BALLAD 名もなき恋のうた 感想

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先日、「河童のクゥと夏休み」を視聴して以来、これまでないほどの『原恵一』監督ブームが私の中で起きてきます。
ひとまず少し前に公開された『はじまりのみち』も見てきました。
「はじまりのみち」は「二十四の瞳」などで著名な『木下惠介』監督の戦時下でのエピソードを題材にした映画です。
今年木下惠介監督が生誕100周年ということで、アニメ監督ながらも、情緒的絵作りをし、確かな手腕で定評のある『原恵一』監督に白羽の矢が立ったということです。
先に感想を言ってしまえば「え?本当に実写作品は初なの⁉」と驚いてしまうほどの出来栄え。
そして従来の原恵一作品同様、しっかりと面白い。
うーん、すごい監督だなぁ。




私の原恵一監督との出会いは非常にありきたりですが、彼の代表作である『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』からです。
もともと、それ以前のクレヨンしんちゃん映画やドラえもん映画で、彼の作品に触れたこと自体はあったのですが、明確に『原恵一』という人物を意識したのは「オトナ帝国」からということになるでしょう。




しかし個人的に最も思い入れがある作品はと言えば、「オトナ帝国」でも「河童のクゥ」でもなければ「エスパー魔美」でもありません。
やはり2002年の「クレヨンしんちゃん アッパレ戦国大合戦」になります。




当時、私は小学生だったと思いますが、あの重厚な時代劇をクレヨンしんちゃんでやってしまったことに感動しましたし、原恵一監督らしい情緒的なストーリーは本当に胸を打たれました。
今でも、一番好きなアニメ映画は?と聞かれれば、私はジブリ作品や細田守の作品でもなく、『アッパレ戦国大合戦』と答えますし、『原恵一』監督は私にとって本当に特別な映画監督です。



しかしだからこそ2009年に公開された『BALLAD 名もなき恋のうた』は絶対見ないと決めていました。
この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日
」で有名な『山崎貴』監督による「アッパレ戦国大合戦」のリメイク作品。




公開当時、私は高校生でしたが「主演は草薙剛と新垣結衣(^∇^)?死ね」と思っていたんですよ。
だって絶対ヒドいリメイクなるのは目に見えてるでしょ?
別に主演二人に恨みはないけれど、草薙剛は演技が棒なのは周知の通りですし、新垣結衣はどう考えても知名度のみでの起用じゃないですか。
ふざんけんじゃねーよと。
金儲けに利用すんじゃねーよと。
まぁ、そんなこんなな感情から今まで「BALLAD 名もなき恋のうた」は世間的な大ヒットを尻目に、個人的には完全にスルーしていました。
ちなみに番宣で草薙剛が「この映画を見て泣く男は、かっこいいと思う(`・ω・´)」などと妄言を吐いていたのも、見る気をなくした理由の一つです。



しかし折からの『原恵一』監督ブームの流れで久しぶりに「アッパレ戦国大合戦」を見ました。
思い出補正などではなく、しっかりと本当に面白く、改めて原恵一監督の力量を再確認することになりました。
そしてふと思ってしまったのです。
「『BALLAD 名もなき恋のうた』って結局どうなの?」と。
ブーブー文句を垂れましたが、実際に見ていないのに悪口を言うのは、私としては本意ではもちろんないですし、高校生の時はリメイクをするというだけで腹が立っていましたが、今見るとまた感想は違うのかもと思いました。



それでですねー昨日TSUTAYAさんで借りて来て見たんですけどー。
けどー。
なんじゃこりゃ。
産業廃棄物とはこのことか。
そんな素敵な仕上がりの映画となっていました(^∇^)
山崎貴監督は素晴らしい監督ですね(^∇^)
素晴らしすぎて、道で会ったら殴りかかってしまうかもしれません(^∇^)
あ、これ冗談ですよ~(^∇^)はははー。




さて、冗談はさておき、本当にこれが酷いリメイク。
何だか「アッパレ戦国大合戦」を『忠実』にリメイクしているなんて意見もネットを見ていると書かれていましたが…。
「忠実」って何なんでしょうか?
確かにオリジナルと同じ(似通った)台詞や構図は多々ありました。
しかし、そんな表面的なことをなぞることが「忠実」の意味なんでしょうか。
それはただの模倣でしかないと私は思います。




オリジナル版の良いところは、たくさんありますが、やはり白眉は『あくまで戦国時代の価値観』が尊重されているところであると思います。
例えば又兵衛と廉姫の恋愛の場面でそれは顕著かと思います。
未来からやって来たしんちゃんから『21世紀では恋愛はお互いが好きになれば、自由に恋愛が出来る』と聞かされた二人は未来の世界を羨みながらも『どうにも変えようのない戦国時代の慣習(ここでは政略結婚)に従う』のです。
遠い未来には身分など関係なく愛しあえる時代がある…しかしそれを知りながらも戦国の世の中ではどうにもならない…。
だからこそ私たちは二人の恋に泣けるのです。
オリジナル版では湖のほとりで廉姫が又兵衛に抱きつくという一カ所を除き、全編にわたって又兵衛と廉姫の恋愛はとても淡白に描かれます。
何故か?
答えは簡単。戦国時代だからです。身分があるからです。




いくら未来からやって来たしんちゃんが「自由恋愛」という概念を二人に教えたからと言って、二人の境遇は変わりようがないんです。
又兵衛は最後まで一介の家臣のままだし、廉姫も最後まで一国のお姫様のままなんです。
だから悲しいんです。
だから戦国時代を舞台にする必然性があるんです。




