松田尚樹の作業部屋

松田尚樹の作業部屋

定年フリーター爺さんの日々を綴ります

静かである。いつ訪れても、その静けさは変わらない。音がまったくしないわけではない。ただ、静かなだけである。神代、と書いて「こうじろ」と読む。島原半島の北の端、島原藩の領地にありながら佐賀鍋島藩の飛び地として支配されていた。その政務の中心地が神代小路(くうじ)と呼ばれる一帯で、1600年代後半に整備され、2005年に重要伝統的建造物保存地区に選定されている。いわゆる、武家屋敷筋である。

 

島原半島をぐるりと一周する国道251号で右回り、有明海側(熊本側)を南に走ると島原市に出るが、その途中、サッカーボールの街路灯が並ぶようになると国見町、まもなくして右手に松林が見えてくる。最初に訪れたのは2013年。松林の先に見えた「神代小路」という道路標識の地名に「なんやここは?」と惹かれて、バイクを右ターンさせるとそこが神代だった。とはいえそのころは有料施設もなく、案内標識もさほど多くはなく、適当感が漂っていたのがまた良かった。適当に道端にバイクを置いてエンジンを止めると、一瞬のうちに静けさに包まれた。

 

 

小路はだいたいこのあたりから始まる。正面が上級武士だった帆足家の長屋門。今では改修されて新しくなっているようだ。で、突き当たって左に曲がると、

 

 

こんな具合に見事な直線美。先に見えるは雲仙である。

帆足家のお隣さんが陣屋跡で、廃藩置県のあとも2004年まで鍋島さんが所有。5棟が重要文化財。江戸時代後期から明治時代中期の建築だが、生垣、石垣、水路とともに何にも邪魔されずここまでセットとしてよく保存されている。有料で公開中。

 

 

 

 

こんな感じで路は続く。土産物屋も、食堂もカフェも何もない。ほんの一部を除いて、今でも現役の、住居である。毎朝、住民のみなさんが道を清め、雲仙岳が見守るその路を、小学生たちが通学するさまが自然に目に浮かぶ。

 

 

 

 

ほんの少しだけ丘を上がったところにある、戦国末期までこの地をおさめた神代氏の居城、鶴亀城跡。

 

 

路地もまた味わい深い。

 

 

この落ち着きを求めて、何度足を運んだことかわからない。長崎を離れるときも、ここにはあいさつに来た。

 

神代から少し南に進むと、多比良(たいら)。有明海を渡って対岸の熊本の長洲までフェリーが運行している。実はこれが長崎から熊本の最短ルートとなる。

 

 

さらに進めば、幸せの黄色いハンカチの大三東(おおみさき)。「呑み鉄本線日本旅」で、いい気分の六角精児さんが、ここのホームで大の字になっって海と空を眺めたシーン、あれやりたいけど、まだできていない。

 

 

 

島原名物は数あれど、一推しは鶏の唐揚げである。ライバルの多いセグメントだが、基本食材としての定着度が群を抜いている。専門店系ではなく、お惣菜屋さん系。その筆頭が「おかずのよしだ」で、注文作法としては時間と数量を電話を一本入れておくのが基本。えっと、1時に、骨付きを1000円分と、骨なしも1000円分、お願いします。という感じ。わたし的には、これで車の中に充満するホクホクの唐揚げの匂いに耐えながら坂道を雲仙の方向に登り、百花台公園でアツアツをビール(ノンアルコール可)で流し込むのが正しい流儀である。

 

どうやら島原は魚がうまいのは当たり前で、わざと肉料理に振っているようなフシもある。推しのもう一品は、ジンギスカンだ。おそらく長崎はもとより、九州でもジンギスカン鍋がこれほど定着しているところは他にはないのではないか。国見に戻ったところにあるのがマトン専門店の小田精肉店。秘伝のタレは、最初は「なんやこの甘いのんは!」と叫ぶが、二、三回口に運べばもう病みつきになる。厚揚げを入れる、締めはちゃんぽん麺、という独特の食べ方指南もホームページで充実。道民としては、ベル食品さんソラチさんスミマセン。でもこれもうまいです。

 

静かな時間を過ごしたあとは、唐揚げかジンギスカン肉買って帰りましょう。これもまたわたしのTHE NAGASAKI。