ゆーいちです。

 

 

 

 

 

 

今日は、朝から非常に悲しいお知らせがありました。

登山家・栗城史多さんが21日に亡くなりました。

心からご冥福を申し上げます。  

 

 

 

彼は、35歳という若さで。

 

 

 

 

私自身も同年代ということもあり、非常に残念です。

ただ、亡くなった事実という事は確かな事です。

 

 

そこで彼の経緯や、行動から学び次の世代につなげる事はできると思いました。

それが私のできる事と思いました。

 

 

 

 

登山家・栗城史多さん(くりしろのぶかず)

1982年6月9日産まれ

北海道瀬棚郡今金町出身。

札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。

よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携。

 

 

 

 

 

登山家でもありながら、起業家でもありました。

株式会社たお代表取締役。

 

 

 

 

 

『冒険を共有』をテーマに全国で講演活動を行いながら、

年に1,2回ヒマラヤ地域で高所登山を行なっていました。

 

 

 

 

 

2002年から日本の山を登頂し始め、

 

 

2004年マッキンリー(北米 最高峰 標高6194m登頂)

 

2005年アコンカグア(南米 最高峰 標高6959m登頂)

 

2006年エルブルース(ヨーロッパ 最高峰 標高5642m登頂)

 

2007年チョ・オユー(世界大6位最高峰 標高8201m登頂)

 

同年12月 ビンソンマシフ(南極大陸最高峰 標高4892m登頂)

 

2008年マナスル(世界第7位 標高8163m登頂)

 

2009年ダウラギリ(世界第8位 標高8167m登頂)

 

同年9月 チョモランマ(世界最高 標高8848m 体力の限界で7950mで敗退)

 

2010年アンナプルナ(世界大10位 標高8091m 7700mで敗退)

 

12月インターネットと登山を結んだ功績が評価されファウスト大賞を受賞。

 

2011年シシャパンマ(世界第14位 標高8013m 7600m敗退)

 

2012年シシャパンマ(凍傷により、7000m敗退)

 

2013年11月から2014年1月にかけて2012年の受傷した凍傷で指9本切断)

 

2014年ブロード・ピーク(世界大12位 標高8047m 登頂)

 

2015年8月末から5度目のエベレスト敗退

 

2016年5月アンナプルナ敗退。

 

同年9月アンナプルナ7400m敗退。

 

2017年エベレスト北側 6800m敗退。

 

2018年 8度目のエベレスト 7400m付近で下山。

キャンプ付近にいた撮影隊がルートを登って捜索したところ、

死亡した栗城さんの遺体発見。

 

 

 

 

彼は『冒険を共有』という事をテーマにして、

たくさんの人達に、『挑戦』という事を伝えていた。

 

 

 

栗城さん著書『一歩を越える勇気』で

「わらしべ登山家は毎日、各界で活躍する人達に会いに行っている」

と記している。

 

 

 

 

 

これは、交通費、入山料、渡航費用、スタッフなどの多くの費用が必要となる。

彼の凄いところは・・・・・

 

 

 

 

 

 

金なし、コネなし状態で今の地位を実現させた事です。

 

 

 

日本全国で講演し、スポンサーの資金協力が必須。

 

 

 

 

自ら各界のトップの人たちと面談し、営業活動し協力を仰ぎ資金調達。

 

 

 

 

多くの功績を収める。

登山を始めたきっかけは、失恋から栗城さんのストーリーが動き始めました。

 

 

そして多くの人たちが疑問に思う事。

『なぜ山に登るのか?』

栗城さんはこう答えました。

『生きているから』

 

 

とても感化されることがある。

 

 

 

普段生活していてこんな事中々考えられないです。

 

 

 

 

そんな素晴らしい彼から私はたくさんの事を学びました。

 

 

 

 

・挑戦し続ける

 

栗城さんは何度も失敗しています。

なぜ諦めなかったのか?

それは上記にもあった『冒険の共有』と『やる理由』が明確だったからです。

 

これはビジネスだろうがスポーツだろうが学生だろうが、一貫しています。

これが無いと人は続かないのです。

 

 

さらに栗城さんは、ほとんどが単独登山と無酸素で登頂しています。

これはどれだけ凄い事かというと、蟻が像を倒すくらい凄いです。

 

 

 

 

 

気圧が下がると1回の呼吸で吸い込める酸素の量が減るわけですが、

その分は呼吸量を増やすことである程度対応可能です。

 

 

 

 

富士山ぐいらの気圧であれば、なんとかなるわけです。

ですが、エベレストほどの高所となるとそうはいきません。

 

 

 

 

 

そこで酸素ボンベを使うわけですが、

酸素ボンベには酸素に150~300気圧の圧力を掛けて圧縮して充填されています。これはつまり、同じ容積に気圧の倍数分の酸素が入っているということで、

300気圧で容量が4リッターの酸素ボンベであれば、

1200リットルの酸素量になります。

 

 

 

 

 

これに対して、成人男性の運動時でも1分間に必要とする酸素は2~3リットルですから、1本の酸素ボンベで6~10時間使えます。エベレストには数日がかりで登りますから、実際にエベレスト登山隊は酸素ボンベを何十本も使って登っています。

 

 

 

さらに標高7000mを超えると、デスゾーンと呼ばれています。

酸素濃度が約3分の1になり、とても危険を言われています。

 

 

 

 

 

栗城さんは、単独ですしボンベを持つと荷物になりますし、

更に軽量化のため、食事はカップラーメンだけです。

 

 

 

 

 

そんな中、彼は登り続けていたのです。

 

 

 

 

そして何度も何度も挑戦し続けたのです。

 

 

 

 

成功するまで・・・・・

 

 

 

 

これは、偉人でもあるエジソンと一緒です。

 

 

 

 

エジソンは電気を発明した時、インタビューでこう答えました。

 

記者

「これを発明するまで何回失敗したんですか?」

 

エジソン

「いやいやいや。失敗なんて1度もしてないよ!

 

記者

「え?」

 

エジソン

「私は間違った方法を5000通り行なっただけだよ。」

 

 

これと一緒です。

栗城さんは何度も何度も諦めずにチャレンジしていました。

 

 

 

 

是非私のブログを読んでくださった方も学んで欲しいのです。

彼が伝えたかった事を!

 

 

 

 

スラムダンクの安西先生もおっしゃってました。

『諦めたらそこで試合終了』と。

 

 

 

 

諦めずに、できる事をどんどんやって欲しいのです。

周りに反対されても、中傷的な事を言われても。

何度でも立ち上がって欲しいのです。

 

 

 

 

必ずその先にあなたが望むものが待っています。

明日やるじゃダメなんです。

今すぐ行動してください!

 

 

今からあなたの人生の歯車が動き出します。