しーさんです

ご訪問ありがとうございます





山梨県甲府市にあります『武田神社』に行ってまいりました


2024年6月18日投稿
あれば必ず拝観いたします「宝物殿」へにっこりトーゼンデス





中は撮影禁止ですのでこちらの画像をどうぞ


右は授与所で購入いたしました、タイトルもそのまま『武田信玄』という少冊子にっこりコウイウノアレバカナラズカイマス

そして左は「宝物殿」のリーフレット





宝物殿や美術館などで鑑賞するとき、チラシやリーフレットに写真で掲載されているものは一押しのお宝だと思って見逃さないようにしますにっこり





こちらの「信玄画像」はですね

線も色もクッキリ、紙も綺麗で思わず複製?と思いましたね





実際、土佐光貞作(江戸時代)とあります
1738−1806の絵師ですので、二百数十年前に描かれたようでした

ここ『武田神社』は大正8年に創建されましたので、それから全国の武田家関係者から様々な遺宝を奉納していただいたとのことです

信玄公の肖像画ですから少し時代が新しくても一押しのお宝ですね





戦国時代のものの展示もありましたが、やはり戦関係のものが多く軍扇とか刀とか具足

そういったものは意識してサラリと通り過ぎます凝視チョットコワイノデス





一方、
しーさんは女性が遺したものに興味がありますので、奥方様や姫君の肖像画、直筆の書などはとりわけじっくりと鑑賞いたします


上の画像のうち「勝頼夫人願文」が展示されておりました

天正10年2月のものです


〈切羽詰まった緊張感〉が感じられます






同年3月、次々と家臣の離反にあい夫勝頼とともに生涯を閉じるのですが、その一ヶ月前の願文なのですね


思いを馳せずにいられません






ちなみに天正10年(1582)というと6月に「本能寺の変」が起こりました


激動の年でありました





🍀




このたび『武田神社』に行こう!と思い立ったとき、

自然に信玄公の正室「三条の方」を思い浮かべておりました






過去の大河ドラマや小説では、「三条の方」は京の都からしぶしぶ輿入れ、嫁した後も京都の出であることを鼻にかけて性格はキツめとあまり良いように描かれていないように思いますが、、

実際はどうだったのでしょうか?






この「宝物殿」で直筆の手紙などがあれば、字を見てどのようなかただったか想像することができます


しかしながら「三条夫人」に関するものの展示はありませんでした






これからのライフワークとして、歴史上の気になった人物について調べたり、ゆかりの場所を訪れたりしたいなと思いました




🍀




その初めとしてこの後は「三条の方」のゆかりの地

『円光院』へ行くのです




つづく