任天堂: Project H.A.M.M.E.R 開発悲話(3)
プロジェクトはこの時点で方向性を見失い、何を作るかもコントロールできず、開発者たちからはNSTへの敬意も失われ、2008年以降にはプロジェクトを見限る開発者が出始めた。MACHINEXがその長い開発の最終コーナーを曲がりつつあったが、スタッフは持ち場を離れていった。
チームはリード・デザイナをクビにしたが、管理者はプロジェクトの惨状に対する責任をとることを断固として拒否し、一切の責任を、この現状の危機を訴えていた人物におおい被せた。その年にはさらに多くの開発者が去っていき、さらに多くの辞表が出されることになった。
NTSのマネジメントは、元開発チームのメンバーによって、自分たちが直接、国籍及び人種差別により訴えられていることを知った。
NoAはこのことを懸念し、マネジメント関係者の職務経歴の徹底した調査、労働条件の広範な調査を含めた内部監査を実施した。この調査結果は極めてセンシティブなものであるためにここでは公開できない。だがいつか機会があればまたこの記録を公開するつもりだ。
監査の最中も、かつては「Project H.A.M.M.E.R」と呼ばれたこのゲームは、NSTの片隅で不自由な足で前に進もうとしていた。最後に外部に情報が出てから、既に3年ものあいだ世間からは忘れられていたのだ。だがどんどん縮小しつつあった開発チームは、2009年まで静かに開発を続けていた。どこにも通じない開発であったが、その命運もついに閉ざされる日が来た。
開発が始まってから5年と半年、MACHINEXは破棄された。NSTは多額の開発コストを回収する必要があり、この問題を解決する方法を求め、なにか素晴らしい思いつきが出てくるのを待っていたが、もちろんそんなものは出てこなかった。かつてチームに大変余裕のあるスケジュールとつくりたいものをつくる自由を与えてくれたCLも背を向け、資金を引っ込めてしまった。
NSTのマネジメントはプロジェクトを去ったが、自分の失敗は最後まで認めなかった。
このゲームは膨大な財政上の重荷となっただけではなく、同社の徹底した破壊へとつながった。WaveRaceやカナダのメトロイド・プライム・ハンターを作ることにあてられた膨大な時間は、この開発に使われてしまった。幾人かの開発者は業界を去ったが、恵まれていたのはその一部に過ぎない。
任天堂の首脳陣によって、NSTは重要性の低いスタジオに格下げされた。任天堂のラインナップを飾る大作を開発するスタジオから、Wii Street Uのような小規模なデジタル・プロジェクトを開発するスタジオに変わった。
NSTのまた別の開発者の言葉で言えば、任天堂はいくつかの素晴らしいゲームをNSTに作らせようとしたが、帰ってきたのは泣き叫ぶ声だったのだ。
みらい的コメント: というわけで、この記事は以上。 なぜ任天堂は上手くいっていないのか。その一端が示された貴重な労作だと覆う。 任天堂はこの後でWii Uの開発とロンチに取り掛かっていくのだが、関心のある向きは、そこでの内部事情についての記事もあわせて参照いただければと。 「開発者は語る: Wii U開発の舞台裏」 |