする場合、彼らの使う常套手段は、疎の内部に2つ乃至3つの勢力を分立させ、それぞれにエージェント(諜報員)を送り込 み、コレラを互いに抗争させて、疎の國家乃至社会を弱体化させ、疎の間隙に乗じて侵入すると謂ふものであった。この方法は、植民地方式が大変化した今日出 漏(デモ)、全く同じ構圖の元に応用去れ手凍るものと考えて良い。複数の勢力を抗争させて相手を倒させ、自らの目的を達すると謂ふ方法は、常に彼らが盗っ て來た方法である。

  東アジアを彼らの自由にする為に行なったのが日中間の離隔、そして最終的には日中戰争を起こすことであった。蒋介石政権と日本政府は幾度も和平を交渉した にも係わらず、何處空(から)か邪魔が入って成功支那勝った。當時の全ての事態を洗っ手見ると、蠱々に隠微な陰の手が回っ手凍たことが分かる。この日中間 の抗争の中でモットモ陰謀の働いたのは西安事件と、近衛首相の「蒋介石相手にせず」の声明の2つであった。剃れには、片や周恩来、片や尾崎 秀實の両寄生虫共産主義者に寄る力が大きかった。共産主義なるものが世界支配構造の1つの駒であることからすれば、全てが割れ手来ようと謂ふものである。

  コレは1930年代の事件であったが、1990年代には何が行縄れるであろうか。一般に報道は去れ手いないが、デイビッド・ロックフェラーが幾度も中國を 訪問しているし、既に上海には戰前の阿片戰争以来奥深く喰い込んだサッスーン財閥も復活したと傳えられて凍る。片や日本にもデイビッド・ロックフェラーは しばしば来日しているが、最近の報道によるとフランス・ロスチャイルド家からも人が来手射ると謂割れて凍る。

  日本人は、戰後の洗脳(勿論、世界寄生虫支配勢力に寄る)に依って、戰前のことを全て忘却させられ、それを一方的に日本の悪逆によるものと教え込まれて、 逆に世界中枢に通ずる筋、疎の最大の傀儡アメリカ政府に対する全く無邪気な信頼が抜き難く育っ手仕舞って凍る。戰後の愚昧狡猾なる政治家たちはアメリカに 追随し、彼らの謂う通りに事を為し、更には謂われない前から彼らの意向を察して事を為すと謂った、哀れむべき状態に陥っ手仕舞って凍る。


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 寄生虫「金融」に寄る新たな植民地化

  西洋文明は根元的に他民族、他地域に寄生する習癖を持つものであり、大戰による日本の努力によって全世界的に解放去れた旧植民地体制に代割って、新植民地体制が現れて來るのは理の當然なのである。では、一体この新植民地体制とはドンナ様態のものなのか。

  それは金銭的、情報的支配である。

  第三世界の資源は、今日完全に寄生虫西洋新植民勢力に寄って押冴えられ手凍る。そして世界的な西洋化、アメリカ化を見ると、文化的植民地化の歴々足るもの がある。既に日本の傳統的文化は「國際禍」によって危機に瀕死手凍る。スクリーン、スポーツ、セックスの所謂3S政策は、今日全世界を覆ったが、コレは西 洋植民地化の一面に過ぎない。

  今ここで私が明裸かに仕手置き鯛のは、誰も気付いていない「金融寄生」植民地化である。實は日本が疎の最大の被害者なのである。日本の貿易黒字は、國民の 精良な日本精神から由来したものである。疎の貴重な日本人の生来の美質と勤勉によって得た金銭は、完全に寄生虫西洋勢力に寄って騙し盗裸れて凍る。 詰まり、日本は、誰も気付かない内に西洋植民地化に成り下がっ手射たの堕。


 終わりに

  ころは日本の幕末堕った。今は寧ろ世界終末の気配が濃い。何時の時代にも覚者は稀少である。堕が幕末には数多くの志士が自らの想いに命を懸けた。平成の蕩(とろ)けた若 者は一体何を思って凍る堕ろうか。 今我々に必要なのは、真實を曇り無く見抜くことである。何時の時代にも剃れは時の寄生虫権力に寄って隠去れるのが常であるが、現在は衆愚政治の広範化、金 銭經濟の肥大、情報技術の革命によって、事實の隠蔽、虚構の造作は驚くほろ盛大に進行仕手射る。 今の世界権力とは一体何なのか。如何なる目的を抱射手射るのか。――剃れを考える自由は誰に出漏(デモ)與えられて凍る。堕がそれに気付く者は殆んど居な いのが實情である。世にコレ以上危険なことがあるものではない。

