海外の小説を読んでいるといつも思うけど、なんで栞紐(スピンって言うんだっけ?)付いてないんだろうね。
僕は海外文学ってのは苦手だからあまり読む方じゃないけど、珍しく読むといつも不便に思う。


しかし、考えてみると海外の本って安っぽいよね。ペーパーバックというやつですが。
輸入本ってのを本屋で手に取ると藁半紙みたいな紙でビックリする。


洋画に出てくる書斎の本棚。
とっても重厚な表装の本がズラリと並んでる場面を観たことあるけどね。
あれってどういうジャンルの本何だろう。少なくとも小説ではなさそう。
やっぱり学術書かね。


昔、三国志について書かれた本を読んでいた時に書いてあったことだけど、中国には元々「大説」という小説と対をなす重厚な読み物があったらしい。
「小説」ってのは、その大説の逆で、庶民でも楽しめる軽ーい読み物のことを指すんだとか(昔の話ね)。
日本でいうところの講談ってやつとかと、同じジャンルなのかな。よく知らんが。


欧米の小説事情ってよく分からないけど、中国から様々な思想を持ち帰ったマルコポーロの影響なのかなんなのか、小説は所詮庶民の娯楽だから~みたいな風潮があるんだろうか?
だからあんな安っぽいペーパーバックばかりなんだろうか?
と言うわけで、僕はどうせ読むなら日本のしっかりした作りの本の方が好きですよ。
だから何だって話ですが。

洗濯物にアイロンをかけるタイミングって、ほとんどの人は乾いてからみたいです。
社会人生活が始まった四月の段階では僕はアイロンをかけてから物干し竿に干していた。
何故かというと簡単で「母親がそうしていた」から。


しかし、このやり方でアイロンがけをしている人というのは少数派な様です。
帰省時に母親に問いただしたら「どっちだって良いやない!」とキレられた。僕も詰め過ぎたのかもしれない。


アイロンといえば、「ドラえもん」を読んでいると、のび太のママが洗濯物の上にアイロンを置きっ放しにして火事になりそうになるという展開がよくあるけど、相当あの人忘れっぽいよね。
アイロンかけていることを忘れてご近所さんと井戸端会議って、あんた。さすがはのび太の母親だ。


村上春樹の小説でもアイロンがけは結構出てくる(恥ずかしながら、海辺のカフカ以降は読んでないけど)。
作品にアイロンが出てくる時は、いつもルーティンの大切さを語る時のツールとなっている。


アイロンがけって、本当に面倒くさいと一人暮らしを始めてやっと気がついた。
夏なんて汗だくになる。それに何枚もかけていると、思ったより肩が凝る。良いことがない。
そんなアイロンがけにだって、人それぞれの流儀があり、それを守ることが大事なんだと村上春樹は言う。


大学生の時に村上春樹が大好きになり、彼のこういう思想に思いっきりヤられてしまった口なんだけど、4月から早や10ヶ月。
最早我が家のアイロンはトマソンと化しているのでした。

仕事場の二階に住むようになってから、通勤時間がなくなった。
ギリギリまで寝て、すぐに出勤出来るようになったのはとても便利。


寒くなって、いつものように仕事終わりにコンビニに弁当を買いに行く。
アメリカ人の一部は「地球温暖化なんて嘘だ!現に地球は氷河期に突入しようとしているじゃないか!」などと宣ってるらしいけど、寒いのだって充分問題だ。
僕の住む町にも、ちょっと前に雪が積もった。ニューヨークも前代未聞の大寒波に襲われているみたいだ。暑かろうが寒かろうが、どっちにしろ碌なことにならない。
寒さに震えながらコンビニに向かう途中にハタと僕は思った。
「あれ?なんでコートないんだろう」


つまりこう言うことだ。
コートってのは通常、通勤時間に羽織るものだ。
取引先ではマナーとしてコートを脱がないといけないし、電車で移動する営業マンもいるが僕は車を使う。車はもちろん暖房でしっかりと暖かい。
つまり僕がコートを使う様な場面は二階に住むようになってからなくなってしまった。
しかしコンビニに行くためにコートを買うのも勿体無い。だって普段使わないし。


