ポチッ



The body3 私は身体(肉体)ではない
もしあなたが身体であるなら、あなたは身体に悩まされるだろう。
もし身体ではないと知ったのならば、どんなに身体が病気だとしてもそのことに悩まされることはない。
この人生を生きるうえでモチベーションになるのは、身体として生存したい!という欲求なのだ!(それは不可能だが!)
今日における、基本的なトラブルの一つは、身体に対しあまりにも関心を持ちすぎることだ。
ほとんどの人は、99%を身体のために生きている。
身体(肉体)は、本当の意味で刑務所のようなものだ。
この身体に関しては、賞賛に値するようなものは何もない。
★★★
もし、あなたがどれだけ身体に執着しているか知りたいなら、崖から飛び降りると考えてみたらいい。
★★★
肉体にはマインド(心・精神)はない。
この現実の身体(肉体)を操作しているのは、アストラル体のマインド(心)だ。
(注:アストラル体とは幽体のことみたいです)
★★★
私は身体(肉体)である…というのは無知である。
身体は自己(Self)から離れていない…というのが智識(叡智)である。
★★★
すべてのトラブルは、身体(肉体)でいたい…と望むことから始まるのだ。
惨めさは、身体と自分を同一視することから起こる。
★★★
身体にその役割をさせなさい、身体を健康に保ち、そして忘れなさい。
最もヘルシーな食事は、植物や花から育つフルーツと野菜だ。
最も健康に悪いのは、肉である。
料理をするのは(熱を使うこと)、生命力を殺してしまう。
調理されない野菜やフルーツを食べるのが良い。
エクササイズは、もしそれがよいと感じるなら、良いだろう。
★★★
すべての人の身体(肉体)を私達の身体としてみるべきだ。
★★★
自分が身体(肉体)ではないと知った時、あなたは本当の意味で自由になるだろう。
もし永遠を望むのなら、身体に固執するのはやめなさい。
身体ではないと知ったなら、何が身体に起ころうとも問題ではない。
★★★
あなた自身の自己(Self)でいなさい、そうすれば幸福の状態でいられる。
真理に気づいた時、身体はまるで拘束服のようなものだと気づくだろう。
★★★
あなたが何であるか…ということに本当の意味で気づくと、あなたはすべての身体(肉体)があなたの身体であった…と分かるだろう。
★★★
もし身体とこの世界をリアルなものとして受け入れるなら、あなたは神を見つけることは出来ない。
身体ではなく、自分の自己(Self)として存在するなら、彼らの中(他の人たちの身体)に「存在」だけを見ることになる。
続きます-
キリストも仰ってます! マタイ6・25-34 より。
キリストの言葉には、
「(あなたがたは身体ではないのだから)何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな」
という意味も含まれているのではないのでしょうか?(断言するものではありませんので。ちなみに私はキリスト教徒ではありません)
もしあなたが身体であるなら、あなたは身体に悩まされるだろう。
もし身体ではないと知ったのならば、どんなに身体が病気だとしてもそのことに悩まされることはない。
この人生を生きるうえでモチベーションになるのは、身体として生存したい!という欲求なのだ!(それは不可能だが!)
今日における、基本的なトラブルの一つは、身体に対しあまりにも関心を持ちすぎることだ。
ほとんどの人は、99%を身体のために生きている。
身体(肉体)は、本当の意味で刑務所のようなものだ。
この身体に関しては、賞賛に値するようなものは何もない。
★★★
もし、あなたがどれだけ身体に執着しているか知りたいなら、崖から飛び降りると考えてみたらいい。
★★★
肉体にはマインド(心・精神)はない。
この現実の身体(肉体)を操作しているのは、アストラル体のマインド(心)だ。
(注:アストラル体とは幽体のことみたいです)
★★★
私は身体(肉体)である…というのは無知である。
身体は自己(Self)から離れていない…というのが智識(叡智)である。
★★★
すべてのトラブルは、身体(肉体)でいたい…と望むことから始まるのだ。
惨めさは、身体と自分を同一視することから起こる。
★★★
身体にその役割をさせなさい、身体を健康に保ち、そして忘れなさい。
最もヘルシーな食事は、植物や花から育つフルーツと野菜だ。
最も健康に悪いのは、肉である。
料理をするのは(熱を使うこと)、生命力を殺してしまう。
調理されない野菜やフルーツを食べるのが良い。
エクササイズは、もしそれがよいと感じるなら、良いだろう。
★★★
すべての人の身体(肉体)を私達の身体としてみるべきだ。
★★★
自分が身体(肉体)ではないと知った時、あなたは本当の意味で自由になるだろう。
もし永遠を望むのなら、身体に固執するのはやめなさい。
身体ではないと知ったなら、何が身体に起ころうとも問題ではない。
★★★
あなた自身の自己(Self)でいなさい、そうすれば幸福の状態でいられる。
真理に気づいた時、身体はまるで拘束服のようなものだと気づくだろう。
★★★
あなたが何であるか…ということに本当の意味で気づくと、あなたはすべての身体(肉体)があなたの身体であった…と分かるだろう。
★★★
もし身体とこの世界をリアルなものとして受け入れるなら、あなたは神を見つけることは出来ない。
身体ではなく、自分の自己(Self)として存在するなら、彼らの中(他の人たちの身体)に「存在」だけを見ることになる。
続きます-
キリストも仰ってます! マタイ6・25-34 より。
何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を 着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのもはすべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。明日のことは、明日自身
が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分
である。
セドナの教会です。窓が十字架になっています。キリストの言葉には、
「(あなたがたは身体ではないのだから)何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな」
という意味も含まれているのではないのでしょうか?(断言するものではありませんので。ちなみに私はキリスト教徒ではありません)