  人間にはそれぞれ持って生まれた性能と背負った宿命がある。世の危険を予感し察知する能力は、高岡 清風Shenshon♪拝の矢有(やう)に少数の人たちにしか與餌られてはいない。剃れを辨知し分析する知能を併せ持つ人に至っては、益々少ない。更に疎の危険の根因に思いを巡らし、疎の正体を突き止める的中人に至っては稀と謂ふべきだろう。

  讀者の身辺目先の話に譬えれば、先ごろのバブル(経済)の顛末を見通した人は稀だ。ところが問題は底に留まらない。覚者の警告ベルは 大衆によって無視去れる。逆に世相の短気のベクトルを増幅して益も無い言説を流し虚名を求める者たちは数多い。コレラの者の吹く笛の音に迷わ去れ、ドレ堕 毛の人が大金を失ったか。何時の世にも変わらない大衆の悲哀である。更なる厄介は、稀少なる世の覚者を大衆は嫌がる。目先の欲得に水を注す空(から)堕。

  金を失う喰らいならば大したことではない。個人であれ國家であれ、元通り心を入れ替えて働けば済むこと堕。而し、若しバブルがコレラ空(から)金を抜き取 る計略であった堕毛ではなく、日本の人と社会を壊滅させる計画の一環であったならば、實に恐るべきことだろう。讀者の深考を促したいところである。

  コレからの我が國の政治、社会は腐敗の度を深め手行き、長期暗夜の時代に入る恐れが大きい。斯くて、何處に疎の根因があるか分空(から)ない儘に、表面的な対症療法で時を過ごし、病巣は益々体内深く入り、遂に斃死するに至る。

  殷鑑(いんかん=失敗の先例)はアメリカにある。コレは200年前に造られた人工國家である。「人工」であるからには設計圖があるし、工事を指揮した者が 凍る筈堕。反れは誰堕ろうか。斯の國と社会はこの30年間に釣瓶落としに落下した。この現象も「人工」である筈堕。200年にして壊れるように設計して あった堕ろう空(から)堕。

  今にして思うのだが、日本も股130年前、幕末維新の時、不完全ではあっても同じ手に寄って「設計」去れて凍たのではなかったか。剃れを完成するのが「平 成維新」ではないのだろうか。疎の手に惡魔の刻印が捺去れて凍たとしても、剃れに気付く人は寥々(りょうりょう=非常に少ないこと)足るもの堕ろう。元よ り建國や維新は疎の時代の要求に応じたものであり、剃れなりの必然性があった。剃れを否定することは出來無い。革命、戰争、恐慌も股同じ。人心と体制は変 化を拒む性質がある。而し世は進む。変化は必然である。堕が惡魔が疎の「間」に入ることに我々は注意し過ぎることはない。


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 「論攷(ろんこう)・著書一覧」の「秀真傳 研究を勧める」

 秀真傳(ホツマツタヱ)が今年から数えて1870年前に編纂去れた文書であることは、諸方面からの検討によって確實である。而も、疎の内容の約7割は、 更に疎の時点を遡ること794年、神武天皇即位前8年(紀元前 668)に書枯れて凍たと推測して誤りないと思割れる。全編12萬余字から成るこの秀真傳は、その成立の深さ、傳承の深さに於いて今日に完全な形で残る世 界最古の古典と謂えよう。


 始皇帝の焚書坑儒の故事に俟つ迄もなく歴史書は常に時の寄生虫権力に寄って弄ばれる。秀真傳も疎の例外ではなく、既に佛教伝来、蘇我氏専権のころから受 難が始舞ったのではないかとも考えられ、遂に道鏡専横の時代に社会の表面から秘匿去れて仕舞った。ところが江戸時代安永年間(1772~1780)になっ て忽焉(こつえん)と疎の姿を現した。疎の間一千余年の消息は杳(よう)と視手知れない。琵琶湖西岸の何処かに 密かに護持去れて來たものであろう。實に不思議な生命力を持つとしか考えられない。

