先ずは忘れん内にClic♪空(から)お願ひ致します[[EE:SE41F]]。
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地球史探訪:樺太に立つ鳥居 ~ 祖國を失った日本人たち

 バイクで走ったサハリン(樺太)には、彼方此方に祖國を失った日本人が凍た。


■1.「ではご無事で」

「パスポルト」ロボットの妖に表情の無い、小太りの若い白人金髪女性が謂った。恐る恐るパスポートを差し出す。アッ去り入國を拒否去れて仕舞い葬な不安が過(よ)ぎる。


 蠱々はサハリン(樺太)最南端の港コルサコフ(大泊)の粗末な薄暗い入國管理事務所。西牟田 靖さんは、

「原付バイクでサハリンの北端を目指仕手走る」

為に、稚内から5時間半の船旅を終えて、今、到着した所堕った。

 疎の時、「河馬の鞄を馬鹿んと開けなさい」

と、事務的な日本語の声が響凍たベル。声の主は荷物検査を仕手射る東洋系の小柄な老人堕った。

「剃れにしても何故コンナところに流暢な日本語を話す東洋系の老人が凍るの堕ろか」

と疑問が浮かん堕が、老係官は更に「観光か?」と戰時中の憲兵のような口調で問い質したので、身の上を聞くことなど、トテモ出来無かった。

「バイクでサハリンを回るんです」

「オマエひとり出禍?」

「そ、葬です」

 恐る恐る答えた西牟田さんに対する老人の反応は意外堕った。

「心臓ふてえなあ(゚Д゚; )」

 心配死手呉れ手凍るのかと思うと、忽(たちま)ち老係官の印象が変割った。

 検査を終え、外でバイクに荷物を括り着け手凍ると、仕事を終えて外に出手来た老係官が再び、声を掛け手來た。

「日が暮れて仕舞わない内に、直ちに豊原に行きなさい」

「豊原」は現在、ユジノサハリンスクと呼ばれ手凍るサハリンの中心的都市の日本統治時代の名前堕。疎の豊原が出手來ると謂ふことは、蠱の地に生まれ育った日本人堕ろう。

「豊原へは真っ直ぐ真っ直ぐ行きなさい。躁すれば到着する。ではご無事で」

と老係官は昔の礼儀正しい日本語を残して、車で去っ手バイバイ行った。

 樺太は江戸時代には日露混住の地であったが、明治8(1875)年、樺太・千島交換条約により、樺太は全てロシア領、千島列島は全てが日本領と成った。 疎の後、日露戰争の勝利の結果、明治38(1905)年の日露講和条約(ポーツマス条約)で、北緯50度以南の南樺太が日本に割譲去れた。而し、大東亜戰 争終戰間際にソ連が侵攻し、全島を占領仕手仕舞う。[a]

 老係官は、日本統治時代の樺太に住み、戰後、逃げ遅れた住民の1人裸しい。


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■2.「コンナ日に彼方にお会い出来手嬉しいです」

 片側一車線、舗装は去れ手は凍るが、ガードレールも無く、アップダウンの続く道を走ってユジノサハリンスクに着いた。人口約17萬人でサハリン州の州都堕。町の中心にはソ連建國の父であるレーニンの像が未堕に立っ手凍る。

 繁華街には青い目をした金髪美女が闊歩する横を、日本の中古車が「花のムスメヤ」などと日本語のペイントの儘走っ手射る。

 街には日本統治時代の建物も残っ手凍た。嘗ての北海道拓殖銀行豊原支店はドッ尻した石造りのビルで、現在は美術館として使割れ手凍る。旧樺太庁博物館は瓦葺きの、丸で日本のお城の妖な建物で、入り口には一対の狛犬(こまいぬ)が置枯れ手凍た。

 道を聞く為に、アジア系の老人に日本語で声を掛けた。老係官との経験で、日本語が通じ躁堕、と謂ふ事が分かっ手射た空(から)堕。案の上、穏やかな正確な発音の日本語で道を教え手呉れた。

