実は、私は、事務のパートをしている普通の主婦でした。

 

細かい入力作業が苦手で、ミスをしては、人に迷惑をかけて、こんな単純な作業もできない!と自己嫌悪に陥る日々。

 

しかも、子宮外妊娠を2度体験。3度体外受精を試みるも、失敗!

 

3度挑戦してダメだったら、諦めようと夫婦で話して、やっぱりダメだったときは、何かぽっかり穴が空いたような、虚しい気持ちになりました。

 

このままじゃ、自分はダメになる!何かその穴を埋める目標を立てようと思ったとき、ふと、学生の頃、勉強したかった哲学を始めようと思い立ちました。

 

当時は、昭和の価値観で、哲学なんて勉強したら、結婚できない!と親から言われて、あきらめた哲学への道。

 

もう、結婚しているし、自分の好きなこと、やりたかったことをしよう!

 

まずは、いきたい大学を決めて、その大学のカルチャー教室に通い始めました。

 

なぜその大学を選んだかというと、夫の出身大学で、連れて行ってくれたときに、そこの空気感ががとても自分に心地よかったから。

 

超有名で超難関の大学です。

 

哲学を学ぶと、難しくてわからないけれども、いつもは使わない脳の部分を使うのが快感でワクワクしました!!!

 

そこで、その大学の聴講生になって、学生に混じって、哲学の講座を受けることに!

 

その講義が自分にハマったのか、講義後に、外に出て光輝く若葉を見ながら、この世は悲惨なこともあるけれど、それでも美しく素晴らしい!と思っている自分がいたんです!!!

 

それは、とてつもない幸福感に包まれた一瞬でした。そういう気持ちにさせる哲学者の偉大さ、そして、哲学が持つ力!哲学を志そう!と心から思った瞬間でした!!!

 

残念ながら、講義の担当教授は退官してしまいましたが、基礎的なことを押さえるために聴講生として3年勉強しました。

 

そして、思ったのは、これだけでは足りない!哲学を、もっと究めたい!

 

そこで、大学院に進学することを決めました!!!

 

40過ぎていたから、勉強も大変だった。

 

夫からも、そのエネルギ―を再度、妊活に注がないか、とか、半端な気持ちで大学院に行きたいとか言うんじゃないかとか、ものすごく反対されました。

 

けれども、大学院で哲学を究めたい気持ちの方が、なぜか、妊活より大きかった。

 

自分の本当にやりたいことがあれば、何があってもやり通せる。そのマインドがあれば、あとは、戦略を立てるだけ。

 

大学院の過去問を取り寄せ、語学の過去問は、語学学校に駆け込んで、添削を個人的に頼んだり。

 

政治、経済、外交など、国内外の時事問題や評論を読み、世の中の動静に敏感に反応し、自分でも何か考えが言えるように心がける。

 

空気感が自分に心地いいということは、大学と相性がいい!大学が私を呼んでいる!とまで信じ込む!!!

 

〜が私を呼んでいる!というマインドはとっても大事!

 

そう、まずはマインドが大事なんです。それさえあれば、あとは、勝手に物事がついてくる。

 

そうこうするうちに、あれだけ反対していた夫も、見守ってくれるようになりました。

 

そして、、、、大学院合格!!!!

 

奇跡が起こったと思いました。夫も一緒に見に行ってくれて、教務課に行って、書類をもらう。

あの日のことは一生忘れられません。

 

入学式には、主人も来てくれました。そして、2年で修士論文を書いて、博士課程へと進むことを決めました。

 

博士課程は、ひたすら英語の訳をしまくるものでしたが、夏あたりから、英語の評論文やNewsweeklyを読んだりして、英語を読むフレームを頭のなかに定着させる。

 

試験会場で、博士課程を受験する人数を見たら、気が遠くなりましたが、自分を信じて、最後まであきらめす、自分がもてる最大限の力を出し切りました。

 

それでも、自分が合格するとは思ってもいなくて、掲示板を見にいく勇気すらなかった、、、

家に大学から届いた速達書留で、合格通知を受け取り、あまりにもの驚きに、鳥肌が立って

奇跡が起きた!!!と感極まったときの感覚は、今でも忘れられません。

 

