少し経ってしまったけれど、ロミオ&ジュリエット東京全公演終了お疲れ様でした!
まだ刈谷、大阪と観に行きますが、東京公演のひらまきゅ回を9公演観て自分が感じたこと考えたことを一旦まとめておこうと思って書きました。今回はマーキューシオについてのみ。平間くんが生きるマーキューシオをみて、ただひたすらマキュについて書いた。重いし長いし勝手に深く考えてしんどくなってるだけですが良ければ〜









誰よりもモンタギューであろうとしたマーキューシオの話。

    ロミオとベンヴォーリオは従兄弟同士でモンタギューの血が流れてる正式なモンタギューの人間だけれどマーキューシオはヴェローナ大公の甥だから正式なモンタギューの人間ではない。これがマキュを考えるうえでめちゃくちゃ大きなことで。本当にしんどいポイントなんですよね。(パンフの相関図のマキュの位置だけでしんどくなった人間がここにいる)
ロミオとベンは何もしなくてもモンタギューの人間でいられる、モンタギューの血をひいているけどマキュはそうじゃない。だから誰よりもモンタギューの人間であろうとしてて、"キャピュレットを憎む"というモンタギューの人間なら生まれた時から持たされている感情を強く出しているのかなと。強く出すことで自分はモンタギューの人間なんだと言い聞かせているような。マキュがいつからロミベンと仲良くなってモンタギュー側の人間になったかは分からないけど、ロミベンを好きになって仲良くなったことで自然とモンタギューに入って、皆が自分をモンタギューに受け入れてくれた。ヴェローナ大公の甥って位が高いと思うんだけどそれでもモンタギュー卿にあんなに頭を下げたりして敬意を示すのは、自分を受け入れてくれたからなのかなとも思ったり。
でも受け入れてもらった立場だからこそ、自分にはモンタギューの血が流れていないという劣等感や自信の無さがあるから、誰よりも"キャピュレットを憎む"ことを演じたのかなと。モンタギューに馴染みたくて染まりたくて。最初は演じていたつもりがやがて本当の憎しみになってしまったような。ティボルトが自分を昔から蔑み憎んでいること。マキュはそれをある意味利用したんじゃないか。あいつは俺を憎んでる、俺もあいつがにくい、そしてあいつはキャピュレットの跡取り、キャピュレットはモンタギューの敵だ…変な言い方だけど、憎しみをむけやすい相手がちょうど、これから憎もうと思う側にいた。ティボルトはマキュをピエロ、壊れすぎ、臆病だと言うけれど、すごく的を得ていると思うんですよね。傍から見たら、モンタギューの人間じゃないのにキャピュレットを憎んで、臆病さを隠すように誰よりも攻撃的な言葉を並べて、壊れたように自分でおさえられなくなった怒りや憎しみをぶつけてきて、1番最初に命を落とすマーキューシオはピエロのようで滑稽なんだと。飼い犬という表現も、悲しいけど合っているんだよね。誰よりも凶暴で、離したらすぐ噛み付いてくるような狂犬。でも所詮モンタギューの血が流れてないお前はただの飼い犬に過ぎないっていう皮肉。
ただ、ティボルトも似ているんだよね、マキュに。大人に憎しみを植え付けられ正義心をゆがめられ、大人たちが作った憎しみの場所でもがき、闘い、命を落とす。操られることに逆らったはずが、命を落とすことでしかそれを終わらせられなかった2人。


マキュがあの服を初めて着たのはいつだったんだろう。衣裳替えがほぼないのでいつも着てるのかどうかとかそういうことは置いておいて、いつからあの服を身につけているんだろう。初めてあの服に袖を通した時、嬉しかったんじゃないかなとか考える。自分もロミオやベンと同じようにモンタギューを背負えることが。でもロミベンに比べたらモンタギューの印が小さいし背中というよりかは肩にさりげなくついているところにいろいろ考えてまたしんどくなってしまう。ロミベンはドラゴン付いてるのにマキュは付いていないって話も耳にした。自分ではまだ確認できてないから刈谷で確認するつもりです。モンタギューの守護神ドラゴンの名をあんなに誇らしげに口にするのに自分はドラゴンが背負えないんだ…モンタギューを背負いたいのに背負いきれない、どんなにモンタギューに染まりたくても絶対に血は染まれないマーキューシオ…でも最期、マキュは自分が流した血でモンタギューの人間を染める。ロミオはマキュの血で染まった手でティボルトを刺すんだ。





