仙台市役所へは時々いきます。
以前は仕事で。
それが今年の3月11日には
震災当日に行くところがなくて夜までお世話になっていました。
お水をいただいたり
ビスケットをいただいたり
トイレを借りたり
外は雪だったので
暖かい部屋の中で
余震におびえながら多数の避難者にまじっていました。
本当にあの時は助かりました。
ありがとう
今月には
罹災証明証を頂くために行ってみました。
久しぶりのロビーでは
震災後の復興の様子を写した写真や全国から寄せられた折鶴などが
数多く展示されていました。
みていると元気も出ますが
私は涙が溢れます。
歳のせいでしょうか・・・
小学生の元気な笑顔には
ほんとに助けられます。
この子達のためにも頑張らなくちゃね、
そんな気持ちになりますね
大人のみなさん、
子供たちを見習って
力を合わせて頑張りましょ
頑張り続けてきた方は
たまには休んでいいと思います。
だって
まだまだ先は長いんですもの
用事が済んで帰ろうと思ったらエレベータの脇にこんなものが。

楽天の選手達が寄せ書きのようにサインをしてくれたみたいです。
お気に入りのマー君のサインもありました。
最近痩せましたね。
絞られた身体から溢れるパワーを感じます
投げた後の 『よっしゃーっ』 みたいな叫び方が
最近はちょっと恐いくらいです。
あれだけ負け続けたらこれくらい燃えないとやれないですよね~
ふぁいと~
そして来るときと反対側の廊下の壁を見ると
最初の写真とはうって変わって
震災直後の悲惨な状況を移した写真がたくさんありました。
見る順番があったんですね・・・
昔住んでいた地域のあたりなので
友達の家の近くが写っていました。
こんなに・・・
『うちの方面へは行かない方がいいよ』 と
友達に言われていたので
言われるままになっていたのですが
こんなにまっさらになっていたなんて・・・
しばらくその場から動けませんでした。
仙台市宮城野区の蒲生地区の話は
昨日、震災以来初めて会ったその友達から詳しく聞きました。
友達の実家は屋根の上まで水が来たのですが
築50年以上前の昔からの家は妙に頑丈だったために柱と屋根だけが残ったそうです。
でも近所で建て替えたばかりのお宅などでは
基礎から上の部分が全て流されてしまったそうです。
どちらも無念でなりません
実家のみんなは避難所を出てアパート暮らしを始めたそうですが
あまりに狭いために(一人一畳の状態で寝ているらしい)
父親が一人で実家に戻ったらしく
壁の無いおうちでキャンプ生活をはじめたそう。。。
電気も無く、夜になると地域全体が真っ暗になるというのに。。。
しかも雨。
どうやって暮らしているの?
昔からちょっと不思議で愉快なお父さんだったので
最初は驚きましたがすぐに
『ふーん、そっかー』
と納得してしまいました![]()
いつもどおりってちょっと安心しますね
応援する人
応援される人
みんな気持ちはいっしょです
疲れたら休んでください
休んだら立ち上がってください
それを繰り返していきましょう
泣いたら次の日は笑いましょう
そうして進んでいきましょう
それは
いつもとかわらない私たちです![]()
できないはずはありません
ねっ![]()