親戚の集まりが苦手だった....




前回記事はこちら


こちらの記事で書いた通り、僕は昨日結婚式に出席し、受付の役割を与えられた。


受付自体は全く大した仕事でなく、出席者に名前と住所の記入を促す時と、祝儀を受け取る時以外はほとんど突っ立っているだけの時間だった。


結婚式自体も厳かに執り行われ、非常に風情があり、雅で幻想的な雰囲気を存分に楽しめた。


会場に溢れるおめでたい空気によって、僕の気持ちも普段より心なしか高揚していたと思う。小さい頃からお世話になった人が幸せになるというのは、やはり嬉しいものだった。


当日の朝、我々は博多から出発し、東京で単身赴任をしている父と京都で合流したのちに、弟、母、僕の合わせて4人で会場に到着したのだが、かなり早めの到着になってしまった。我々兄弟が受付業務の説明を受ける時間まで残り2時間半もの時間がある。


そこで僕は、こういった親族が一同に会する行事が非常に苦手だと言うことを思い出した。


僕自身が人見知りというのももちろんあるが、普段会うことのない親戚と会話を広げるのはかなりハードルが高い。話題が途切れた時の気まずい空気も嫌だ。


会場には既に祖父母と新郎新婦が到着しており、話に花を咲かせていた。父母は今回の主役達と世代が近いこともあり、すぐに話の輪に入っていったが、我々兄弟にはやはり難しい。話のネタも尽きて、最初のうちは貼り付けたような笑顔を振りまいていたがそれも次第にしんどくなったので「ちょっと散歩してくる」と言って弟と暇つぶしに会場周辺を歩くことにした。


こういう時に、弟がいて良かったなあと思う。

この状況で、一人で暇つぶしするのは無理だ。


弟と話しながら、会場の傍にある公園を散歩し、景色を楽しみながら池の鯉やカモにパンクズをあげるなどして素晴らしい時を過ごしていたが、そんなもんにはものの数分で飽きて弟はスマホに興じていた。


そんな弟を尻目に、目的もなく長時間フラフラしていたら、我々が戻らなければいけない時間が近づいてきた。


会場に戻ってスーツに着替えたのち、写真撮影タイムに移行した。


相変わらず祖父は僕の顔を見るたびに

「もう20歳やろ?早く彼女を作って孫の顔を見せろ」

「お前の結婚式の日まで頑張って俺は長生きせなあかんのやで。ええ子はおらんのか?」

と心を抉ってくる。


非常に申し訳ないが僕が結婚するにはあと2兆年くらい転生を繰り返さなければならない計算なので、たぶんこの世界線ではそんな日は来ない。


僕の両親はこの事について一切触れてこないので、これもまためちゃくちゃ辛い事になぜか僕の家では恋愛関係の話がタブーのようになっている。

僕からすればむしろイジってもらえた方が楽だ。


祖父が母に「こいつの結婚はいつになるのかのう、、、」と寂しく問いかける様は、まさにアバダケダブラだ。即死呪文に匹敵する破壊力を誇っている。


写真撮影を終えたのちに、挙式を待つのみとなり新婦親族の我々は待合室に通された。今回は結婚式なので新婦の友人達も来ている。これまた気まずい時間だった。なんとか会話に混ざりたかったがタイミングを掴めず、スマホを確認する振りをするしかなかった。




式が終わり、披露宴に移った。

新郎側の親族には僕と同年代の慶應ボーイがいた。僕は地方私大在学なので若干敗北を感じたものの、新婦が手紙を朗読している間に酒を飲んだくれている彼を見て「あぁ、コイツはそういう奴か」という捻くれた感情を抱いた。


だがしかし、学歴があるとはいえ場をわきまえず酒を飲みまくるヤツは非難の目を浴びて当然だろう。


そう思いつつ料理を貪って、レモン酎ハイを飲んで赤くなっていたら新郎のお父様がビールを注ぎに来た。普通はビールを注がれたら、こちらはグラスを持って立ち上がらなければならないが、何も分からないまま座ってビールを貰ってしまったため後で父に怒られた。


どうやら僕もまだまだ勉強不足らしい。

自分を棚に上げて慶應ボーイを非難した僕を呪った。


新郎のお父様からは、

「結婚は早いに越したことはない。」

「結婚はこんなにも良いもんなんだね。」

などのありがたいお言葉を何回も頂いた。

酔っていることもあり全く集中できなかったが、恐らく僕はこのアドバイスを活かすことはできないだろう。



そんなこんなで披露宴はお開きとなった。



今日は大阪新世界に行き、串カツを食べてきた。



そして帰りの新幹線で、僕は母との会話を思い出していた。


「お母さん、着物似合っとるね」


「あんたの結婚式では黒留袖着るんやで」


果たして母に黒留袖を着せてあげられる日が来るのだろうか。


高速で流れ行く景色を無心で眺めながら、そんなことを考えていた。