ただ、博士課程では、順調な道のりではありませんでした。哲学の研究は、厳しく険しい道です。博士課程は、プロであることを要求されるので、修士のときとは、自分が書いたものへの教授の対応も、格段に厳しくなる。

 

行くも地獄、辞めるも地獄、にっちもさっちも行かなくて、本当に泣きたくなるくらい辛い道のりでした。

 

しかも、ゼミでは、教授からの追及に答えられず、みんなの前で、オタオタしたり、年下から厳しい指摘を受けて、自信をなくしたり、本当に、身の置き所もなかったことも😭

 

一番辛かったのは、何かを書きたいけれども、書こうと思った瞬間、言葉が逃げていくことでした。思考もまとまらず、焦りばかりの日々。

しかも、哲学書を読んでいても、あともう一歩というか、その一歩が遠くて、腑に落とせない。それがもどかしくて、こんなに年数をかけても、まだ読めないなんて、と自分が情けなくてたまりませんでした。

 

けれども、不思議と哲学を辞めようとは思いませんでした。なぜでしょう?

 

あの日、哲学の講座を受けた後に体感した素晴らしい瞬間が、ずっと私の中で輝き続けていたからです。

 

その輝きは、決して自ら消してはならない!!!

 

残念ながら、教授の在任中に、博士号を取ることは叶いませんでしたが、博士課程も単位を取得し終えても、哲学の思索をし続けるうちに、ある日、全てがわかった瞬間があり、そこから、哲学書をすーっと読める自分がいました。

 

最近では、哲学の有名な機関誌に投稿が採用され、しごきの厳しかったゼミの教授からも、感覚がすぐれているとお褒めの言葉をいただき、私にしか伝えられないことがあるとまでおっしゃっていただけるようになりました。

 

あきらめずに、自分を信じてコツコツとやる。確かに、哲学を理解できない自分はいましたが、自分は理解する!という確信は自分にはありました。

 

もし、何かこれだと思えることがあったら、諦めずに、確信をもってやることが、良い結果を生む秘訣ではないでしょうか?

 

ただ、あきらめないでやるためには、自分を応援してくれる存在が絶対必要です!自分一人だけでは、独りよがりになってしまいます。

亡くなった夫、ゼミ仲間、友人、そして指導教授をはじめ、お世話になった先生方。いろんな方に相談して、アドバイイスを受けて、今、哲学をできている私がいます。

 

特に、指導教授は、厳しい方でしたが、今では、私にとっては学究の母(男性ですが😆)のような存在です。

 

あなたが、人生で何かを成し遂げたいと思ったら、自分とは異なった視点でアドバイスやサポートをしてくれる存在は大切です。

 

そして、そして、哲学そのものが、私を支え、そして、そこから人を繋いでくれた、最も大きな存在でした。

 

哲学は、知を愛する という意味がありますが、自分を知り、自分を知ることで、人間を知ることができ、そして、自分を人を愛することができるものです。その愛は、人にとどまらず、すべてのものに広がっていきます。

 

哲学には、不思議な力があるのです。

 

例えば、

 

ストアカで、哲学の講義をしていますが、受講生からは「従来とは違うものの見方を教えてももらって、新鮮な驚きだった」「生き方が楽になった」「不安への対処法がわかって、肩の力が抜けた」という感動のお声をいただいています。

 

 

 

 

とくに、哲学の講義から、個別相談を経てサポートをさせていただいた方からは、

「物事を見る視点に気づかせていただき、マネジメントに自信をもつことができるようになった。」とか「仕事をしていく自信がもてた」とか「今まで気づかなかった自分の魅力に気づかせてもらった」と満足のお声もいただいています。

 

フィロソフィカルサポート

https://www.street-academy.com/onetime/services/3586?conversion_name=direct_message&tracking_code=41886fe990f02bce65d413bfd8b1ef1c

 

 

 

自分を知り、自分を愛し、人を愛することができたら、不思議なことが起こります。

 

なかには、ライルコンサルタントのセッションをしていた会社勤めの方が、セッション中に、ご自分が抱えていたプロジェクトが、外国から受注があって量産体制に入ったということも!

 

同期で一番の昇進を果たしたり!!!

 

他、超有名企業の本社への派遣が決まったり、デザインのコンペに通ったり。

 

あなたも、自分を知り、自分を愛せるようになるよう、まずは、対話をすることからはじめませんか?