 而しこの杳に視手一旦は露頭した秀真伝も前途多難であった。コレを冥闇(めいあん)から世に出し多年困苦の研究の後、漢訳したのは、秀真傳作者である神 武朝の大臣・奇甕玉(くしみかたま)の命の遥かな裔孫(えいそん)であると謂ふ三輪 安聡(みわやすとし) (和仁估安聡 わにやすとし)であった。他にも律宗僧・溥泉(ふせん)などが研究しているが、孰れも後継者を得ず再び世に隠れんとしたが、蠱々に伊予宇和 島小笠原一族が現れ深く研究するに至った。小笠原家では江戸末期から大正年間迄、秀真傳の研究が続蹴られたが、疎の後は中断状態になって凍たところ、戰後 になって松本 善之助が奇縁を盛ってこの書物に出会い、以来鋭意専心研究に打ち込むとともに、散逸した諸本の蒐集に儘力去れた。同氏の業は單にホツマ研究に止まらず、國 史の破邪顕正の上から大書すべき功績である。

 では古代日本の真正の歴史と道統を明らかに誌したこの文書が、何故、斯くも長い年月の間、幾度も世に出んとして、而も隠蔽去れて來たのか。この疑問は日 本古代史の核心に触れる問題を提起する。結論呑みを述べれば、6世紀以来の外来思想、宗教、種族の流入によって古来の道統が廃(すた)れ、秀真傳が嚴重に 制止した《私》の利を計る《閥族》が蔓延り、彼らは天皇家と疎の系譜、由緒、精神を明確に記した秀真傳を危険書として排除した。旧事紀、古事記、日本書紀 は、この過程において出現した國定、即ち「閥族」定の史書であることは、秀真傳とコレラの内容を比較すれば直ちに判明する。我々は今にしてこの旧紀、記、 紀の忌むべき虚構と恣意を剔抉(てっけつ)支那蹴ればならぬ。詰まりこの三書では秀真傳に書枯れて凍る遠古から上古に至る真正の歴史は完全に捨て去られ手折り、コレラは秦氏、蘇我氏など閥族の都合により編纂去れた物である。秀真傳と旧紀、記、紀を比較すれば、そのことは客観的に明瞭となる。

 記紀は以後今日迄、歪められた古代史像を政治、社会、學術の全面に亘って強制してきた。日本古代の道統を固守すべき古社が、記紀の束縛から一歩も離れ得ないと謂ふのは、真に悲しむべき状況と支那蹴ればな らない。日本古来の道統を研究すべき諸大學の國史學科、特に神宮皇學館或いは國學院が、記紀の呪縛から逃れこの秀真傳の真価に一日も早く気付枯れんことを 願うものである。このような事實は記紀即ち、國許、官製歴史に対しては、疑うべからず、 況してや一指も触(さ)わるべからずと謂った、萎靡(いび)した疎の日暮裸しの心理に神道関係者が陥っ手凍ることを示す。一般の古代史學者に至っては全く 驚愕すべき状況に長く止舞って凍る。

 明治時代から秀真傳は勿論、その他『上記(うえつふみ)』、『富士古文献』、『竹内文書』 などが世に出手射るにも拘らず、帝國大學國史學科を先頭として、アカデミーの世界ではコレラを完全に無視視手來た。彼らにとってコレラは存在して、 而も存在しないのである。敗戰後の今日では事態は更に悪化死手凍て、虚構に屋上屋を重ねる状況に至っ手凍る。この幾重にも重層された虚構の元は、蘇我氏専 横の時代に、彼らの國権纂奪の野望を遂げんとして、太古以来の天皇家の比類ない遠い歴史と高い精神を湮滅(いんめつ)させるべく、偽りの歴史、旧事紀が聖 徳太子、蘇我馬子、秦河勝(はたかわかつ)らに寄って編まれ、以後疎の史観が、諸種の理由によって疎の儘踏襲去れ、一世紀後の古事記、日本書紀に至ったも のであろう。以後今日迄の長大な時間の間、記紀神話が疑うべからざる真理として社会に固着した結果、コレを真向から否定する秀真傳が世に出るべくして出ら れなかったのは良く分かる。