一人暮らしを始めてから、僕は冬が嫌いだと気づいた。
ロシア人は皆、寒いからウォッカばかり飲んで、(一部は)最後に自殺する。
幼い頃にインドネシアに住んでたから知っているけど、常夏の国の住人は本当に陽気だ。悩み事だってあるだろうけど、そんなことよりも、何とか楽をして生きることに必死になるタイプの人が多い。
寒いと碌なことにならない。
コートを買うかどうかで悩むのも暖かくなれば解決する。
暖かい方が寒いよりも随分マシだから、早く暖かくなってほしい。
僕の生涯最悪の映画体験は山崎貴監督の「バラッド 名もなき恋の歌」と三池崇監督の「13人の刺客」の二本。
奇しくも、どちらも名前が「タカシ」で時代物であるが。
観終わった後に、身体が怒りが震えるという、逆に貴重な映画体験をさせて頂いた。


今回、川村元気という作家さんの「世界から猫が消えたなら」という小説の話をさせてもらいたいが、こちらは生涯最悪の小説体験となりました。


もう細かいダメ出しは今更したくはないし、正直に言うと中身は最早覚えない。
ひとまずこれ程薄っぺらい小説があったのか…!!と驚愕せざるを得ない内容なのである。


この川村元気という作家は本職が映画プロデューサーで、かなりのヒットメイカー。
「告白」、「おおかみこどもの雨と雪」、「モテキ」、「凶悪」等々は彼が手掛けた作品で、確かに映画弱者の僕でも知っている作品ばかりだ(とは言え、映画版モテキは僕の生涯ワーストの作品の上位だったり。さらに言えば、フィルモグラフィーに結構出てくる「山崎貴」の名前……この時点でやはりロクでもない)。


Amazonのレビューの中で「村上春樹」っぽいということが言われているが、確かに。
村上春樹が好きな高校一年生が書いた様な文体である(先に断っておきたいが、僕は村上春樹は大好きです)。
引き合いに出したついでに、村上春樹の発言で

「小説を書く、物語を書く、というのは煎じ詰めて言えば、「経験していないことの記憶をたどる」という作業なんです。
出典新潮社インタビュー 村上春樹」

というのがある(「ダンス・ダンス・ダンス」か何かでも同じ様なことを言ってた気がする)。
残念ながら、この川村元気という映画プロデューサーには、余りにも想像力が欠けてるように感じる。
五秒前に考えたような人間味の一切ない会話、やたらと説教臭い台詞しか話さない母親の人物造形の適当さ加減、オチの稚拙さと伏線の張り方の下手さ。後、村上春樹フォロワー(本当にそうか知らないけどさ)にしては比喩表現がマズい、マズすぎる。


さらに最悪なのが、こんな三文小説(小説なのかも危ういが)が賞を受賞したり、有名な俳優がキャスティングされて映画化される日本の出版界のクズさである。
何だかクラクラしてきた。
これで小説家を名乗れるなら、水嶋ヒロさんにもちゃんと仕事の話を上げて下さい。可哀相じゃないか。


レビューをネットで見てて、非常に困惑したのが、この小説のことを「哲学書の様だ!」と絶賛している人間がいることである。
感じ方は人それぞれだから、わざわざそれを批判したくはないが、幾ら何でもそれはないだろう。
これが哲学書であるなら、僕は明日にでもドイツに渡り、カントの墓に小便を引っ掛けてくる所存です。
すべて先の読める展開しかないこの小説のどこに、作者の哲学があるというのか?ふざけるな、馬鹿。


僕は中島らもさんが好きで、よく読んでいる。
中島らもの小説に関してネット上で「中島らもは話は面白いが、文章はヘタクソ」という意見を見ることがある。
それは正直な話、全面的には否定出来ないとは僕は思う。
しかし、それでも中島らもの小説(あるいはエッセイ)には確かに中島らもという人間の想像力とか気持ちだとか、彼なりの人生哲学が詰まっている。逆に言うと、それしかないと言ってもいいかもしれない。しかし、それはヘタクソかもしれない文章の上で、確かに強く光り輝いている。


人に自慢できる程、本は読んでいないが、僕は人に好きな作家を言う時は、中島らもと遠藤周作と村上春樹の三人と決めている。
僕は彼らの作品に触れると、彼らの人生を追体験している様な気持ちになる。それは僕の知らない、もしかすれば、僕が体験し得たかもしれないもう一つの人生だ。


