ピクニックの場所となるホーリー湖は、学校から十五分ほど歩いた場所にあった。道中、そこも敷地内なのだと教えられる。辺り一帯はバート校の創設者一族であり、現在も理事を務めるコリン家の土地で、明確な境界は設けていないのだと言う。アートも貴族の端くれとしてコリンの名前を耳にすることは多かったが、ここまで格の違いを見せ付けられると呆れる以外、感慨も湧かなかった。
「たかが遊びに奇特だよな」
 小さな湖の畔で着々と進められる支度を眺めながら、アートは呟いた。そこへ六年から念を押されていたジーンが戻ってくる。明るい陽射しの中を歩いてき、休む間もなく呼びつけられているから、額には大粒の汗が浮かんでいた。掌で拭い暑そうに首元へ指を滑らせるが、他の生徒がしているようにクラヴァットをほどきも、結び方を変えもしない。
「誰が奇特だって?」
 アートはホーリー湖の由来となったらしい、ヒイラギの木陰に誘い答えた。周囲に群生し木立ちを作っている。白い小花をつけ、風がそよぐと甘い香りが一面に満ちた。
「理事だよ。こんな益体もないパーティーに金出してるんだろ」
「今日は、ずいぶんと辛辣だな。そんなこと言ったら、社交界も同じだろ」
「ああ、低俗な道楽だ」
 ジーンはなにも言わず、小さく肩をすくめただけだった。
 テーブルや料理のセッティングが終わると、ほぼ同時に丘を越えて馬車が現れた。一台や二台のことではない。数十台にもなる列だ。一学年五十人前後。女子部は、それより少ないと言うが、それでも百人はくだらない。最後の馬車が着く前に、パーティーは始まった。
「アート、こっち。紹介したい子がいるんだ」
 グリーブと女子部校長の短い挨拶が終わると、ジーンはアートを促し、歩き出した。が、アートは首を振る。
「いい、って言っただろ」
「友達なんだよ。それに誰か一人でも一緒にいれば、他の子も遠慮して声をかけられることもないんじゃないか?」
 そうまで言われては、アートも従うしかなかった。渋々、後について歩き出す。
 ジーンが女の子たちに笑顔を振りまきながら連れて行ったのは、湖に近い一番端に置かれたテーブルだった。ヴィリジアン色のドレスと、同色のリボンで縁取りされた白い帽子をかぶった女の子が一人、座っている。
「リヴィ!」
 ジーンが嬉々とした声で呼びかけると、彼女はパッと振り向き立ち上がった。浮かんだ満面の笑みに、――へぇ。と、軽く目を見開く。アートですら内心、感心するほど愛らしい少女だった。
 大きな栗色の瞳。小さくふっくらとした唇。眉尻は少し上がり気味だが、わずかに加わった凛々しさが印象を引き締め、より惹きつける。体格はジーンの腕の中にすっぽりと収まるほどで、全体的にはしっこい小動物を思わせた。
 抱き合い、ニコニコと再会を喜ぶ二人は、傍目からすると仲のよい恋人同士に見えないこともない。女同士なのだが……アートは少し複雑に思う。
「会いたかったわ、ジーン」
「俺も楽しみにしてたよ」
 と、ジーンは腰を屈めると、リヴィの薄く紅を引いた唇に顔を寄せた。
「なっ」
 アートが思わず発した声を聞きとがめ、リヴィが視線を向ける。ジーンを見つめていた朗らかな面持ちとは正反対の、冷ややかな眼差しにアートはたじろいた。
「リヴィ、紹介するよ。彼はアート。少し前にきた編入生で、俺のルームメイトになったんだ。アート、彼女はオリヴィア。学校に入る前からの親友なんだ」
「……よろしく、アート」
「よろしく、オリヴィア」
 二人のぎこちない挨拶に、ジーンは笑顔を崩さず付け足す。
「そんな緊張することないよ。どっちも知ってるから大丈夫」
「知ってる、って。ちょっときなさい! 失礼」
 淑女らしく。アートに声をかけると、リヴィはジーンの腕を引っ張り離れた。内容は聞こえずとも、リヴィの剣幕で察しはつく。人数あまりで一人、部屋を使えていたから問題は回避されていた。そこにくるはずのない編入生が加わり、危惧していたルームメイトが出来てしまった。しかも正体を知られているのに、当の本人はたいして問題視していない。
 ――まあ、普通の感覚があれば心配するはな。
 事情を抱えているらしいジーンを辞めさせるのは心苦しかったが、いずれは無理が生じることだ。ジーンが寝込む前に、このパーティーがあったのは幸いだった。これで説得に応じてくれれば、アートとしてもありがたかった。
 アートは二人から視線をはずし、湖へ目を向ける。気の早い二組が、すでにボートを浮かべていた。他でも大きなグループを作ったり、二人だけになっていたりと陽気な話し声が辺りに溢れている。
 女友達を作ることは別としても、心の底から一緒になって楽しめない自分を、少しばかり恨めしく思った。
「アート!」
 ジーンの声に振り返る。手を振って駆けて行くところだった。
「リヴィのこと、よろしく」
「まだ終わってないでしょうっ、ジーン!」
「ごめん、リヴィ。終わったらくるから」
 人の中に紛れるジーン後姿を睨みつけていたが、やがてリヴィは大きなタメ息を吐き出すとくるり踵を返し戻ってきた。アートは彼女の椅子を引いてやると、隣りの椅子に自分も腰かけた。
「ありがとう。ミードだけど、かまわない?」
「ああ、もらうよ」
 礼を言い、差し出されたグラスを受け取る。深い飴色をした蜜酒が揺れると、甘く酸味の混じった香りが漂った。テーブルにあるグラスが二つと言うことは、ジーンの分だったのだろう。皿に盛られた菓子も、ジーンが楽しみだと言っていたものが多くある。アートは、リヴィのことを可哀想に思いながら一口すすった。
「美味いね」
「ここの東に農場があってね、少しだけど養蜂もしてるのよ」
「コリン家の?」
「そう。自家で飲む分と主家に納める分以外、作っていないんだけど。たまに量が出来ると学校に回してるの」
「へぇ。詳しいんだな」
「私はアダルバートの生まれだもの」
 アートは、もう一口ミードを含む。リヴィも話を、どう切り出すか迷っている気配を感じた。互いにジーンのことを話さなければならないと思っているのに、きっかけが掴めない。チラリと横目でうかがうと、モスグレーの瞳と目が合った。
「オリヴィア」
 アートはグラスを置くと、居を正し尋ねた。
「さっきバートを辞めるよう言ったんだろう? ジーンは、なんて答えた?」
「……私は辞めろなんて一言も言ってないわ」
 ついと視線をそらし、リヴィは答える。アートは驚き、聞き返した。
「どうして。君だってジーンを心配したから、怒ったんだろう?」
「ジーンが望んでないからよ。辞めることを」
「けど、いつばれてもおかしくないことは、ジーンも解ってるんだ。今がいい機会だとは思わないか?」
「それは……でも、無理よ」
「どうして。ジーンの気持ちも大事だけど、なにかあってからじゃ遅いだろ?」
 リヴィは答えず、グラスを呷り一気にミードを飲み干した。アートはデカンタを取り上げ、リヴィと自分のグラスに注ぐと返事を待つ。むっつりと黙り込んだ横顔は、話しかけるなと告げていた。