マーキューシオとロミオの話。

マキュはロミオに友情以上の、恋愛感情に近い愛を向けているって平間くんは言っていた。実際、いつからロミオを好きになったんだ?や、アドリブだけど、ロミオって気安く呼ぶんじゃねえ!って台詞もあって、「街に噂が」での視線にもそれを感じられるシーンはいくつかあった。でも、どうしてマキュはそんなにロミオが好きなんだろうってずっと不思議で。なかなか自分の中でしっくりはまらなかったんですが、大野ロミオとの絡みを見てたら凄く分かるなって思った時があったんですよね。ふと、すとんと自分に落ちた感じ。
マキュは、ロミオのことを兄のように思いながらほっておけない気持ちや、かまってほしい気持ち、自分たちのいたずらになんだかんだのってくれる優しさが好きだったり、ロミオの明るさや陽の輝きに対する憧れのようなものがあったのかなと。マキュにとってロミオは光そのもの。でもどこかで、自分はロミオのいる光の世界では生きられないと思っていたんじゃないか。手をのばしたいけど繋ぎたいけど、実際に掴まれて引っ張られたら躊躇しそうな。ロミオが好きな気持ちも、大切な気持ちも本物だけど、この関係性がいつか終わることをどこかで覚悟して恐れていそう。ロミオは「僕は怖い」を歌うけど、マキュもそれに似た葛藤がある気がする。「僕は怖い」の前が「マブの女王」で、そこでマキュはロミオを仮面舞踏会に誘うけど、止められても「今夜はお前にも付き合ってもらう」って言ったり、ロミオの返事を待つ間すごく真顔で、険しい表情の時とかもあって、正直最初はどうしてそこまで"今夜自分たちと一緒にくる"ことにこだわっていたのかが分からなかった。だけど、見ていくうちに、マキュはロミオの「僕は怖い」の気持ちに何処かで気づいていたんじゃないかと思って。今夜ロミオの手を離したら、自分の前からいなくなってしまうんじゃないか、自分を見てほしい、離れないでほしいという必死な気持ちがあったんじゃないかなと。だけどマキュのこの誘いがロミオとジュリエットの出会いを作った。2人の出会いはまさに"終わり"の始まり。
なんて悲しい話なんだろう。


マキュは自分で恋を火遊びと例えたり、遊び人だと言われたりしているけど、実際、女の子たちとの恋は遊びでしかなくて、一時の気休めみたいなもので、そうやってはぐらかしてて、本気の恋はロミオだけなんだろうな。