中島らもはアルコールとロックンロールに塗れて、最後は階段から転がり落ちて死んだ。その人柄は永遠に行ったっきりとなった。
遠藤周作は死ぬその時まで、キリストと母親のことを悩み続けた。彼の出した答えが示すとおり、今も神様は黙ったまま、悩んでいる。
村上春樹はたぶんこれからも、いつもと同じ様に、シャツに丁寧に丁寧にアイロンをかけるのだろう。


作中で主人公は死神に一日だけ寿命を延ばす代わりに、何か一つをこの世界から消すことを促される。
その時、主人公は考える。「音楽は好きだけど、消えても困らない」。
恐らく、というか間違いなく、川村元気先生は小説にも音楽と同じ様な気持ちしか抱いていない。
「小説は好きだけど、消えても困らない」。
そういう態度の(でも地位も権力もあるのだからタチが悪い)人間が書いた小説がこの「世界から猫が消えたなら」という小説な訳です。
どうですか?皆様。
逆に読みたくなったでしょう?逆にね。


ひとまず、この環境破壊に与する紙の束の出版に関わった方は全員、大量のスズメに啄ばまれて苦しみながら自分の行った悪行を悔いて頂きたいと切に願うばかりです。
これ以上被害者を増やすのも申し訳ないので、ブックオフにも売りにいけません。明日の資源ゴミの日に出します。
今後も作家活動、どうぞ頑張ってください。


(追記)
そう言えば、書くのをすっかり忘れていましたが、文庫版に付いているあの下品なシオリの酷さと言ったら……。
何から何まで腐ってやがるんだ。
ちょっとブログを書く気がなくなっている間に、世の中色々あった気がする。
佐村河内氏に小保方氏、エボラ出血熱にISIS…。
後、ノーベル賞に久々の阪神日本シリーズ進出(僕は大阪に長年住んでいながら阪神は嫌いだけれど)。
ポジティブからネガティブまで色々。


個人史的な話になって恐縮だが、僕にも今年は大きな変化があった年になった。
大学を卒業し、社会に出た。実家を離れて名古屋に引っ越した。
今のところはボチボチやれているが、いつボロが出るか心配続きである。実に心配だ!


さて、そんなことは一旦置いといて、テイラー・スウィフトの新曲(と言うかニューアルバム)が良さそうだ、という話の方が僕はしたい。
実を言うと僕はテイラー・スウィフトのことを顔だけ良い、ティーン向けカントリー姉ちゃんというイメージだった(たぶんこのイメージは一面的には間違っていない)。


名古屋に越してから、営業の移動中はカーラジオをずっと付けていて、インターFMを聴いている(TBSラジオも受信できればなあ……)。
インターFMが受信できるということは、名古屋の数少ない名古屋の美徳の一つである。とっても良い放送局だ。
そんなインターFMで最近よくかかっているのがテイラー・スウィフトの「Shake It Off」という曲。
とにかく楽しい曲で、最初はテイラー・スウィフトの新曲だとはこれっぽっちも思わなかった。
「またアメリカからジャネール・モネイみたいなソウル風ポップスにした歌手が出て来たのかな~」と思っていたらDJは「テイラー・スウィフトの新曲です!」と宣う。


前述の通り、ちょっと通ぶった音楽ファンは(特に私)「テイラー・スウィフトはティーン向けの音楽」と思っていると思う(特に私)。
しかし今作はかなり良さげ。その理由は単純明快で、テイラー自身が語っている様に、新作が「80年代ごろのポップスを基調としたものになっている」からだろう。


僕は80年代の洋楽ポップスの良さは全年齢を巻き込んだキラキラ感だと思っている。
つまり音楽オタクも普通の音楽好きも……音楽へのスタンスに関係なく踊らせてしまう問答無用のポップネスさ。
テイラー・スウィフトの新曲「Shake It Off」にはそういうポジティブなエネルギーを感じた。
まぁ、アルバムを買っていないからそう断言するとはちょっと先走りだけど、この一曲だけでも大いに期待大である。
テイラー・スウィフトのニューアルバム「1989」はたぶんオススメです!