凡人水族園 第百七十五回
「SHOXX」というビジュアル系雑誌が無くなった。終わりは余りにも突然だった。ツアー先福岡のホテルで何気なくSNSを眺めていたら「音楽専科社、事業停止」の文字が飛び込んできた。
テレビというメディアを通じて中学生だった僕達の周りでもビジュアル系という一つのカルチャーが流行の兆しを見せ始めていた。友人宅で初めて手に取った「SHOXX」。メジャーと呼ばれるアーティスト以外にも沢山のバンドが掲載されていて、そのド派手なヘアメイクやコスチュームにサッカー部を引退して間もない僕は恐怖すら感じていた。高校生になる頃には毎月欠かさず読み耽り、少しずつビジュアル系の知識も増え、何語かもわからないバンド名や学校では習う事の無い漢字の曲タイトルも読み方がわかる様になっていた。
十九歳でバンドの道を歩き始めた。初めて「SHOXX」に掲載されたのは東京でのライブイベントのレポート。白黒の八分の一程のページだった。嬉しくて姫路の駅前の本屋に走った。初めてのインタビューは銀座。初めての撮り下ろしのカメラマンは小林貘さん。メジャーデビューのタイミングでバンドとしての初めての表紙。
華やかな時だけは無い。Psycho le Cemuが問題を起こし活動の全てが白紙になった時、活動休止のステージ、新たなスタートMix Speaker’s,Inc.での前例のないイラストインタビュー。僕が苦しかった時、我武者羅に踠いていた時も手を差し伸べてくれたのは「SHOXX」だった。
数え切れない想い出がある。
そしてなにより、この「凡人水族園」というコラム。インターネットが今程普及していなかった当時、特異すぎるステージ上でのキャラクターと素の自分のギャップに悩み、ありのままの自分を知って欲しくてタイトルを名付けた。これといったテーマは設けず日々のクスッとなる出来事や、バンドの世界で起こる言葉にしなければならないと思った出来事を文字にさせて頂いた。パソコンも持っておらず、四百字詰原稿用紙に「いやいや、始まってしまいました」と書いた日から十四年半。千文字の世界を百七十四回作ってきました。
稚拙な文章にも関わらず、十四年半という長い時間、僕に書く場所を与えてくださった「SHOXX」に心から感謝したい。そして変わらず担当を続けてくれた志田さん。本当にお世話になりました。毎月締め切りギリギリでごめんなさい。十六年間ありがとうございました。
今月はこの辺で。しいくでした。バイバイ。