連休も今日で終わりですね。
少し季節がずれてしまいましたが、四月の中旬に、お友達の陶子さんと高野山詣での旅に行って来ました。
みんなで集まった翌朝のことです。
南海電鉄の難波駅を8時発の特急「こうや1号」にて。
大阪から、高野山に向かうには、この南海高野線でしか行けないのですよ。
昨夜の雨がそのまま残っていて、やみそうにありません。
車窓からの眺めは、朝だとういうのに、空は厚い雲に覆われて、地表も霧に覆われて何も見えない状態です。
電車は和歌山県に入り、紀ノ川を渡ると、どんどん山を登って行きます。
電車の終着駅は極楽橋駅と云います。
ここからは、ケーブルカーに乗り継いで、高野山駅に向かいます。
高低差330メートルを約5分で登ってしまいます。
このケーブルカーは昭和5年に開業して、現在の車両も昭和39年製で50年が経過しているそうですよ。
写真でも分かるように、車両の傾斜が急でしょう。
ホームに降りると、何だか足元がふわふわした感じになるのですよ。
高野山駅からは、今度はバスで高野山の中心部に向かいます。
高野山は大小百余の寺院からなる宗教都市と言われています。
町の中にはもちろん町役場に交番、消防署、銀行に郵便局などがあります。
でも、ここが明治の始めまで、女人禁制だったとは驚きですね。
わたしと陶子さん、明治の始めに生きていたなら、ここに来ることできなかったのかな。(笑)
バスを降りてからも、雨はいっこうに止む気配はありません。
バス停から一番近いのは、真言宗総本山である「金剛峯寺」(こんごうぶじ)です。
入り口のところに、ピンクのしだれ桜の花が残っていました。
やはり、標高千メートル近くなので、ふもとより気温が三度から五度低いそうですよ。
この日は四月の中旬なのですが、とっても寒くて震えていました。
金剛峯寺の中には、大小たくさんのお部屋があります。
立派な襖絵が残っており、廊下越しに見ることができますが、撮影は禁止られています。
お庭も、厳かな感じでいいでしょう。
奥に進むと、大広間があり、お茶とお菓子をいただきました。
少しすると、お坊さまの法話がはじまりました。
たしか、「今を一生懸命に生きることの大切さ」というお話だったと思います。
雨は少し激しさを増し、霧も出てきました。
次は、「壇上伽藍」(だんじょうがらん)に向かいます。
ご存知のように、高野山は平安時代のはじめに弘法大師空海によって、開かれた仏教の聖地です。そして、壇上伽藍は弘法大師が最初に開かれた場所だそうです。
「金堂」や「不動堂」「根本大塔」「御影堂」など多数の重要なお堂が立ち並んでいます。
雨の中でかすむお堂を見ていると、とっても幻想的な気持ちになりました。
すでにお昼を過ぎており、昼食を予約していた宿坊「清浄心院」にバスで急いで向かいます。
百余のお寺のうち約半分が、宿坊として観光客が泊まることができるのですよ。
もちろん、旅館やホテルは一軒もありません。
写真には写っていませんが、特に西洋からの観光客が多くいらしてました。
宿泊客の半数以上が、海外からのお客さまだそうです。
今回は、日帰りなので、少なくても昼食を宿坊でと予約していたわけです。
食事が準備されるまで、立派な応接間で待ちます。
食事をするお部屋では、善が二つ用意されていました。
食卓はなく、昔ながらの食事の方法ですね。
言うまでもなく、精進料理には肉も魚も一切入っていません。
素朴な味付けで、ゆっくりと美味しくいただくことができましたよ。
食事が終わり、お庭に出てみるともうすっかり雨が上がっていました。
このお庭には、立派な枝垂れ桜の大木があります。
ここも花がまだ残っていてよかったです。
この桜、やさしくて、きれいで、ちからづよくて頼りがいがあるところは、何だか陶子さんに似ていて素敵だと思いました。
一の橋から弘法大師の御廟ある奥の院まで約2キロの間に、主だった戦国武将など多くの墓石が、樹齢千年を超える杉木立ちのなかに立ち並んでいるのですよ。
織田信長に明智光秀、徳川家康に石田三成、武田信玄に上杉謙信。
敵味方を超えて、誰でも受け入れてもらえる高野山、ほんとうに懐が深いですね。
杉木立ちの先に、大師御廟が厳粛な構えで建っています。
ここは、撮影厳禁なので写真はありませんよ。
そして、ここが今回の旅の最終目的地です。
何だか、目をつむっていると心が洗われれるようで、心身が軽くスカッした気分になりました。
帰りは、来た時と同じくバスで高野山駅へ、ケーブルカーにて極楽橋駅に降りて、南海電車にて6時過ぎに大阪に帰ってきました。
今回の陶子さんとの高野山詣では、当初は昨年の秋に計画していたのですが、わたしの都合で4月まで延びたのです。
でも、前夜の楽しい出会いから始まり、雨にけむる幻想的な高野山、そしてぎりぎり咲いていた高野山の桜にも出会うことができ、ほんとうによかったです。
千二百年の歴史の重みを感じながらの、素晴らしい旅を陶子さんとできたことに感謝しています。





























