これは、どれだけこの道を進んできたかのものさしになるだろう。
すべては同じものだろうか?
物事は本当の意味で変化していないだろうか?
この観点からみると、少しショックを受けるかもしれない。
同一の物として、ワンネスとして、神以外のものは何もないと認識する、この道は自分にとってあまりに遠いように見えるからだ。
神がすべてであり、全ての存在(人間も含め)が神なのだ。
一元性(ワンネス)を見ることが出来たなら、「自分」という存在の分離感覚も失うだろう。
もし、他人を認識したいのなら、「私達」という言葉を使うだろう。
しかしそれ以上に、自分自身を第三者の存在として話したくなるだろう。
これはマスターが抱いている感情である。
あるマスターは、自分達を名前で呼ばず、彼らの弟子がするように自分自身を第三者のように話す。
「I(私)」「me」「レスター」などと言う代わりに、私は(自分自身を指しながら)彼について話すだろう(自分自身を第三者として見ているということ)
これは、全てが一つであり、同じものである…と認識できた時に感じる状態なのだ。
自分自身を身体と同一視しないのだ(自分を身体だとと思わない)
私はこのことを特に強調する。
なぜなら多くの人が二つのこと、この世界とスピリットについて質問をしてくるからだ。
というのは、それらが本当の意味で一つの物であるという真実を知らないからだ。
続きます…