マキュはロミオとジュリエットの結婚を知ったとき、もう自分とは一緒にいてくれない、自分のことは見てくれなくなるんじゃないかっていう不安が大きかったんじゃないかな。私はマキュは周りをよく見ているけど子供っぽい部分や寂しがりな部分はすごくある人だと思っていて。ロミオの結婚を聞いて、不安に駆られて混乱して怒りに変わって、ジュリエットにロミオが取られてしまう、がキャピュレットに取られてしまう、になって、憎しみがもともと強かったティボルトに全てぶつけにいってしまうマキュはどんなに願っても足掻いてもモンタギューになれない。なのに、なにもしなくてもモンタギューでいられるロミオがモンタギューを捨ててジュリエットと結ばれようとしている。自分が一生手に入れられないものをいとも簡単に捨てて、自分たちを裏切ろうとするロミオ。しかもロミオはそれを"仲間を裏切る"ことにはならないと思ってる。それを知ったときのマキュにはもう絶望しかなかったんじゃないか。自分をモンタギューに受け入れてくれて居場所をくれたロミオがモンタギューを捨てるということは、マキュにとっては自分を捨てられるのと同等だったんじゃないかな。「彼女と離れて生きていくことなんてできない」って、マキュやベン、モンタギューからは離れて生きれるってことだもんな。
「本当ならばもう友達じゃない」「じゃあ自分の喉を刺すんだ」は私は本心だとどうしても思えなくて。そこまで言えば考え直してくれるんじゃないかとどこかで期待してて、それでもロミオは変わらなかった。変わらないどころかその突きつけたナイフを平気で掴んで近寄ってくる。もう自分が何を言ってもロミオは変わらない。ロミオは戻ってこない。「街に噂が」のラスト、もう終わりだ!の一言は、本当にマキュにとって重くて、比喩でもなんでもなく本当に全ての終わりを指していると思う。モンタギューの人間ではない自分をうけいれてくれたロミベンとの関係も、モンタギューでの自分の居場所も、居る意味も。もう終わるんだと分かったマキュには、もう自分で終わらせるしか道がなかったのかなと。なにより、"終わり"の始まりを作ったのは自分自身だと分かっているから。それにロミオとベンは従兄弟という繋がりがある、でもマキュにはないんだよ。どんなに好きでもどんなに大事でも所詮、他人。なのに、他人どころか敵にあたるジュリエットへの永遠の愛を目の前で語られて。「僕はまだ君たちを愛しているんだ、でも彼女への愛はもっと深く強い」とまでロミオは歌うから。マキュにとってどれだけ残酷な言葉だったか。この曲でのロミオの言葉って本当に残酷で「君たちは知らない 誰かを愛することの心の震えを魂の喜びを 」
って自分が愛してる人であるロミオに言われる辛さよ…
マキュはベンのことを「あいつはお前のマブダチだろ」というけど、自分のことをロミオにとってのマブダチだと、親友だと言う勇気はないのかな、自信もってそういうことが怖くて出来ないのかなと思うと、辛い。マキュはずっと、不安と孤独を抱えて生きていたんじゃないかな。モンタギューだと証明できるものをなにも持っていない自分はいつかここにはいられなくなるかもしれない、いつか2人との関係が終わるかもしれない、自分は本当にロミオやベンヴォーリオに愛されているのか…孤独で臆病。マキュはナイフをたくさん持っていて、とにかくすぐナイフを出すし眺めるけど、臆病だからゆえなのかなと思ったりする。ナイフはマキュにとって自分を奮い立たせるものなのかなと。臆病さをナイフで隠してて、ナイフで自分を強く見せてて、ナイフに縋ってる、依存してる。ロミオとベンはナイフをほとんど握らないというか、''持ち歩いてる感"があまりないんですよね。私はその対比が凄く好きだったりするんですけど。マキュって全体的に余裕がなくて。不安と孤独を抱えてて、恐れてる。ナイフというものに縋ってしまうくらいに。でもロミベンにはそういう余裕の無さはなくて、それはやっぱりモンタギューの血が流れてるか流れてないかにも少なからず関係してて(こうやってすぐそこに繋げたがる笑)そこも含めて、マキュはロミベンとは違うというか、3人それぞれ違うんだけど、特に、マキュは少しだけ違う世界にいる、同じ世界だとしても2人は日向にいれるけどマキュがいるのは日陰みたいな。なに言ってんだ私は…
死ぬ間際には、少しでも、自分は愛されてるとマキュは思えたのかな。死ぬ間際に言う「俺は恨む どっちの家も」はモンタギューでもキャピュレットでもないマーキューシオにしか言えない言葉。最期までマキュはそうなんだよなあ、ああああ辛い悲しいしんどい。うっ…