じゃあ山崎貴監督様の『BALLAD 名もなき恋のうた』はどうなっているか?
全編にわたって廉姫と又兵衛がイチャイチャイチャイチャしてるんですよ。
はぁ?( ;´Д`)




登場した時こそ、又兵衛役の草薙剛は「姫様は一国の姫様で~、私には手も届かない~」とかごにょごにょごにょごにょ言ってるんですけど、後半の戦の前とかなると『生きて帰ったら二人で自由に生きましょうぞ~』みたいなことを言うんですよ。
新垣結衣の廉姫も『絶対生きて帰ってくるんやで!(´;ω;`)』みたいな。
気持ち悪いんだよ!!
戦国時代にそんな『自由』なんて概念なんかないし、又兵衛が帰って来ても廉姫と結婚出来るわけないだろ。
実際にあった話で、織田信長の妹のお市の方と、信長の家来の柴田勝家が結婚した例もありますが、あくまであれも政略結婚だからね。




だからもう、本当に身分とかそういうものは『形だけ』なんですよ。完全に形骸化してて。
そんな簡単になくせる身分なんて身分じゃねえんだよ。
インドではカーストの低い身分の人が、高い身分の人にラブレターを送ったら、リンチされ殺されたって話しもあります。これは2000年代の話しです。
これでは「現代の日本」でも「戦国時代の日本」でもどっちでも良いよ。




本当に、この『BALLAD 名もなき恋のうた』はこんな感じで、オリジナル版にあった良いところが根こそぎ削ぎ落とされて、甘ったるーーーーーーい恋愛話が延々と続いていくんでよ。




他にもいくらでもありますよ。
例えば敵のボスである大蔵井高虎というやつがいるんですが、こいつはオリジナル版では狡猾な野心家としてキャラ付けされているんですよ。
こいつが何をトチ狂ったのか「バラッド」の方では、廉姫と結婚したくて戦を始めてしまうような色ボケ野郎にされてしまっているんです。
お前の色ボケのために命を落とす兵士のこと考えろよ。
最後に草薙剛の又兵衛と一騎打ちをするのですが(これもメチャクチャ不満なところ)、「俺は!お前(又兵衛)よりも権力も金もあるのに!何で廉姫は俺のことを好きになってくれないんだあああああああ!!!」って…。
中学生かよ。
どう見ても織田信長をモデルにしているキャラだと思うんですけど、山崎貴監督様は織田信長に憑かれればいいのに。
オリジナル版の大蔵井高虎はもっと志の高い人でした。




後さー。
エンドロールの戦国時代で撮った写真を次々流すって演出。
あれさー。
オリジナル版の監督である原恵一の『河童のクゥと夏休み』を見ていたら、あんな演出になりようがないよね。
原恵一監督は「河童のクゥと夏休み」でケータイや写メ文化を痛烈に皮肉ってるんですよ。
山崎貴監督様はオリジナルをリスペクトする気あるんでしょうか?
ないですよね。
すみません。愚問でした。




後、「バラッド」では実は野原一家は出ないんですよ。
代わりに野原一家のそっくりさんである、川上一家が出てきます。
しんちゃんは川上真一。
みさえは川上美佐子。
ひろしは川上暁という名前に変更されてます。
この川上一家が本当に魅力がない。
夏川結衣さんが演じる川上美佐子はなかなかでしたが、しんちゃんの下位互換の川上真一は気が小さいのに微妙に生意気で、死ぬほど腹立つ。
本当にイライラする。
ちょくちょくしんちゃんに似た行動を取るのですが、「あ、しんちゃんだから許せてたんだな」と再認識。
家族の絆を描いているらしいですが、それがメチャクチャ中途半端で野原一家の家族愛にこれっぽっちも敵わない。
野原一家の代わりに川上一家が出てくるのはオリジナル版との大きな変更点の一つですが、完全にミスです。
オリジナル版のひろしの名台詞「しんのすけの居ない世界に未練なんてあるか⁉」も無い。
ふざけんなよと。




それと、金打(きんちょう)のシーンもないんですよ。
これは「アッパレ戦国大合戦」では非常に大事なシーンですよね。
っていうかこれがあるから最後にしんちゃんが又兵衛から脇差(短めの刀)を貰うシーンが意味があるんですよ。
「バラッド」では最後に草薙剛の又兵衛がいきなり川上真一とかいうガキに脇差を渡すんですけど、それまでに侍にとっての刀がどれほど重いものかというエピソードがないから(この脇差は親父の形見だという話しはありますが、形見、形見じゃないうんぬんの話しじゃないんだけど)、意味が半減。
すごいですよね。
オリジナル版の良いところが全部ないよ。




もっとありますけど、こんなところにしておきましょう。
別に私もね。
これが「アッパレ戦国大合戦」のリメイクじゃなかったから、ここまで言いませんよ。
でも、心ない、営利目的のみで作られたこんな志しのない作品が世に出され、「『アッパレ戦国大合戦』の忠実なリメイク~(^ω^)」だなんて言って欲しくないんです。
単体で見たらぼちぼち作品だと思います。
しかしこんな映画ならリメイクなんてしないで欲しかった。




引き続き、原恵一監督のご活躍を切に願っています。
山崎貴監督は一生映画を撮らないで下さい。
台詞やシーンをなぞっただけではリスペクトにはなりません。