本日3/1(水)は定休日となります。何卒宜しくお願いいたします。

 

って事で本日は昨日で閉店してしまった津田沼パルコについて触れておこうと思います。

 

(夕方の6時過ぎ、見慣れた光景でございますね)

45年も営業していたのですね。地元なのでね、駅前にパルコがあるのが当たり前の光景だったので、営業を終了してしまうってのが今でも不思議でなりません。初めて服を買ったのも津田沼パルコだったし、初めて女の子とご飯を食べたのも津田沼パルコだった、はず(笑)そして洋服屋さんに就職をして、初めて赴任したのも何処かのパルコでした。その会社で何回か移動をしましたが、辞めるまでの数年間はパルコの喫煙所で、ほぼ毎日のように愚痴を言い合っていたのを覚えております(笑)

 

(8時くらい。道行く人たちがみんなスマホ片手にパシャリ)

そんな文句だけは一人前な僕に独立の切っ掛けを与えてくれたのもパルコでした。その頃の拠点は神奈川県になっておりましたが、一生懸命に売っている姿が気に入ったと、当時の厚木パルコの店長が、君がお店をやるなら応援するよと17坪の小さいスペースを貸してくれたのでした。

 

(ショーウィンドウを片付けております)

当時のパルコには、自前でブランドやお店を育てるという気概があったのですね。今はどうなっているのか分かりませんが、ある程度の契約までならば、本部を通さず自店で決済を通せる仕組みとなっていたので、名も無き小さなお店が毎月のようにデビューをし、数カ月後にはまた新しいお店が~という感じに新陳代謝の如く入れ替わっていたのです。

 

(何かの企画で、このショーウィンドウにマネキンを置いた事もありました)

売り上げが悪ければ退場、逆に良ければ全国区となっていくのですね。皆さんが知っているブランドの中には、そうした形でパルコにチャンスを与えてもらった会社があると思います。そんな中、一号店となった厚木パルコが退店するというニュースを聞くのです。最盛期には売り上げ上位に位置していた厚木パルコが無くなるなんて、かなり驚きましたが自店舗も出店していたので、かなり慌ただしく閉店の日を迎えたのを記憶しております。これが2008年の話なのですが、当時の店長が津田沼をはじめ地方のパルコに数多く出店している僕に、ビジネスモデルが変わって来ているから、何か特色となるモノを作っていかないと成立しなくなるよと伝えてくれたのですね。パルコの店長に言われると流石に響きます。それで、高品質で中価格帯のオリジナル製品の構想が始まるのです。

 

(ショーウィンドウの片付けが終わったみたいです。何だか寂しいですね)

その後は、その店長の予言通りに地方のパルコは苦戦が続きます。出店していたパルコの閉店のニュースを聞く度に心を痛めていたのですが、一方では何処か分かっていたので仕方が無いのかなと。

 

(4階のエスカレータ脇です)

津田沼パルコでは3回の引っ越しをしております。契約諸々の事もあるので、詳細は省きますが、この画像の場所が津田沼パルコで最初に契約してもらった場所なのですね。地元ですしね、この場所が空いたらすぐに連絡して欲しいと伝えていたのですが、破格な条件で貸してもらっていたのを覚えております。あの敏腕営業マンの彼は今何処にいるのだろうか。

 

(5階のエスカレーター前になるのかな)

さっきのは4階で、これは改装で移転した5階のお店の位置です。この角度で良くお店を見ていたなと、懐かしく思いパシャリと(笑)ここで数年営業をしてから、さっきの4階の場所にまた戻るのですね。改装は忙しいけど楽しかった記憶があります。この5Fのお店時代から、今のお店に至るまで通っていただいているお客様がいらっしゃるのですね。本当にありがたいですね。

 

(営業を終了した9時過ぎに撮りに行きました)

色々なことがあってパルコを退店する事になったのですが、路面店への移転の地として迷わず津田沼を選んだ理由は、素敵なお客様が多かったから、でございます。移転後、ロクな告知も出来ていなかったのに、沢山の常連様に来ていただいたのを覚えております。そう言った意味でも、津田沼パルコに感謝している部分は多いのですよね。

 

(9時半になりました)

こうなる前に、何とかしたいと頑張っていたパルコの社員も知っているのでとても残念ですね。パルコを退店した後にもかかわらず、挨拶がてらお店に顔を見せに来てくれた課長さんも覚えております。パルコの社員である、敬愛する先輩や同志たちは今何処で頑張っているのだろうか。

 

(A館とB館を繋ぐこの通路もどれだけ通った事でしょうか)

左が残る建物、右が取り壊して何かになる建物でございます。色々な問題があるようですが、津田沼を象徴するような建物だったので、良き流れになってくれればと思います。

 

(昨日の15時まで津田沼駅がこんな粋な計らいをしてくれていたみたいですね。)

そんなこんなでね、独立の切っ掛けを与えてくれたのもパルコ、地元の津田沼に出店させてくれたのもパルコ、それなりに儲けさせてくれたのもパルコ、泣きたくなるくらい損をしたのもパルコ、と退店するまでの20年間パルコで過ごした日々は今でも忘れません。ね、パルコ愛に溢れてますでしょ?(笑)

 

 

tanaka