昨日の救急車事案から夜が明け、2023年6月19日の朝を迎えた。

「起きたら体調が良くなってるといいなあ」という淡い期待は見事に打ち砕かれた。

そりゃ、あれだけの症状が一夜で消え去るわけないんだけども。

 

僕が「病院に行こう!」と思ったのは、呂律が回らなくなったから。

おぼろげな知識で脳梗塞だったら早い方がいい、と思ったわけです。

とても自分で運転して行くことはできなかったから、弟に付き添いをお願いした。

僕も弟も中小企業を経営している(僕はフリーランスのような感じ)から、わりと時間に融通が利く。

ただ、この日はアポイントが入っているらしく、夕方になった。

 

夕方であれば付き添いをしてくれるということで、近所の脳神経外科クリニックを予約した。

新しいクリニックで、予約と問診がwebで完結する。

既に呂律が回らず、話しにくいからとても助かった。

 

さて、夕方まで時間があるからと、問診のときに呂律が回らず話せなくなることを危惧して、これまでの経緯をWordに入力、印刷した。

なんとなく今日は自宅に帰ってこれない気がしていたのか、ベッド周りや洗濯物の整理をしていた。

家に帰ってこれたとしても、ここから数日間、私の仕事のアポイントをこなすのは無理だと思い、仲間に無理を言って引継ぎした。一番楽しみにしていた仕事も断腸の思いでキャンセルをお願いして、大きなご迷惑をおかけしてしまった。

 

すでに食欲はほとんどなく、朝起きたらゆで卵をひとつ、お昼と夜はゼリーかおにぎり。こんな生活が1週間ほど続いており、体重が62kgから60kgまで減少していた。

 

夕方になり、弟の車に乗せてもらい、脳神経外科クリニックへ到着。ほとんど待ち時間もなく、看護師さん?の問診が始まった。せっかく印刷してきたこれまでの経緯を記録した印刷物は一読されただけで、どんどん質問がくる。その内容は全部用意してあるのに、呂律が回らない状態で話して伝えるのは本当につらかった。唯一できる抵抗として、看護師さん?からの質問の答えを、全て印刷してきた紙を指差しして答えた。察していただいたのか、しっかり確認していただき、それを基に医師に伝えてくれたようだ。

 

次は医師の診察。呂律が回らない程度の確認と、眼の動きをチェックしてくれた。

この時点で医師はハッキリと伝えてくれた。

「この2つの症状が出ていて、何もないということはないと思う。」

ここではMRIを受けて緊急性を確認したのであろうか。

結果は脳梗塞などは確認できないということが分かった。そしてほぼ間髪なく、「大きな病院でしっかり見てもらった方が良い、紹介状を書くからこのまま救急窓口へ行ってください」と案内してくれた。

救急車のときのように、「自宅で安静に」となっていたらと思うとゾッとする。

このクリニックの先生には本当に感謝している。

 

そして、脳神経外科クリニックの目と鼻の先にある大学病院へ移動。僕がイメージしていた救急とは違い、普通の病院のように順番待ちが必要だ。

複数の医師からの問診の後、血液検査、心電図、CT、髄液採取、加えて点滴だったと思う。すでに時間は22時過ぎ、さすがに疲れてきてしまった。

とても印象的だったのは、救急を担当してくれた皆さんがとても気遣ってくれたところ。これも僕がこれまで抱いていた病院のイメージとは大きく違うものだった。

髄液の採取は、これまでの注射系の中でダントツに痛かったけど、終わったら笑ってお話ができた。これも救急外来を担当していただいた医師、看護師のおかげだと思う。

それからずいぶんと時間が空いて、その間に入院の手続きを済ませた。しばらく待ったところで、救急外来の医師から、「脳神経内科の医師と話したところ、思いあたる病気がある。病名や詳しいことは、明日、脳神経内科の医師から説明を受けてください。」とのこと。私の表情が不安そうだったのか、その後に「原因がわかれば治しようがある」と言っていただいたのが本当に嬉しかった。

 

ストレッチャーに乗ったまま、救急病棟?へ移動して、そのまま入院となった。

「このままどうなってしまうんだろう」

行き場のない不安を抱えていたけど、1日の疲れのおかげで倒れるように眠りに落ちた。

 

ここで弟への感謝

忙しい中、僕を優先してくれた。多分、彼が苦手であろう冗談で笑わせてくれたり。人間としての大きさを感じた。細かいお願いも嫌な顔ひとつせず、本当にありがたかった。彼に何かあったら、僕が対応すると心の中で誓った。

身内にこの対応ができるのだから、きっと彼の事業はうまくいっているんだろうと察した。それにしても、待ち時間はずーっとスマホでゲームしてたな。そのあたりが僕を緊張させないでくれたのかもしれないけど。