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我々の目的とは、「幸せ」になることである。
これを理解したとき、幸せとそれに続くすべてのもの - 神、覚醒、知恵、理解 - は同じものになる。
我々が探し続けている幸せとは、単に永遠の「存在(真我)」のことであり、それらは本来の我々自身のことでもある。
これを理解したとき、この内なる存在完全に見出すまでは、これを見つけようとする。
それを達成したとき、究極の幸せは永遠に確立される。
そしてそれは永遠で、究極で、不動の幸せであり、完全な自由であるが、それらすべてがまさに我々が探していたものである。
本来の自分である「内なる存在」への道は、我々の注意を内側へと向ける。
心とは何かということを発見するまでは、我々は最初は心にフォーカスし始める。
それから、我々の本当の状態を見つけるために、我々の自己(真我)に注意を向け始める。
自己(真我)とは、単に心を取り除いたものであり、心とは我々の存在(真我)を覆うことでそれを限定している付加物である。
すべての思考は限定であり(そして我々はその限定思考を何百万に増やしていく)、それらはこの自己(真我)を発見するのを不可能にする。
我々の注意を内側に向けることで、我々はこれらのことに気づく。
注意を内側に向けた時、これらすべての限定を自然に手放していく、
そして、我々が常に、今も、いつも、これからもこの無限の存在であったということに気づくだろう。
続きます…。
みなさんは、知花敏彦さんという方をご存知でしょうか?
もう亡くなられた方ですが、いわゆる「覚醒」に至った方で、ネットで検索すればすぐ分かると思います。
エジプトのピラミッドの秘密の通路から地下に入ったことがあるとか、トートの生まれ変わりとか、いろいろな逸話がある方ですが、最近その方の音声や本を良く読んだり聞いたりしています。
この方のお話にすごく惹かれて音声を聞きながら、内容がレスターさんに似ているところがあるなあ~と感じていたのですが、この知花さんの本を読んでいて面白い逸話を見つけました。
知花さんは幼少の頃から霊能力のようなものもあったようなのですが、完全なる覚醒を求めて世界中の聖地を訪れていた時期があったようです。
ですが、やはり完全なる覚醒に至らず、決意して自分の家のソファーに座り、納得いくまでひたすら自分に問いかけていたそうです。
あまり眠らず、固い決意でひたすら問い続けた結果、短期間で覚醒に至ったそうです(まあ、それまでの探求期間が長かったようですが…)
そして、その探求期間が「3ヶ月」
ソファーが擦り切れるほど、ひたすら座って3ヶ月問い続けたようです。
これはレスターさんが真我探求に費やした期間とまったく一緒で、面白いなあ~と思いました。
知花さんは仰ってます。