11月の下旬のことになります。
恒例になってきている容子さんとの秋の「ちょっと遠くへ小旅」に行ってきました。

 

 

     

 

大阪を出発して名神にて京都、大津、彦根、米原を越え。
米原からは高速を降りて、湖岸沿いの道を北上します。
右には伊吹山、左手には湖面の向こうに竹生島が見てきました。

 

 

     

 

     

 

     


長浜城を過ぎるころには、今まで青空も見えていたのに急に黒い雲が現れて細かい雨も降り出しました。
こういう天候はこの辺りでは、秋から冬にかけて特有のものらしいのです。
また、近くには小谷城跡、姉川古戦場跡、賤が岳古戦場跡などもあり歴史への思いも強くさせられますね。



     
  
       

今回の小旅の目的地は菅浦というところです。
ここは地図からも分かるように、琵琶湖に突き出た半島の先近くにあって、四方を山と湖に囲まれています。

 

 

 

     

       東の「四足門」


ここは中世より、住民による自治的な共同組織の村落形態が続いてきたらしいのね。
集落の東西には今でも「四足門」という門が残っているのですが、昔は部外者を厳しく監視していたとのことですよ。

その昔に政争に巻き込まれた天皇が移り住んだり、小谷落城の時には浅井長政の次男を匿ったとの伝承もあるらしいです。


明治・大正期には、琵琶湖の川魚漁で栄えたとのこと。


     

     

その名残か、ここには川魚を扱う割烹料理屋さんがあるのです。
「佐吉」さんと言うそのお店で、琵琶湖産の鰻の丼をいただきましたよ。
言うまでもなく、油が乗っているのですがさっぱりとしていて、とっても美味しかったです。


   
     

        


集落のいちばん端の、もうここからは道がないという所まで行ってみました。

 

     

 

     


流ていく雲の間から光がもれてくる様子がどんどん変わっていき、とってもダイナミックな風景を見ることができました。
こんな素晴らしい風景を独占できるなんて、なんて幸運なのでしょう。

     

     

     

     

     


集落の中ほどに大きな鳥居があって、そこから参道が山の中腹に向かって続いています。

 

     


社は「須賀神社」といい、伝承によると764年に創始されたというから、かなり由緒ある神社らしいですね。
この神社に伝わる古文書「菅浦文書」は国宝に指定されており、鎌倉時代から江戸時代までの菅浦の自治の様子を伝える文書として一級品だそうです。

 

     

 


本殿にお参りすると、どこにも華美なものはないのですが、全てが整っており、長い間をかけて村人が大事に守ってきたのだなということをひしひしと感じました。

     
     
ここからは土足厳禁でスリッパに履き替えました。

     

     

日も傾きはじめて、風も少し冷たくなってきたようです。
そろそろ遅くならないうちに帰ることにしました。

     

ここ菅浦に来てからお会いした観光客は、「佐吉」さんで出会った二組のご夫婦だけです。
菅浦はこのように「知る人ぞ知る場所」なのですが、できることならずっと「かくれ里」のままでいて欲しいものだと思いました。