夢を届けるリコーダー奏者 すがけい -8ページ目

夢を届けるリコーダー奏者 すがけい

演奏や、リコーダーについての記事をあげていきます!
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書くことがないときに、どうやってひねり出そうかと考えてる自分がいる。
書き続けることで、こんな悩みが消えていくんだろうか。
書いて、書いて、書きたいことや、かけることがなくなったときに、自分の引き出しの少なさというか、引き出しの中に入ってるものの少なさを、突き付けられているような気がする。
…そう言いながら、今日はかけた。
もっと書こう。絞り尽くすように。
学校で学ぶ内容について。
ずっと考えてた。中学生くらいから。
こんなもの勉強して、将来何の役に立つのだろうと。

大学に入った頃に、インターネットが普及し始めると、その思いはますます強くなった。
調べれば出てくるのに、なぜ暗記しなけりゃならないのだろう。

私の疑問に答えてくれる人はたくさんいたが、納得できる答えには出会えなかった。教育大学に在籍していながら、教育に携わることへの興味が失せてしまい、クラシック音楽とゲームと酒にはまっていった。

普通の人の倍の時間とお金をかけて、どうにかこうにか大学を卒業したが、リコーダーを勉強したいと思ってそこからさらに2年、親に無理を言ってリコーダーを勉強させてもらった。

プロの演奏家になるという夢をあきらめて、実家に戻ってきたら、ちょうど地元で小学校の臨時講師が足りないそうだという話を聞いた。すぐさま応募し、その年の4月から小学校教師としてのキャリアが始まった。

教師になってからも、小学校で学ぶ授業の内容が、本当に、大人になってから役に立つだろうか、と言う疑問は消えなかった。

もちろん、学習指導要領の内容に沿って、授業はした。しかし、役に立たないかも、と思いながらの指導で、子供たちに力がつくわけがなく、学年末にはいつも心の中で子どもたちに謝っていた。

ごめんね、こんな担任で。
ごめんね、力をつけてやれなくて。

指導法の本をたくさん読んだ。いろいろ試した。
でもうまくいかなかった。

今思えば、当たり前のことだ。
子どもを、子どもの可能性を信じていなかった。
信じていない人間が何を言っても、上手くいくわけない。

教師になって、10年ほど経った頃、『学び合い』に出会った。これだ、と思った。



今日は雪。昨日から雪が降ることがわかっていたので、勤務する学校は授業開始が少し遅れる。
しかし、通勤中何かあってはいけないので、予定通り始発に乗った。
道路、特に車道はほとんど雪が積もってなかったので、いつも通り自転車で駅へ向かった。

今日は間に合った。
電車は遅れることなく駅到着した。

それにしても、天気予報というものは、我々の生活に欠かせない存在である。明日の予定が前日にたてられるのだから。

さて、学校近くのコンビニ寄って朝食を買い、まずは腹ごしらえ。それから同僚の方を待って、雪かき、通学路の整備確認である。
1分間に合わなかった。
次は30分後。
家での少しの緩みがなかったら、
と思うと、少し悔しい。
しかし、失敗を繰り返さないよう、
気をつけるチャンスがある。

今日は昨日より早く寝て、
明日、早く起きよう。

…こんなことを考えるのも、車を壊したからこそ。
今週は本当に、今まで考えてこなかったことをかんがえているなあ。
電車通勤3日目。
同じことを3回も繰り返すと、新鮮に感じた朝の空気や、東の空のグラデーションなども、1度目に見たほどには感動しなくなる。
同じことを繰り返すことで、思考や行動がある程度自動化され、仕事がより効率的になる良さはあるが、第一印象で受けた感動はどんどん薄れていく。
初めてブルガリアの合唱を聞いた時の感動は、十数年経った今でも覚えているが、同じ曲を今聴いても、同じ感動は得られない。
当たり前とか、普通といった言葉は、日常的に使われる言葉だが、身の回りで起きている事象をそのような言葉でひとくくりに表現するのは、感性を鈍らせるような気がする。
身の回りの事象に感動する準備を、いつも持っていたいと思った。