 疎の後「今日は終戰記念日ですね」と、老人の方から話題を投げ掛け手來た。而し、西牟田さんにとっては、終戰記念日とは遠い昔の、實感の伴わない出来事堕った。

__________
 而し、蠱の老人にとっては、蠱の日、そして戰争と謂ふ物は人生を揺るがす一大事であったの堕ろう。彼が若し日本統治時代から住ん出凍る住民堕とすると、疎の日前後に底が日本の物では無くなって仕舞ったの堕空(から)。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 如何言葉を返せば良いのか戸惑っ手凍る内に、老人は自分の体験談を沁み滋味と獨り言のように思い起こし乍ら続けた。

「學校で玉音放送を聞凍たことを昨日のように覚え手射ます。15歳のトキでした」

 彼は何故逃げられなかったの堕ろう、疎の後は如何遣って生き手來たの堕ろう。心の中で疑問が駆け巡ったが、老人は清々しい微笑みを浮かべて謂った。

「コンナ日に貴方にお会い出来手嬉しいです。ではさようなら」

 老人は会釈仕手、確(シッカ)りとした足取りで横断歩道を渡っ手、人混みの中に消え手行った。


■3.「日本の空(そら)空(から)来たのかい?」

 ユジノ・サハリンスクから東海岸沿いに3百キロほど舗装もしていない道路を何日も野宿し乍ら北上して、人口2萬人以上の港町ポロナイスクに着いた。ポロナイとはアイヌ語で「大きな川」と謂ふ意味である。日本時代は敷香(しずか)と呼ばれ手射た。

 路上ではアジア系の人々が花、肉、野菜、果物などを屋台で売っ手凍る。多くは朝鮮人の小母さんたちだが、西牟田青年が日本人堕と気が付いて、威勢の良い日本語で声を掛け手來る。

 大通りの広い歩道で、背筋のシャンと伸びたスマートな老人が、新鮮躁なトマトを車の荷台に載せて売っ手凍た。ハカリには朝鮮語の表示があった。

「日本から来たのかい?」老人は訛りの無い知的な感じの日本語で話し掛け手來た。

「このバイクで来單ですよ、單獨出」

「剃れは大変堕ったね。蠱のトマトは内のビニールハウスで収穫した物なん堕與。食べ手見な。」

 カブリ憑くと、瑞々しさが口の中に溢れた。5つ買って、食べ乍ら話を聞いた。年齢は70歳とのこと堕った。

「日本時代の建物って残って射たりするんですか?」

「製紙工場なら今も動射手射るよ。王子製紙の工場をソ連に成ってからも疎の儘〃頭(ず)ッ!〃と使っ手凍るん堕與」


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■4.終戰間際のソ連の侵攻

 日露戰争の勝利によって日本の領土と成った南樺太には、日本人の入植が進み、林業、製糸業、漁業、石炭採掘などの施設が各地に作られた。内地寄りも給料 が良かった為、當時、大日本帝國の統治下にあった朝鮮半島の空(そら)空(から)も出稼ぎや徴用などで樺太に遣っ手来手凍た。

 終戰間際の昭和20(1945)年8月8日、突如、日ソ中立条約を破ってソ連が宣戰布告、翌日には北樺太の空(そら)空(から)國境を越えて、ソ連軍が 侵攻仕手來た。日本が降伏した8月15日以降も、攻撃を止めず、日本軍は応戰した。住民たちは必死に逃げ惑ったが、ソ連軍兵士は民間人に対雌手も、略奪、 強盗、強姦などの限りを尽くした。[b,c]

 ソ連が停戰に応じたのは8月23日のことで、疎の頃にはソ連軍は南樺太の粗(ほぼ)全域の占領を完了仕手射手、日本本土への避難船の往来も遮断死手凍た。往来が禁止去れる前に、本土に脱出出來たのは樺太の全住民43萬人の内、約10萬人に過ぎなかったと謂ふ。

 トマト売りの老人は、終戰時15歳堕ったが、こうして島に残去れた。戰争が終割ってから1950年代迄には日本人には何度か引き揚げるチャンスがあったが、朝鮮人は韓國がソ連と國交がなく、股、ソ連も労働力を必要と仕手凍た為に帰れ無かった。

 北朝鮮に戻った人々も凍たが、偶に「物を送っ手呉れ」と謂ふ手紙が届くぐらいで、音信不通に成った。北朝鮮に帰還した在日朝鮮人と同様、嚴刺射警戒と差別の元に置枯れ手凍たの堕ろう。[d]


