memo | 夕顔日誌

夕顔日誌

footprints of emancipation

こうでねばならないという意識が強い

とらわれが強い

様子を見ながら

「内なる他者の目」が、楽しむことを阻害している

私自身(の行為)を批判的に見る「内なる他者の目」

私の「表現のエネルギー」は抑えつけられている

この「内なる他者の目」によって

苦しい

批判的に見る自分も、見られる自分も、どちらも苦しい

神経症とは、抑えつけられたエネルギー

有を与える

反応(衝動)的に行動を起こすことを控える

赦しの対象は自分自身の身体、感情や思考、行為などから他者、世界へと広がっていく

まずは自分自身(のエネルギーの現れ)を他者に見立てる

内なる他者

自分自身のエネルギーの現れと世界との間に垣根は存在しない

(たとえ他者に嘘をついても)自分には正直であれ

身体への不満

こうであってはならない

抵抗

未だ解けない頑なな心

全てには赦すべき理由がある

自分の苦しさ(の感覚)と向き合う

蓋をして逃げない

世界とは投影である

世界(他者)とは私である

量が増えれば薬は害になる

空気を読み過ぎる

その読み取った空気とは妄想であるという事実も

あるがまま

しないでおこう、控えようと思っていることをしてしまうと落ち込む

いけないことでも悪いことでもないから、罪悪感を感じる必要は全くない

ただ「工夫」「心掛け」であるに過ぎないから

本来自然な状態に帰ろうとしているのだから、何も難しいことではない

そこから離れることの方が、むしろ不自然で難しいことなのだから

ただ、その不自然な状態が「当たり前」になってしまっている

投影された罪悪感を赦す

誰を見ても神の子、何を見ても夢、聖霊よ別の見方を願います

全ては赦すべき夢であり、咎めるべきことは何もない

取り返しのつかない事など何もない

この世界には「赦すべき意味」しか存在しない

赦すべき事

赦すべき意味

赦すべき必然

赦すべきエネルギー

自我とは赦すべき夢

自我(としての自分)を本当の自分と捉えていては前には進めない

内なる子供も内なる大人も、共に真の自己ではない

ある程度気に入っていたものでも「今」の匂いを感じると途端に嫌いになってくる…

私は「今」が嫌い

今が嫌いになってから、私は不幸になった…

受け入れられていないと感じると、「私」は頑なになる

あるがまま

有を与える

Let it be

小さな()

内なる子供と内なる大人

抑圧とは隠すこと

告白

影とは隠された自己の一面

隠れて行うことには依存しやすい

あたかも世界の中に問題があるかのように考えるよう、人間というものはできている

人間とは責任逃れがしたい生き物

問題とは常に私の中にしか存在しない

その問題への答えもまた、常に私の中にある

つまり、問題は実在しない

誰もが内心「私は咎められている」と感じているが、それは事実ではない

私は常に、赦されている

誰もが「私」の自由な発露を、自ら阻害している

この世界とは「本当の世界」ではないから

魑魅魍魎

勇気を持って「心」に従う

やりたいと思ったことを同時進行でやる

あの頃から、完璧じゃないと許せなくなった

(批判的な)内なる他者の目と共存していく道

この「苦しさ」と、共存していく道


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一切何も行う気がしなくなってしまう程

「楽しさ」が一切奪われてしまう程

普遍的な赦しに至るには、その前に「個人的な事情」にも目を向けなければならない

闇に放り投げてしまったものたちを、もう一度救い出してやらなければならない

今、地獄の底から脱しようとしている私…

「地上」に出ようとしている私

まず地上に出なければ、大空を飛ぶことはできない

今自分が地獄の底にいるのだと、気づかなければならない

過去を振り返り、その傷を癒す「結果」のレベルの赦し

幻想である一切の過去を見過ごし赦す「原因」のレベルの赦し

「実相」のレベルにおいては赦しは意味をなさず、必要ですらない

今の自分にはどの段階の赦し(癒し)が有効なのか、という自覚が必要

結果のレベルの赦しも、ある段階においては必要なもの

そこを無理に飛び越えようとすれば、傷を深めてしまう危険性がある

私と私が諍い合っている

自分とは何か

世界とは何か

内なる完璧主義者

(自分に)正直であること

自分だけと「二人きり」で過ごす

世界にイライラする

余韻に浸る

防衛しない(紛らわさない)

身体の声は心の声

「他人から見た私」を生きているのであって「私」を生きてはいない

気に食わない虫が好かない

嬉しかったもの(こと)を保存する

続けなければと思うのはなぜか何のためか

なぜ止めることがこんなに怖いんだろう

歩き続けることも大事なことだが、立ち止まることもまた、大事なことなのに

どうしよう

私は囚われている

私は不自由だ

日課を休んだことへの罪悪感を感じる

僻み

私の見る世界は私の内なる罪悪感の投影である

全ては手続き記憶

これまでに覚えた癖

それを「解除」するのはなかなか難しいな

「癖」を生かす道

投影

自分と向き合う(内省する)こと

全ては「神は怒っているだろう」という私の夢の現れに過ぎない

ここには私しかいない

安心、安全を感じさせてくれるもの(リソース)

内なる子供を喜ばせる

内なる批判者を否定しない

(私の)世界は私に赦しを求めている

今が嫌い世界にイライラする世界を見下す

あるがまま

この世ってめんどくさいやっぱり

何でいちいち

全ては私の投影だ

日課

「頑張って」生きなきゃいけないような世界

みんな必死こいて

いわゆる「世間」と言われるものに対して戦々恐々して

ああしんどい

やっぱり何でも「他者の目」が入るとおかしくなるんだな

相変わらず「独り相撲」してるな

私の見ている世界は「世界そのもの」じゃない

妄想世界

妄想世界に生きている

波動共鳴

無理に捨てても、どうせまた溜まる

溜める「必要性」が消えなければ

全てはそれで良い

それで良い

学ぶという意味の真似はするけど、比べるという意味の真似はしなくていい

必然

執着

毎日記録に挑戦していた

もっともっとってなってた

記録に挑戦しないこと


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気分、気まぐれをある程度乗り越えていかなければ(支配され続けていては)、この人生などすぐに終わってしまう


我慢ばかりしていてはフラストレーションが溜まる、でも「堪える力」もある程度発達させていきたい


カーテンを開いて、静かな木漏れ日の優しさに包まれたならきっと目に映る全てのことはメッセージ


人間が知覚している世界が「本当の世界」であると錯覚してしまうと、全ての物事は機能不全に陥る


そんな風に生きることを自分に禁じているから、そんな風に生きてるやつを見ると腹が立つそれを称賛する「バカ」にも腹が立つ

自分も(本当は)そんな風になりたいけど、なれない(と思う)から


外側に対しても、また内側から沸いてくるものに対しても、裁きのない(ノージャッジの)目を向ける


時間を決めずにやるなんていう難しい事よくやってたなだからできなかった(続かなかった)のか


何かが欲しい、おいら。それが何だか、わからない。だけど、何かが足りないよ。今の自分も、おかしいよ。空に浮かぶ、雲は。いつかどこかへ、消えていく。そこに、何かがあるだろうか。それは、誰にもわからない。人間なんてラララ、ラララララ。