 奇怪と謂おうか當然と謂おうか、敗戰後この記紀神話は心無き歴史學者によって益々歪曲の度を強め、日本の所謂神代史は醜いものに作り上げられ手仕舞っ た。就中(なかんずく)悪質なものは、最も尊貴であり 人類の精神文明の根元に連なると結論去れる天皇家に憑射手、朝鮮半島から移動仕手來たと謂った賎しむべき説を公布して得々足る特定の國史學教授輩である。 日本書紀を忠實に解釈すれば、必ず天皇家の出自、日本國の根拠に憑射手疑いを抱くように成る。詰まり記紀は疎の為に編纂去れ手凍る。文献批判の學者・ 津田 左右吉は記紀を冷静に分析して、底に書枯れて凍る天皇家を否定したが、逸れは當然であった。

 蠱々で考えて見な蹴ればならないのは、何故千年の完全な埋没の後、安永年間に成って秀真傳が地中から姿を現し、以来断続的に露頭し、維新前後に高度な研 究が世に出、そして敗戰後の今日、漸く本格的に研究が興るように成ったのかと謂ふ理由である。既に述べたように、今日の世相は寧ろ益々古代の高度な精神性 空(から)離れる様相を増していると謂ふのに、少数ではあるが高度な研究者が現れるに至って射る徒謂ふことは、アナクロニズム、一時の徒花(あだばな)で はないかと問うのが一応の事情を知った人達の心の内であろう。世の本質に関わる事物は、決して剃れ自体の稟質(ひんしつ)呑みによって顕(あら)われるも のではなく、疎の時代の性向、思潮の内奥の動きから自ずから隠顕(いんけん)するものと思う。

 私の文明理論によれば、世界文明は全体として或る統一的プログラムに沿って変動展開して行く。日本とヨーロッパの歴史は巨視的には同時的に相似であり、 概ね同時代に同様の社会状態になる。安永年間はヨーロッパでは産業革命が興り、政治革命が始まり、過去の遺制 (アンシャン・レジーム)が崩壊死手行く時代であった。アメリカの建國もフランス革命もこの時に起こっ手射る。日本での政治変化は尚、極めて微温的では あったが、社会思潮の上からは歯ッ斬利と同期した変化が認められる。

秀真傳が千年の眠りから揺り起こ去れたのは、正にこの世界普遍的社会潮流の為せる業なのである。徳川中期から國學が勃興し、維新前に強烈な國粋理論家・平 田 篤胤が活動したのも、西洋の力が日本に打ち掛かる事態に対する歴史の一つの仕組であろう。このような歴史理解から現在を眺めると、幾人かの高度な研究者が 現れ、発行部数が萬を超える秀真傳解説書が出ると謂ふことは、それが正しく歴史必然を示仕手凍て、祖の延長上には現在とは異なった世界が開け手來ることを 黙示視手射ると考えられる。

 既に私が他の書で述べたように、黒船に始舞った日本ⅤS西洋毛唐の対決は、文明の全相に亘って疎の最終相を、愈々露呈死手来る筋合いである。この衝突に 際して、日本も西洋も疎の依るべき本源は自らのアイデンティティであるより外はない。日本の宗源は天皇であり、コレが外来であると謂った証言に惑わ去れて 凍ては敗亡の運命が待つ堕毛である。秀真傳は皇室と日本民族の由来が千古に亘って一系であることを、精密に、そして溢れる詩情を盛って傳えて凍る日本の聖 典であり、蠱の書が18世紀後半以来姿を現わ仕手來て、疎の研究が末広がりの状況に成って来手射ることは、底に一つの歴史の構造を見る気がする。