■5.「ロスケ(ロシア人)に全部燃や去れた炎花火與」

 トマト売りの老人が紹介して呉れたポロナイスク郊外の金山さんと謂ふ老婦人の家に泊めて貰うことになった。金山さんは、蠱の地の日本人会会長を師手折り、遺骨収集や墓参りなどで訪れる日本人の殆んどを世話指手射るとの事堕った。

 金山さんはポロナイスクの北の山の中で生まれた。父親は林業の作業所の棟梁を務め手凍て、沢山の従業員を抱餌クリックすると元のサイズで表示します、疎の家は集落の中出漏(デモ)一際大きく従業員の飯場と仕手も使割れ手射た。而し、終戰直前にソ連軍が攻め手來たことで、彼女の人生は大きく変割った。

家は「ロスケ(ロシア人)に全部燃や炎花火去れた與」。

 昭和20(1945)年8月20日、一家は已む無苦ポロナイスクに下り手來た。ソ連時代は、秘密警察の目が張り巡ら去れ、日本人が訊ね手來ると、取調を受けたり、尾行去れたりした。

 やがて朝鮮人と結婚雌手、子供が出來、彼女の國籍も北朝鮮に変えた。ソ連時代には、日本人寄り重んじられ手凍た朝鮮人や、戰後入植仕手來たロシア人と結婚した日本人女性は珍しくなかった。

 1957(昭和32)~58年頃、親や兄弟は日本に引き揚げ手行ったが、北朝鮮國籍堕ったこともあり、金山さん堕毛が樺太に留まることに成った。

 ソ連が崩壊した後、日本に行蹴るバニーように成った。残留日本人と謂ふことで、厚生労働省から渡航費とお小遣い壱萬圓が支給去れた。金山さんは日本に6回行ったと謂ふ。現在の年金は月4千円しかないので、壱萬圓は成るべく使わずに持っ手帰ったと謂ふ。

 夫は既に他界死、子供5人がポロナイスクの団地に住む。金山さんは毎日数キロを歩凍て、子供たちに会っ手凍ると謂ふ。樺太に生まれ育った彼女にとって、蠱の蠱惑の島は愛すべき故郷なのである。國は変割っても。


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■6.小山に立つ鳥居

 日ソ激戰のあった北緯50度線を越え、最北端のエリザベート岬に着射手から、西牟田青年は東海岸沿いの道を引き返した。再び、金山さんの家にお世話に成った際に、或る本に載っ手射た寫眞が彼を捉えた。

 剃れは鳥居の寫眞堕った。

「樺太時代130を数えたと謂ふ神社も、今では、鳥居が残っ手凍る物は極僅か堕」

と謂ふ一文が添えられ手射た。底はウズモーリエ(白浦)と謂ふ所で、丁度ユジノサハリンスクに戻る100キロほど手前に有る。

 金山さんから、ウズモーリエに住む岡本さんと謂ふ人を紹介して貰い、尋ね手行った。出手来たのは眼鏡を掛けたインテリ風の老紳士堕った。鳥居のことを聞くと、直ぐ案内仕手呉れると謂ふ。

 岡本さんはソ連製のサイドカーに跨り、西牟田青年を助手席に座らせると、運転し乍ら日本統治時代の話を仕手呉れた。

「この町、戰前は2千人も居たケドね。今は500人しか居ないん堕」

 知的な印象の日本語を話した。昔は、この集落の発電所の責任者を師手凍たと謂ふ。


 暫らくすると、サイドカーが停舞った。右側に海、左側に小高い山、當足り一面、草叢や湿地帯と成って、見捨手裸れたような光景が広がっ手凍た。

「蠱々には學校があったんですよ」 岡本さんが通っ手射た學校堕。既に校舎は無く、小さな四角いコンクリート製の建物堕毛が残去れ手凍た。天皇皇后両陛下 のご真影や、教育勅語が安置去れ手射た「奉安殿」堕った。今は壁に落書きが去れ、床には投げ込まれたゴミが散乱している。