決闘のマーキューシオの話。

ティボルトにかみついていくマキュは見ていてただただ痛い。ティボルトもあの場に来た時点ではマキュを殺す気なんてないはずなのに、頭に血が登っているからマキュのぶつけてきたものを受けてしまう。結局2人は似たもの同士、お互い傷つけあうしかできない、互いの身体を使って自分を映して自分と決着をつけようとしているみたいな。相手とじゃない、自分との最期の闘い、決闘。見てて本当に痛くなる。
止まれないマキュとロミオを殺したいはずなのにマキュへの殺意まで生まれてしまったティボルト、殺し合いだけは止めたいロミオ、ロミオのせいなのにロミオに止められて、責めたいのに責められなくて頭がぐちゃぐちゃなマキュ、マキュに戦わせてやりたいみたいな気持ちすらありそうな、でもやっぱり止めたくてでも自分にはもう止められないと分かっててロミオにすがるしかなくなってしまうベン。全員が辛い。
ロミオとベンは、「誰もが自由に生きる権利がある」と"主張
"して、マキュは「自由に生きたい」と"願う"。それをティボルトは「自由に生きる権利などない」と言い切る構図もめちゃくちゃ切なくて悲しい。
マキュは、ロミオの気持ちは変わらないと分かったから、でも絶対にうまくいくはずなんてないと知っているから、ティボルトがロミオを殺しにくることも予想して待ち伏せていたんだろうか。もう終わりだと分かった今、最後に自分ができるのはロミオを、モンタギューを守ることだけ。せめて、それだけはしたいと思ったのかな。それとも、ずっと殺したかったティボルトを、やっと殺す明確な動機が、機会ができたと思ったのか。むしろ、今こそ殺る時だ、くらいの。ただ、マーキューシオとティボルトはロミオとジュリエットが結ばれた世界では生きれないだろうと思うから、2人がここで死ぬのが、必然だと思ってしまうんですよね。2人もそれをどこかで分かってたんじゃないかと。もしロミオとジュリエットが結ばれるならその未来に自分たちが生きることはありえない、みたいな。わかんないけど!私、ずっと死に場所を探してた〜みたいな設定大好きなんですよ、だからすぐこういうこと考えはじめちゃう。よくないよくない…この辺はまだ自分の中で解釈が揺れてます。でも、「ああ、気が遠くなる…」は絶対、死への恐怖とか不安からきてると思うから、死にたくないんだよねやっぱり。死にたかったわけじゃないけど死ぬ場所にぴったりっていうか、もう、わかんなくなってきた。もう少し考えますこれは。
「おっと〜キャピュレットの貴公子がいるぜ」のおっと〜の言い方が、完全に獲物を前に舌なめずりする獣そのもので。本当は悲しみや不安や、もう全てが終わると分かっている恐怖があるはずなのに、それをかき消そうと自分の中にある怒りと憎しみを引きずり出して、狂ったように笑ったり叫んだりしながら獲物 ティボルトに向かっていくマキュの激しい姿は、痛々しい。そしてその激しさが終わるときは、マーキューシオの命が終わるとき。






長くなってしまった…考えれば考えるほど、しんどい人。マーキューシオ。
「世界の王」のマキュは本当に無邪気な笑顔でいるんですよね。この3人はモンタギューとキャピュレットの憎しみ合う世界じゃければ普通の青春を過ごせていたんだろうなと思うと悲しいな。マキュはヴェローナや決闘といったティボルトに憎しみを向けている時以外は本当にただいたずら好きで仲間が好きなにこにこ笑う普通の青年で。「自由に生きたい」がマキュのソロの後ろで歌われているけど、モンタギューだとかモンタギューじゃないだとかキャピュレットを憎むとかそんなことは本当はどうでもよくて、そんなこと気にして生きたかったわけじゃなくて、ただ純粋に、自由に生きたいだけの人だったのかなと思う。死ぬ間際にロミオに、俺がいなくても闘い続けるんだと言うけど、それも"自由に生きるため"だっていうくらいに。ロミオが歌う「誰が誰を好きになってもいい」はマキュの願いでもあったはずで。でも自分の願いであるがゆえに余計に、ロミオがジュリエットを愛してしまうことが辛かった。自分の願いでもあったから、ロミオのことが大好きだから、最期、ジュリエットを愛し抜けって言ったんだと私は解釈してる。




長々読んでくださった方ありがとうございます🙇‍♀️まだ地方があるから、またここで言ったことひっくり返すような発見とかするかもしれないし平間壮一がいつすごい爆弾落としてくるかも分からないから4月になったら全然違うこと言ってるかもしれないけど、しんどいは相変わらず叫んでると思います。今回はマキュについてに絞って書いたので次は他のキャラクターやストーリーそのもの、1曲1曲についての感想も書くつもりです。それがロミジュリ卒論になるかな。もしかしたらまたマキュでもう1記事くらい書くかも。
こんなに考えたいと思わせるマーキューシオをみせてくれた平間くんに改めて本当に感謝だし、平間壮一の凄さを改めて感じている…出会えてよかった!「ミュージカル ロミオ&ジュリエット 2019」にも、平間壮一という役者にも!平間くんがマーキューシオを生きている期間に生きれたことに感謝。






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