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すまーとしーくのブログ

ほぼ通勤電車にて。

第四回(第4日)2007.8
行程:鶴見~東戸塚

今回は、6時間近く歩いたので、前編と後編に分けます。

先に書いておきますが

走破距離 約16キロ
13:15-19:00(5.75h)
の行程でした。

今回から、行程グラフを載せました。今、どの辺?というのが分かればと思いまして。

緑の▼部分が現在地です。
まだまだ先は長いです。

さぁ鶴見から再スタート


▼生麦、生米、生卵

生麦事件です

新しい看板なのに、当時の原文のまま。分かりにくい。。。

この辺りは、旧道なので楽しめましたが、キリンビールから先は国道一号に合流してつまらんが続きました。

▼神奈川宿の洲崎大神

神奈川宿に入った頃に、旧道で現れた神社です。海岸線が近かったことが名前からも分かります。
横浜駅はすぐ近くです。横浜開港まで、この辺りは、小さな漁村に過ぎなかったそうです。

▼旧東横線の跡地

東横線は、みなとみらい線に接続するため地下に潜るようになりました。ここは以前、地上(高架)で走っていた頃の跡地です。既に撤去作業が終わっていました。
今、ストリートビューで見たら、きれいな緑道になってました。

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ここで横浜駅を過ぎた頃です。現在16時過ぎです。
横浜駅前でお茶しようと思ったのですが、ぱっと入れる店が無く断念。。。

後編に続く
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第三回(第3日)2007.6
行程:鮫洲~鶴見

また1ヶ月開きました。
鮫洲から再開です。

▼涙橋

何に涙するかというと、この先の鈴ヶ森刑場へ送られる罪人に対してだそうです。罪人の親類縁者がこの橋でひっそりと見送ったそうで、この名がついたという話。

▼面白い看板目

きっと飲み物しか置いていないお店なのでしょう。

▼六郷の渡し
さぁ初の「渡し」です。多摩川です。昔は橋がかかっておらず、小舟、輿、担ぎなどで川を渡りました。荷物の量やその方法で値段は決められていたそうです。



最後の碑は明治天皇記念碑です。この先、要所要所で現れます。この頃の旅も、もちろん徒歩。おんなじ道を歩くのです。

あ、東京都終了。よろしく神奈川県。

▼芭蕉の句

麦の穂をたよりにつかむ別れかな

芭蕉さんも、この旅の常連さんでした。至る所で遭遇します。ホントに?ってくらい。
アジサイが咲いてました。そんな季節です。

▼市場の一里塚
この旅、初の一里塚。(たぶん)

一里塚は道の両サイドに立派な目印となる木が植わっていたらしいのですが、ほとんど残っていません。
「跡」が、碑や神社などで判れば良い方です。なんか一息つけるのが一里塚で、昔の人に倣って、おやつを食べたりする事に。

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川崎市は、あっという間に終了で横浜市に入ってます
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▼鶴見で本日終了

初の本格的な歩き。ヘトヘトです。翌日からしばらく足を引きずっていました。得意げ
(まだ全然、序の口なのに)

走破距離 約13キロ
13:15-17:40(4.5h)
第3回に進む前に、旅の進め方を補足説明です。

●旧東海道を歩くあし
先人たちがWebなどで詳細に解説してくださっているので、その情報を基に。
〔お世話になったサイト〕
http://okamoto.u.cnet-ta.ne.jp/s-map.htm
〔カイドブック〕
東海道を歩く http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4635600343/ref=redir_mdp_mobile?n=465392&redirect=true&ref_=dp_image_0&s=books

●最初は日帰りで、行っては帰りを繰り返し進めていく晴れ走る人
※だいだい旧東海道に沿ってJRが走っているので、スタートとエンドは駅でした。
→だんだんスタート地点に行くために時間がかかって効率が悪くなって、後半は二泊三日を多用しました。

●完歩目標は2年ぐらい
実際は丸4年かかりました汗

●ビッグイベントは、友人と予定を合わせて一緒に歩く。(箱根など)
中盤は一人旅が多かったです。三島までは妻が付き合ってくれました。

●ゆっくり歩き、肌で昔の名残を感じとる
名残が残っているところは、楽しいかったけど、ただひたすら歩くところも多かったです。昔はきっとそんな寂しい場所で、追い剥ぎが出たり行き倒れたりしてたんだろうかと想像しながら歩いたり。

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