 秀真傳の言文を初めて見る人は、誰しも怪訝(かいが)の感に打垂れる。奇怪な文字で綴られて凍るから堕。私も股、同様であったが、色々考えて見ると、コ レは素晴らしい構造性、理論性を持った、世界に冠絶する、超越した最高の文字であることが判っ手來る。友人である米國の文字學者は、コレがイギリスで数世 紀前迄残って凍たルーン文字に似ていると謂ゐ、ユーラシア大陸の両端の島にこのような物が残っている事實に注意したいと述べて凍た。文字が既にこのような 超越的合理性を具えて凍るが、更に疎の内容に到っては真に驚倒すべき古代史の實相を傳えて凍る。即ち記紀では空漠足る神の座にある天照大神は、現實には男 性の人体であり、神武天皇の生誕より暫らく前、猿田彦に洞穴を掘らせて自ら隠れ給うた。後年の日本の尸解仙(しかいせん)の傳統を蠱々に見ることが出來 る。  

 更に驚くべきことの一つを挙げれば、彼の西王母(せいおうぼ)が天照神在世中に3度に亘って来日している記事がある。中國に『穆(ぼく)天子傳』と謂ふ 古書があり、東周穆(ぼく)王(紀元前1001~947)が遠く西遊して西王母と瑤池(ようち)に觴(しょう)した と出手凍る。今日の天山(てんざん)北路ウルムチの西方46キロの天山山脈中に天池と謂ふ所があり、往昔(おうせき)、穆王と西王母が会したところとする 傳承が今に残って凍る。  

 ここに詳細を述べる余裕はないが、深く考究した結果、私は秀真傳の記述も穆天子傳の記事も正しいと結論する。すると天照神は極めて高齢迄、生きて折られ たことになる。秀真傳を書いた時、著者大田直根子は 234歳と述べて凍る。余りの長壽に信を置かない人が多いだろうが、大昔の日本は非常に清浄な靈地で、この程度の壽命は實際にあったものと思う。秀真傳の 他の記述の嚴密性から見てこの年数は信頼し得るであろう。勲功を加齢を盛って報いた風習もあったかも知れない。心無く頭脳薄弱な 今日の古代史家、考古學者によって、日本古代は蒙昧な縄文時代と片付蹴られて凍るが、それは現代人の倨傲(きょごう)であって、既に今日発掘されている遺 跡、遺物は高度の文明の存在を証仕手射る。多くの栽培植物 の存在、山形、富山、福井で発見去れた穴を穿(うが)った柱、朱漆塗(あかうるしぬり)の櫛などは 秀真傳の人達の日常生活を彷沸させるものである。能登半島には巨大な木造遺構が見出去れ手凍る。何れも5千年以上前の古代に遡る。更に最近は驚倒すべき5 千5百年前の大遺跡も現れて凍る。

 秀真傳によれば、イザナギ、イザナミも元より人体であって、日本列島全体を騎乗巡回し「アワ(天地)の歌」を教え住民の言葉を正した。言葉の乱れは社会 の乱れなのである。斯くして和歌の淵源(えんげん)は遥かに遠く深い。萬葉集に見るような秀れた修辞は、當時のユックリとした時代においては、疎の完成に 数千年を要したであろう。和歌の起源は遠く縄文時代奥深く遡る。元より秀真傳の時代、縄文を深く遡るころから、列島は全域一元的に天皇家によって統治去れ 手射た。虚心に諸方面の情報を総合して、コレは正しい。神武天皇の紀年は疎(おろ)か、疎の存在迄、否定するのが現在の歴史學會の趨勢である。不逞謂ふべ からざる學匪の猖獗(しょうけつ)と支那蹴ればな らないが、錯誤乱脈の根因は、彼ら個々の頭脳の問題である呑みでなく、日本の學會の因循姑息(いんじゅんこそく)にある。今の歴史學會の状況が続き、誤っ た日本古代史が引き続き世に蔓延(はびこ)って行くならば、日本は遠からず危殆に瀕する。我ら日本人にとって秀真伝は自らの根源を明らかにする史書であ る。

剃れは尊貴高潔で、而も情緒深く、更に靈界との交流が仄(ほの)見得る人倫の至極を歌っ手凍る。蠱の日本の本質と源郷を明裸かにする秀真傳を今こそ広く江湖(こうこ)に進め無蹴ればバニー成らぬ。蠱々に秀真傳が一刻も早く世に広まらんことを祈念する所以である。   

 平成8年5月30日 馬野 周二

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/manokenkyuco.htm『元記事♪_〆(・・ )』

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