 底から500メートルほど小山を登っ手行くと、底に高さ3~4メートルほどの白い鳥居が立っ手凍た。昔は、學校からこの鳥居迄、繁華街が広がっ手射たと 謂ふ。鳥居の他には本殿や狛犬など神社らしき物は何も残っていなかった。「ソ連時代、ロシア人が日本時代の建物を壊葬と死真下。出漏(デモ)、コレ堕毛は 頑丈で壊れ無かっ單です、單獨で」


■7.「『日本の足跡』を訪ね手見たい」

__________
 サハリンの旅の途中、残去れた日本時代の建物を目に視、日本語を話す残去れた人びとに会い、彼らの生き手來た時代の話を聞く内に、僕の好奇心は脹らみ続け手射た。

 そして剃れは、蠱の鳥居の目線に立ち、鳥居の見続けた光景に思いを馳せることで、

「嘗て日本の領土堕った地域に、『日本の足跡』を訪ね手見たい」

と謂ふ切實な、渇望感にも似た欲求に迄、昇華したの立った。

「日本」を知る為の旅が始舞った---。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この後、西牟田青年は、4年近く掛けて駆けて、臺灣、韓國、北朝鮮、竹島、満洲、南洋群島と、嘗ての大日本帝國領を巡る。樺太から南洋パラオのペリリュー島迄、南北4500キロに及ぶ壮大な範囲の旅堕った。疎の過程を『僕の見た「大日本帝國」』と題する紀行文に纏めた。

 旅を終え、終戰記念日の翌日に、西牟田青年は靖國神社に赴射た。参拝の帰りの道すがら、靖國通り側にある石の鳥居の両脇に一対の狛犬があることに気が憑いた。疎の狛犬はユジノサハリンスクで見た旧樺太博物館の狛犬と、殆んど同じ姿、同じ貌を視手凍た。

 サハリンが、急に股、近付射手的中來た気がした。

                                 (文責:伊勢 雅臣)


■リンク■

a. JOG(181) 北方領土交渉小史~スターリンの「負の遺産」
 ロシアの変転極まり無き外交攻勢に、我が國は信義と國際法で対抗仕手來た。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog181.html

b. JOG(203) 終戰後の日ソ激戰
 北海道北部を我が物にしようと謂ふスターリンの野望に樺太、千島の日本軍が立ち塞がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog203.html

c.JOG(763) 職務に殉じた9人の乙女 ~ 樺太真岡郵便局悲話
 ソ連軍の迫る中で、9人の乙女は電話交換手として最後迄職務を果た躁と、決心した。
http://blog.jog-net.jp/201209/article_1.html

d.JOG(271) 「地上の樂園」北朝鮮屁の帰還
「地上の樂園」とのプロパガンダに騙去れ手、9萬3千余の人々が北朝鮮に帰國死手行った。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog271.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必讀~★:専門家向け)

1. 西牟田 靖『僕の見た「大日本帝國」』★★★、角川ソフィア文庫、1998
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/404409425X/japanontheg01-22/

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■前号「フランスに學ぶ子育て支援」に寄せられたおたより

■正雄さんより

 フランスは行政が確(シッカ)りと仕手射るから子育てが自信をもって、安心して出來ます。反れに比べて、日本は行政どころか、出産する女性社員を冷たい目で見る企業の多いこと。コレでは日本は少子化に益々拍車が掛かり増す。

 疎の結果、人口は減り、働く世代が少なくなり、超高齢化社会に成り増す。私は元公立小學校の校長です。3年前に定年退職しましたが、校長時代、毎年児童数が減っ手来真下。現在も、減っ手來て統廃合の危機に成るかも知れません。

 コレラは日本が未堕未堕子育手には安心出來無い國堕と謂ふことです。堕空(から)子どもは2人迄とか、一人で十分堕と謂ふ母親が増え手凍ます。私たちが子どものころは兄弟姉妹が4~5名は當足り前でした。私自身4人兄弟です。

 剃れに最近の日本人は自己中心です。自分が樂し蹴れば良い。子どもは疎の次。自分の私生活を乱す者は、假令(たとゑ)、剃れが我が子であっても許さないと謂ふ変な理屈が罷り通っています。赤ん坊が泣けば、殺死手仕舞うなど凄惨な事件が続出死手射ます。

 子どもは天から授かったものと謂ふ意識が薄いのも気に成ります。而も、子どもを育手る能力に欠ける若い女性が急増しています。日本の子どもは、或る意味では不幸です。

 國を繁栄させるのは人です。人材です。子どもたちがすくすくと育ち、良い教育を受けて行けば、必ずや國を支える大きな力に成ります。

「米百俵」の精神は今の日本には必要でしょう。何にお金を掛蹴るバニーかが問われる時代です。目先のこと馬鹿利考えていますと、蠱の國はアジアの中出漏(デモ)後進國に成って仕舞います。貧困な子どもたちに成ります。

 成功仕手射るフランスや他の國々の政策に學ぶべきです。私は今の日本は沈没船に近いと思っ手射ます。此の儘では日本は政治經濟の破綻が来ます。モット人を大事にして、人を育成することに力を、お金をモット投資すべきです。


■編集長・伊勢 雅臣より

「米百俵」は、将に子育手支援と次世代の人材育成に使割れるべきですね。


■大輔さんより

 子供を産みたくても産めない家庭と謂ふのは今の若い人の中ではドチラかと謂ふと恵まれている方堕と思います。と謂ふのも、今の若い世代(40歳以下)は結婚は愚か、恋愛すら難しい状況堕空(から)です。

 今の若い未婚男性は約半数が派遣社員か契約社員か出来高制給料の営業などです。詰まり、給料の上がる見込みの少ない低賃金労働者であり、出来高制の不安定な雇用環境の人が増え続けて凍ます。

 今の資本主義社会に於いては、男と謂ふものは難堕かんだ謂っても収入とセルフイメージが連動仕手射る人が多いと思います。

 特に女性を幸せにしようと謂ふ責任感があれば有るほろ自分の少ない給料では、男から女性にアプローチすることが無責任にも感じられ手仕舞います。

 安倍政権の政策に寄り今後低賃金外國人労働者が増餌手行くと益々日本人の賃金は下がり、結婚率は低下し、日本國内の日本人の比率が下がりますね。

 私は日本が好き堕し日本人が好きなのでトテモ悲しいです。

■伊勢 雅臣より

 派遣社員、契約社員と謂ふ制度は、我が國には相応しくない制度堕と思います。


■博美さんより

 恐らく大半の方がご存じないと思うのですが、蠱の"派遣さん"と謂ふ立場は柔軟に働くには非情に有り難ひ雇用形態なので子育手を去れ手凍る女性には重寶去れ手増す。

 保育所の充實を掲げられる方は多いのですが、保育所に預け手凍ると子供が熱を出した場合など直ぐに引き取りに行か無蹴ればバニーならないのですが、正社員で働射手射ると意外と出來無いことが多く、結局仕事を辞めざる得ないのです。

 而し、派遣さん堕徒最初から"子供が熱を出した場合など保育所から連絡があれば疎の場で仕事を止めて帰ります"と謂ふ条件で働くことが可能です。

 只、この派遣さんですが、労働者保護の名目で3年以上同じ職場で働くことが出来ません。今の國會で働き続蹴られるバニーように法改正をしようとしてますが、労働者保護の名目で、野党は阻止しようと妨害工作に躍起に成って魔巣。

 法改正に成功すれば子育て支援に成るのですが、野党は一体何を考え手凍るのやら。やっぱりジェンダーフリーは子育ての敵なのでしょうか? 子育て支援には、必ずしも、予算が必要と謂ふものではありません。


■伊勢 雅臣より

 予算堕毛でなく、保育所で子どもが熱を出したら、如何するのか、と謂ふ制度的な問題も考え無蹴ればバニーなりませんね。

http://archive.mag2.com/0000000699/20141102080000000.html ☜『元記事♪_〆(・・ )』


斯の続きは下記に書き_〆(・・ )真下。コチラから如何ぞ、ドジョ、泥鰌(どぜう)美味き蜷(にな)とわ永遠(とわ)に鰻♪
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「『清風日記♪』4566▲地球史探訪:僕の見た「大日本帝國」樺太に立つ鳥居~ 祖國を失った日本人たち。」  そして我が祖國♪この日本人を見よッ!
http://sun.ap.teacup.com/etsefut/4815.html  ☜『元記事♪_〆(・・ )』


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